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Episode 600 鈍麻が過敏を隠すのです。

『亀田縞(かめだじま)』って知ってますか?

「亀田」というのは新潟にあった地名で、米菓最大手『亀田製菓』の創業地として有名な場所です…今は合併により新潟市の一部となり、駅名や学校名などにその名残を残すだけになってしまったのですけれど。

この地域はその昔、藍染め木綿を使った織物業が盛んだったのです…が、地場の織物業は太平洋戦争を挟んで衰退し、今は農家の普段着生地なとではなく「伝統工芸品」として少量が生産されるに過ぎません。

私の父方の実家はその昔、この亀田縞の織物工場を営んでいました。
生業としての織物工場は亀田縞の歴史が物語る通りに経営が成り立たなくなり、私の祖父の代…昭和30年代までに商売としては廃業していたのですが、それでも「父(私から見ると祖父)が亡くなるまでは」という思いの元、父の長兄が細々と工場を維持していたのです。
その祖父が亡くなったのは私が幼稚園児の時ですから、昭和50年か51年のこと。
葬儀に先立ち、工場の機織り機をフル稼働させたのを覚えています。
私は今までに聞いたことがない轟音の中で稼働する機械に圧倒されたのです。
隣にいた父は、懐かしそうにその音を聞いて「これが私の子守唄だった」と言ったのを覚えています。

この轟音が子守唄だって?

私は聴覚過敏を持っていて、その過敏を緩和するためにノイズキャンセル機能付きのヘッドフォンを使用して仕事をしています…このことは前回の記事でもお話ししました。

そのヘッドフォンを使用するという「合理的配慮」を受けるにあたって、聴覚過敏がストレスの一因となっていることを自覚する必要があるのですが、ここで疑問がひとつ。

いったい私は何時「聴覚過敏」を自覚したのか?

これをお話ししたことは…ありませんでしたよね。

引用したこのツイート中に表現される「ウォーター!」とは、ヘレン・ケラーが言葉を発見する「気付きの瞬間」という有名なアレです。
「ウォーター!」の前…つまり「自覚」以前の私は、過敏にも気が付いていなかったワケです。

この理由は意外と簡単で、数年前に保守と革新という二大政党が対峙するアメリカ大統領選に絡んで、自らを「保守」と信じて疑わない層の中に、自分自身の困りごとを理解できないが故に「現状の変更」を訴えられない人がいるから…という記事で説明したのです。

詳しい内容はリンクから過去記事に飛んでもらうとしてですね…。

私の父は、大きな音が平気な人だったのです。
その理由は先にお話したように、実家が織物工場であったことが大きな要因としてあるのでしょう。
その一方で、私の母は数種類の工業用ミシンを操る「洋裁のプロ」だったワケで、自宅リビングを洋裁工房として使う都合、私の居場所は常に大音量のミシン稼働音が響いていたのです。
良い悪いではなく、これが私の生活環境でした。

過敏によるストレスは、自覚のある無しに関わらず押し寄せてくるのだと思います。
ところが、そのストレスが掛かる状況下にあることが日常である場合、ストレスの原因に私自身が馴染み過ぎていて、負荷が掛かっていることに気が付かなくなるのですよ。
ほら…家の生活臭って、他所の家に行くと気付くけど、自分の家の臭いって気づかないじゃない?
そういう類の気付かなさは、身の回りにいっぱい溢れているのだと思うのです。
その本来は掛かっているハズのストレスに気が付かないのが、即ち「鈍麻」ということですよね。

私は大音量で音楽を聴くこと自体は苦手ではありませんし、騒がしい場所に行くことも平気です。
ただ、騒音の激しい場所に長時間いるのはストレスなのです。
それは、騒音の中から必要な音だけを拾い出すことに、多くのパワーを要するからだと理解しています。

鈍麻を介さずに過敏の症状が出るのであれば、相当なストレス状態にあると思います。
大概の場合、このような強反応のストレスであれば、自分自身も周囲の方も事の重大さに気が付きます。
でも、必ずしもストレス反応が強く出るとは限らないのですよ。
我慢できるけど、一定以上の我慢になるとストレス反応が出る…水槽のオーバーフローのように、溢れてしまうイメージ。
その我慢があまりに日常である場合、具合が悪くなる原因が見えなくなることは否めません…家の生活臭のように、自分では全く気づかないことも、あり得ると思うのです。

私が聴覚過敏を自覚したのは、ASDの診断を受けてから後のハナシです。
自分の苦手と向き合うとは、ストレスの原因を探すことでもありました。

発達障害を自覚し自認するとは、得意と苦手を確認して行く作業でもあるのだと、私は思うのです。

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