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Episode 633 同じ土俵に立てません。

私の住む本州日本海側唯一の政令指定都市「新潟」は、その玄関口になる「JR新潟駅」の大改修工事中…。
乗り入れる在来線を高架化して、上越新幹線とのアクセスを改善すると同時に万代口と南口をダイレクトに繋ぐ道路を云々…と、見る度に雰囲気が変わっていくのです。
何しろ郊外の自宅から、さらに郊外の職場にマイカー通勤している私としては、駅付近に用事があることは、月一回あるかないか程度のハナシなので、行く度に「へぇ…」って思うのです。
その新潟駅の新幹線ホームに、県内初の「ホームドア」が設置されたらしい…。

大都市圏近郊の鉄道路線では徐々に設置が進んできている「ホームドア」。

ホームドアまたはスクリーンドア: platform screen doors、automatic platform gate)とは、鉄道駅においてプラットホームからの転落や列車との接触事故防止などを目的として、線路に面する部分に設置される可動式の開口部を持った仕切り。

Wikipedia より

私が住む地方都市での普及はまだまだ…ですが、その有用性は多くの人が感じている安全性の観点から明確なのだと思います。
専門ではないので細かな利点について言及しませんが、普及のカギは「単純な事故防止」の視点以外に「福祉的な視点」があることは間違いないのだろうと思います。

2000年の交通バリアフリー法施行により、新設の鉄道路線に設置が原則義務付けられた。既存の路線については努力義務とされたが、2001年に起きたJR山手線新大久保駅での転落事故や、2011年1月の山手線目白駅で起きた視覚障害者の転落事故によって、多方面からホームドア設置推進を求める声が上がり、国土交通省が一定数以上の利用者(乗降客)の駅に対してホームドア設置を求める方針の検討を開始し、既存路線にもホームドアを設置する動きが見られるようになった。

Wikipedia より

私は以前に左利きを題材にして、「専用品の有用有益は、占有物に限りその効果を発揮する」と指摘しました。

実はこの視点は非常に重要で、例えば「点字ブロック」という視覚障害を持つ方の歩行を安全に誘導するために考案されたタイルは、車いすなどのユーザーにとっては路面の凹凸という不利益になり得るといった具合に、特定の問題の解決に特化することは、その他の誰かに不具合を生む可能性があるワケです。

この点においてホームドアの設置は、障害を持つ人持たぬ人…その両者から設置を求める声が上がったという点に大きな意義があると、私は思うのです。

私の思う「障害者『も』住みやすい世の中」は、障害者が自分の権利を主張することだけで達成できると思わないのですよ。
ポイントは、このホームドアの話のように、世の中の主体を形成する多数派にも同じように利益が享受されることにあると思うのです。

前回の記事からの引き続き、クドクドと少数派の権利を主張する過程で多数派の利益を蔑ろにするな…と主張する理由はここにあります。
多数派からの「権利の享受」を受けるとすれば、そこには必ず享受する側とされる側の力関係が発生すると思います。
また、多数派から「権利の割譲」を受けるとすれば、そこに多数派の持っていた権利を手放す不利益が発生するでしょう。
だから多数派にも少数派にも利益を生み出すような革新が必要なワケです。

但し…「利益を生み出すような革新」には時間が掛かるのです。
ホームドアの一例で見れば、2000年の法施行以前からの紆余曲折があり、そこから更に20年以上の歳月が流れて、なお道の途中にあるワケです。
ならば、設置についての努力は継続して頂く必要がある一方で、設置されるまでの間は放置して良い…ワケないじゃないですか。
設置が完了していないホームの危険性は変わらない、だから事故が起きないような「ライフハック」を用意する必要がある…ですよね。

根本的な解決策ではないことは承知の上で、それでも自らの安全を守るための方法を考えることはとても大事なことだと思うのです。
ここで大事なのは、「ライフハック根本的な解決策ではない」と分かっていることだと思うのです。

ここ何回か、私は社会の変化に対しての息の長い働きかけについてお話ししてきたのですが、その一方で今日明日と言った短期スパンの「生活」についてを疎かにして良いとは思っていません。
ただ、短期スパンの「生活」でのハナシは「それはそれ」であって、その短期スパンの話題と長期スパンの話題を同じ土俵に乗せて、息の長い働きかけの話を「即効性がない」ことを槍玉に上げるような意見が出たことに対して、「そうではない」とひと言いいたかったのです。

このふたつの違いに気がつく人が増えると良いな…と、私は切に思うのです。

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