Episode 574 表現するのが下手なのです。
これは私が経験したことからお話しする「私の場合」のハナシであって、一般論ではありません。
それはこのアカウントで書く全ての記事においてそうなのです。
ただ、ASDという発達障害者である私が感じる事実であって、脚色された物語ではないのです。
さて…。
何度も何度も私がするハナシのひとつに「ひと目惚れ」があります。
よくASDという発達障害を持つ人は、「感情がない」とか「感情が弱い」とか言われるようです。
感情が無い…は流石に言い過ぎでしょうから横に置いておいて、感情が弱いについて「本当にそうなのか」と私が聞かれたとき、ちょっと答えに迷ったのは事実です。
「感情が弱い」ねぇ…。
そんなことないと思うんですよね、私としては。
だってさ、エリック・クラプトン氏が歌う往年の名曲「いとしのレイラ」よろしく、パートナーに私の情熱の全てを傾けたのは事実ですから。
じゃぁ、ASDの人もシッカリと強い感情があるのに、何で「感情が弱い」って言われてしまうのでしょうかね…という問いに代わると、私は途端に答えに困るワケですよ。
「本当にそうなのか」と私が聞かれたとき、ちょっと答えに迷った…というのは、そう言うことです。
多分ですけれど、ASDの人は感情の伝え方が下手なんですよね。
「感情がない」とか「感情が弱い」とか言われる原因は、きっとコレです。
これも何度も言っていることなのですが、自閉(ASD)の本質とは「自分の感情をコントロールすることができない」だと、私は思っています。
私とあなたは違う人だから、私とあなたの興味関心が別のものであることは普通だし、それを受け入れなければならないのです。
ところが…ASDの私は、「自分の感情」と「あなたの感情」がぶつかった時、あなたの感情を考慮して、摩擦になる部分を折り曲げる調整ができません。
なぜならば、「自分の感情をコントロールすることができない」から。
自分の感情の全てを丸ごとぶつける(積極奇異タイプ)か、自分の感情の全てを仕舞い込みあなたに合わせる(受動タイプ)か。
平たく言えば、我が道を行く「自己中キャラ」か、自分の意見を言わない「控えめキャラ」か。
社会一般で言われる普通の人は、成長の過程で「心の理論」の獲得と合わせ、あなたの気持ちを慮ることを考える様になるのでしょう。
それは私があなたと違う人間であることから、あなたがどう考えているだろうと想像する様になる…と言うことです。
これは、私が「一人称の私」を獲得していないと出来ないのですよ。
二人称のあなたから、一人称の私の言動を想像することと「セット」だからね。
以前に書いた記事の中には、
という一節があります。
上手く一人称位置の自分を把握できないから、あなたの立ち位置に立っても私が見えません。
そもそも、あなたの立ち位置に立つことが出来ないのですよ。
一人称位置が不安定だから、あなたとの距離感が不安定。
だから苦手を回避するために、あなたと私を見下ろす位置に視点を移し、距離感の概念を削除した…。
一人称位置から二人称のあなたの顔は良く見えます…距離感もね。
でも三人称の俯瞰位置からあなたの顔は見えないでしょう。
それ故にお互いの距離感も測れないワケですよ。
自我を折り曲げるという行為で、あなたと私の距離感は適正に保たれるワケですよ。
この距離感を測ることを放棄すれば、適正な関係を維持することは難しいですよね。
「感情がない」とか「感情が弱い」のは、一人称位置での適切な距離感が掴めないから、相手を傷付けないように自我を仕舞い込み、あなたの意見に迎合するから…。
会話は三人称位置からの一般論になるから、あなたと共に私にも話しかけている感じになりがち。
一から十まで解説したくなるのは、私も一緒に理解するためでもあるように思うのです。
それは一緒に映画を観て、一緒に話を理解していくようなもの。
私の感情はしっかりとあるのです…ASDの私であっても。
問題は、その感情を上手に表に出す術がないこと。
問題の本質は、「感情がない」とか「感情が弱い」ではない…ということを、先ずは認識することが大事なのだ…と、私は思うのです。
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