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Episode 491 「一歩遅い」を悔やむのです。

掛かりつけ医に紹介状を書いてもらって母を大きな病院に連れて行ったものの、母の症状が劇的に改善することはなかった。
当然だ、掛かりつけ医で受けていたのと「まったく同じ」点滴を追加で受けているだけなのだから。
この病院で出来ることは、母の目まいの症状の根本的な原因を突き止めること…つまり、検査だ。
採血や触診・問診にMRIとか、幾つかの検査をした結果、医師から説明された結果は「過労」だった。
心配な病気が隠されている…とかいう問題ではないことに胸をなでおろす一方で、それは「体力の限界まで父と向き合っていました」ということを、同時に意味するということ。
当然、今日の今日で父を家に戻すことは、できない。

施設に連絡を取り、事情を説明して緊急で父の「泊り」を依頼する。
予測できていたこととは言え、現実の話となると、違う感情が動く。

父は「小多機」が水にあった様子…。
施設替えで心配した父の「デイサービスの状況」は順調で、それまで嫌がっていた施設での「入浴」もアッサリ受け入れるようになって、母の家での「仕事」がひとつ軽くなったようでよかった…と私は胸を撫で下ろすのです。
ただ、その一方で「夜間の大変さが解消されたワケではない」というあたりの不安は、なくなってはいなのです…。

父が施設に慣れてくるに従って考えなければならないのは、如何に泊まり(ショートステイ)を受け入れてもらうのか…ということ、それは当事者である父はもちろん、介護者である母の負担を考えればこそなのです…が。

気が付けば今年の長い梅雨を過ぎ、一気に猛暑が押し寄せた8月半ば、旧盆を迎えいました。
施設での状況が順調というのは「とてもありがたいこと」で、安定しているからこそ郷里の家での両親の生活にも余裕が生まれるワケです。
ただし、この安定の背景には「季節」が大きく関係していて、夜中のトイレが頻回でも、暑くて寝苦しい季節に紛れられたのです。
それは「暑くて目が覚めて…トイレ」ということだと、介護者から見て、当事者の目が覚める理由がボヤけるのだということ…そういうことでしょう。
さらに言えば、布団から起きてトイレに行くのに「寒さ」は感じない…時期的にね。
母の気が緩んでいるのはハッキリとわかるほど…「このまま家で看られるかも」って。

でもね、自宅介護ってそれほど甘いモノではないのですよ。
夏野菜の季節が過ぎた頃から、日中は汗ばむほどでも日が落ちると肌寒く感じるようになってきます。
夜が寒くなればなるほどに、自宅介護は難しくなる…居室も、廊下も、トイレも、一晩中暖かな施設とは違うのですよ。

郷里の家での介護にリズムが出て、ちょっと自信が付いた母は、頑なに「泊まりの介護(ショートステイ)」の介護を拒みます。
「まだ、できるから…」って。
母の意見を尊重してデイサービス重視の小多機を選択したものの、その裏にはショートステイの利用を勧める私の意見もあるワケです。

そして…流石に寒くなってきた10月も半ば、「その日」はついにやってきてしまうのです。

「目が回って起きられないの。」
そんな電話がかかってきたのは、10月も半ば過ぎの平日の早朝のこと。
まだ薄暗い午前5時過ぎ、電話の相手は私の母。

11月から週1回のショートステイに行ってもらい、泊まりに慣れていってもらう…その説得がようやく出来た直後のことでした。
介護の話が、どれもこれも一歩遅い。
デイサービスの提案も、夜の大変さの察知も、ショートステイの提案も。
それぞれの出来事の察知が、もう半年…いや、もう3ヵ月早ければ、大ごとになる前に対応できたのかもしれない…。
暖かく介護しやすい夏場までに「ショートステイ」を始められれば、寒さが気になる秋が深まる時期に立ち行かなくなることはなかったのかも…。

私はここにきて、またもやASD的なコミュニケーションの弱さを実感するのです。
わかっていてもできない、弱い部分が聞き出すタイミングを逃す。
そしてコミュニケーションが弱いがゆえに、頃合いの判断を逃して失敗する。
人が共存するには、物理的・具体的に「起きてしまったこと」や「起きるだろうこと」の判断だけではダメなのだということを、私は改めて突きつけられるのです。
人の共存は、会社でいうところの「問題解決型マネジメント」ではなく、「問題予測型マネジメント」でもないのです。
私はこの体験でそんな当たり前のことを改めて思い知る、苦い経験をするのです。


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