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生きるには、君の心を踏みにじるほかなかった。

自らそうしようと思って人の心を踏みにじった経験のある人って、一体どのくらいいるのだろう。

その日はよく晴れていました。忍び寄る冬の気配に人間よりも早く気付いた木々たちは、寒さに備え少しずつその身を細めていました。

そんな自然のつつましさとは裏腹に、私の自尊心はどんどん肥え太っていました。

中学時代、周囲とうまくなじめなかった私は、その日その日を生きることに必死で他者の心に関心を持つ余裕はありませんでした。

中学生になり、ダメになった私

小学生のころは楽しかった。生まれた環境や性別なんて関係なく、気が合えば一緒になって笑い合えた。そこにはいかなる種類の線引きも存在せず、ただただ自由でした。

しかし、中学に入ると、まるで見えない国境線が引かれてしまったかのように、いくつかの集団に分断されてしまいました。

他の集団に属した友達とはどんどん疎遠になってゆき、私自身も自分のコミュニティーの中で生活することを好むようになりました。

一度固定化された線引きを跨ぐことは容易にはできず、その際にはなにか特別なパスポートのようなものが必要になりました。

私が所属した集団は非常に小さく、地位も低いものでした。

よく家の前の公園で遊んでいた男の子は、中学に入るとその学年の番長クラスになっており、私たちの集団には見向きもしないようになりました。

毎日のように一緒に下校していた女の子は、香水をつけ始め、知らない大人の匂いを漂わせていました。それから間もなく、彼女は一学年上の先輩と付き合い始めました。

かつての友達と疎遠になっていったことは寂しかったですが、それでも同じコミュニティーの仲間と楽しく過ごすことができれば満足でした。

ダンスがきっかけで中学校生活が変わる

私たちの集団は、あか抜けていなくてダサい、という印象を持たれていました。

仲間の何人かはいじめのような行為の標的になることもありました。

そんな中、私だけは悪口を言われることもなく、理不尽なことをされることもありませんでした。

それは、兄の存在のおかげでした。兄は二学年上ですが、私とは違い人気者の目立ったグループに属していました。

体格も大きく身体能力も高かった彼は、生徒からも教師たちからも一目置かれる存在でした。

そのため、私はことある度に「お前のお兄ちゃんは○○先輩だからな」と許されてきたのでした。

そんな兄がある日、『ユーガットサーブド』というブレイクダンスの映画を借りてきました。

私はその映画のワンシーンで映されていた「アニメーションダンス」の虜となりました。

夢中になった私は、ムーンウォークやウェーブといった技をYoutubeで学んでは練習する日々を送りました。

学校でも暇なときは練習し、仲間に見せては感想をもらって改善するようにしていました。

そんなある日、私がダンスをしている様子を別の集団の男子が見ていました。当時、アニメーションダンスというのは世間に浸透しておらず、かなり珍しいダンスでした。

その男子は、「お前すごいな! どうやってやるんだそれ」と興奮した様子で聞いてきました。

今思えば、この時が私の中学校生活の分岐点でした。

それからというもの、私のダンスの評判は広まっていき、これまでそっけない態度を取っていたかつての友達からも「みせて!」と頼まれるようになりました。

学校以外でも、塾でダンスを披露し、違う学校の人とも仲良くなりました。

塾の合宿では、違う中学の女子集団の中から一人の女の子が恥ずかしそうに近寄ってきて、「あの、かっこいいですね」と言われることもありました。

ダンスを始めたことで、私の学校生活は少しずつ変わっていこうとしていました。

あの日、私はかつての仲間を裏切った

今まで「どうでもいい集団の一人」だった私は、急に周囲の反応が変わったことで有頂天になっていました。

次第に新しく仲良くなった集団と遊ぶようになり、いつも一緒にいた仲間と過ごす時間は減っていきました。

そんな私を見て、仲間たちは「よかったじゃん」と言いつつも、なんだか不満そうな表情でした。

当時の私は傲慢になっていたため、「俺がうらやましいんだな」ぐらいにしか思っていませんでした。

しかし、今振り返れば彼らの心情は私の想像とは違ったものであることが理解できます。

そんなある日、ふとしたことから私と仲間たちとの間に決定的な亀裂が生じることになります。

その日は中間試験の2日目で、学校は午前中で終了となり早めに帰宅できることになっていました。

その帰り道、ダンスを通じて仲良くなった友達と歩いていると、いつもの仲間たちと遭遇しました。

私は少し気まずい思いでしたが、彼らは気さくに声をかけてくれました。

それを見た隣の友達は、「オタクが調子乗ってんじゃねぇよ」というような態度で仲間たちをバカにし始めました。

そして、仲間のうちの一人を歩道の植木に突き飛ばしました。

私は思わず駆け寄ろうとしましたが、友達がそれを制し「○○もやってみろよ。面白いぜ!」と言いました。

私はこの時岐路に立たされていました。

仲間を助ければまた元の生活に戻るかもしれない、友達の言うように仲間を突飛ばせばもう元の生活には戻れない・・・。

仮に突き飛ばしてしまえば、それはただのおふざけではなく、仲間を切り捨てるという重大な意味を持つ行為になってしまうからです。

私は悩みました。この場から消えてなくなりたいと思いました。でも、目の前には二つの選択肢がこちらに迫っていました。私にはそれがどちらも自分に向けられた銃口のように思えました。

そして、そのうちの一つを選び引き金を引いたのです。

その時の仲間たちの表情は一生忘れません。おそらく死ぬ間際まで鮮明に覚えていると思います。

人の心を踏みにじって得たのは”孤独”だった

それからというもの、物事は私の想定した通りに進んでいきました。かつての仲間たちとは話す機会もなくなり、新しい集団とつるむようになりました。

しかし、新しい集団では楽しく遊ぶというよりも、虚栄心で張り合う、という雰囲気が流れており、一緒に過ごしていてもあまり楽しくありませんでした。

私は時折、かつての仲間たちのことが恋しくなりました。見栄や威勢を張ることなく、自由に笑い合えたあの日々はもう戻ってこないのです。

これまで私を縛り付ける鎖だと思っていた彼らとの関係は、とても大切な絆だったのだと思いました。

結局、中学を卒業するまで私は孤独な感情を抱えたままでした。

高校に入ると、私はこれまでの人間関係をほぼ断ち切りました。自分の身勝手さを毎晩のように後悔し、かつての仲間たちが一刻も早く私のことを忘れてくれるよう祈りました。私の存在も。私の裏切りも。

人の心を踏みにじったことの代償は、とてもとても大きなものでした。

”本当に大切な存在”とは何かを忘れない

高校生活の中で、こんな私にも気を許せる仲間ができました。

彼らはかつての仲間のように、見栄をはることも張り合うこともなく、ただ存在自体を優しく受け止めてくれるような、そんな人たちです。

紆余曲折あったものの、彼らとは長い年月が経った今でも深い関係にあります。

あの日と二度と同じことは繰り返さないよう、私はこの関係を大切にしていこうと思い続けています。

今、世界はコロナの影響でより一層”人と人との関係”が重要になってきています。

テレワークや外出自粛の影響で一人で過ごす時間が増え、孤独感を抱く人も少なくないでしょう。芸能界でも信じられないようなニュースが相次いでいます。

そんな中、悩みを共有でき、背中を押してくれる存在が一人でもいればどれだけありがたいか。

私のこの拙い経験談が、誰かの”大切な人との絆”を再確認させるきっかけになればと心より願っています。



大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。