【ちょっと一息物語】見知らぬ公園とピエロ
【ちょっと一息物語】は、その名の通りコーヒータイムや仕事の合間、眠る前のちょっとした時間に読んでいただけるような短い物語です。今夜は、主人公が見知らぬ街の公園に迷い込んだところから始まる物語です。それでは、ゆるりとお楽しみください。
気づけば辺りは夕暮れで赤く染まっていた。
見知らぬ街だというのに、夕暮れというのはなぜだか懐かしい気持ちにさせてくれる。かつてこの街でなにか大切な経験をしたような、人生の宝物が眠っているような、そんな気になる。
つい今しがた、私は仕事を終えてきたところだ。今朝早くにこの辺鄙な街に出張でやってきて、こじんまりとした喫茶店の店主に約束のものを手渡し(それは郵送ではなく手渡しでなければならなかった)、食事の誘いを断ってフラフラと歩いているうちにここにたどり着いたのだ。
目の前には10年くらい使われていないように感じる古めかしい公園があった。塗装の剥げた必要最小限の遊具がいくつかあるだけで、他にはなにもなかった。遊ぶ子供すらいなかった。
夕日で赤く照らされているその公園は、なんだか別世界の物語の舞台のように思えた。
私は歩き疲れていたこともあり、少し公園でゆっくりすることにした。帰りの新幹線の時間まではまだ余裕がある。たまにはこういうノスタルジックな風景の中で物思いにふけるのも悪くない。
公園には小さいベンチがいくつかあったが、私はなんとなくブランコに腰かけた。子供用に作られているため少しお尻が窮屈だが、我慢できないこともない。ブランコに座るなんて何年振りだろうか。子供のころは毎日のようにブランコで遊んでいたな。
私はおもむろに鎖を握りしめ、思い切りブランコを漕いだ。重力に逆らって体が宙に浮かぶ。目の前に真っ赤な空が広がっている。
「あの頃は幸せだったな」
誰に言うでもなく、私はつぶやいた。そして少しずつ勢いを強めながら、何度もブランコを漕ぎ続けた。ブランコって大人になっても結構たのしいな、と思ったそのとき、誰かのため息が聞こえた。
私はブランコに揺られながら周囲を見渡した。しかし、誰もいない。気のせいか、と思ってブランコに意識を戻そうとすると、またもや「はぁ」とため息が聞こえた。これは気のせいなんかじゃない。もう一度周囲を見渡す。すると隣のブランコに派手な衣装を着たピエロが座っていた。
シュールすぎるその光景におどろいた私は、バランスを失って頭から地面に落ちた。
「あ、大丈夫ですか?」
ピエロが手を差し伸べてきた。私はピエロの全身を注意深く眺めた。衣装も化粧もまるで映画に出てくるような立派なピエロだった。
私は「すみません」と言いつつピエロの手を握った。ピエロは想像していたよりもかなり強い力で私を引き上げた。
ピエロは私に軽く会釈をして、再びブランコに腰かけた。そして先ほどよりも大きなため息をついた。
私もブランコに座りなおした。今度はブランコを漕がずにじっとしていた。またピエロが大きなため息をつく。まるで「事情を聞いてくれ」と言っているようだった。
他人に干渉するのはあまり好きではないが、私は仕方なく「あの、どうかされたんですか?」と聞いた。
するとピエロは目を輝かせて「聞いてくれますか?」といった。私はうなづいた。今日はへんてこな日だ、と心の中で思った。
「子供たちが、来んのです」
「子供?」
「ええ、子供です。私は自分で言うのもなんですが、昔はわりと人気のあるピエロでした。私をモデルにした漫画も描かれたことがあるし、テレビに出たことだってある。まぁ、40年以上も前の話ですけどね」
ピエロは衣装のどこかからタバコを取り出して「あ、失礼。吸ってもいいですか?」と私に聞き、返事を待たずに火をつけた。ピエロが吐いたタバコの煙はもくもくと立ち上り、夕暮れの空へと消えていった。
「私はなによりも子供たちが喜ぶ姿を見るのが大好きでした。だから精いっぱい頑張りました。だってそうでしょ? 私はピエロなんだから」
私は「はぁ」と相づちを打った。
「自分を脅かすさまざまなものに負けないように努力を続けました。しかし、努力もむなしくオモチャやらゲーム機やらが子供たちを奪っていきました」
ピエロはタバコを長めに吸った。ジジジ、と巻紙が燃える音がした。
「だんだんと私に会いに来る子供たちは減っていきました。そしてついに、10年ほど前から誰一人来なくなってしまったのです。笑えるでしょ? 私は子供たちのために存在するのに、その子供たちからは必要とされていない」
ピエロはおどけるように顔をしかめたが、化粧の下では笑っているのか泣いているのか判断できなかった。
「まるでこの公園のようですね」と私はなんとなく言った。
ピエロは「そうなんです!」と興奮したように立ち上がった。
「この公園も昔は子供たちの笑い声であふれていました。あまりの盛況ぶりに、暇な老人から近所迷惑だとクレームを入れられるほどでした。それが今ではこのありさま・・・」
塗装の剥げたブランコの支柱をなでながらピエロは言った。私は疑問に思っていることを口にしてみることにした。
「あの、なぜあなたはこの公園にいるのですか? 子供たちに会いたいなら、もっと駅前とか繁華街に行けばいいじゃないですか」
ピエロは寂しそうに首を振った。
「いえ、私はピエロ。子供たちから求められて初めて存在するのであって、自分から子供たちを探しに行くことはできません」
私はピエロの言っている意味がよくわからなかったが、とりあえずピエロの信念に関わる話なのだろうと思うことにした。
「そして、あなたが言ったように私にはこの公園が自分のように思えるのです。子供たちが遊ぶために作られたのに、すっかり忘れ去られてしまって静かに錆びていく。時間がたてばたつほど壊れやすくなるのに、ただじっと待っているしかない」
遠くの方で「やきーいもーやきーいもーいしやーきいーもー」と焼き芋の販売を知らせるアナウンスが流れている。
「私がこの公園にたどりついてからはや10年。今日に至るまで誰一人として訪れるものはいなかった。だから、私は思ったのです。次に誰かが現れたらその人に全力のパフォーマンスをして、引退しようと」
「それって」
「そう!記念すべき私の最期のお客さんはあなた! 本当は子供が良かったけど仕方ない!さぁ私のショーをとくとご覧あれ!」
ピエロが大きな声でショーの開幕を告げると、あたりが急に暗くなりはじめた。先ほどまで目に見える位置にあった太陽が、すっかり沈んでしまっている。
この公園には外灯もないため、真っ暗で周りがよく見えない。必死に目を凝らしていると、突然無数の明かりがともった。いつのまにか、公園全体に装飾が施されていた。
「さぁ、まずはアフリカゾウのカノンちゃんの登場だ!」
ピエロが指をパチンと鳴らすと、どこからともなく本物の象が現れた。象は特有の鳴き声を出し、前足を上げて二足歩行で歩き始めた。
「さあさお次は、スピードスターの異名を持つ神風ライダーだ!」
今度はどこからともなくバイクが走ってきた。ものすごいスピードで目の前を通り過ぎ、滑り台を逆から登ったかと思えば、ぐるりと一回転して着地した。
「そしていよいよ主役の登場だ!百獣の王、アイアン・ライオン!」
地面が震えるような低い咆哮が聞こえる。突然ジャングルジムが炎に包まれる。そしてその炎の中から鎧を着たライオンが飛び出してきた。
「私も負けてはいませんよ!」
今度はピエロが大玉に乗りながらジャグリングをはじめた。が、3秒ほどで大玉から転げ落ちてしまった。
「いやーまいった!ドジはいつまで経ってもなおりませんね!」
ピエロの何とも言えないコテコテの演技に、私はいつの間にか笑顔になっていた。
「失敗したままでは終われませんから、最後に私からプレゼントを差し上げましょう!さぁ、上を見上げてください」
ピエロは空に向かって指をさし、私はその先を見上げた。そこには一面、銀河が広がっていた。今までに見たことのないような数の星が輝いている。私は思わず息をのんだ。
「満足していただけましたかな?」
ピエロは得意そうに私に尋ねた。私は頷いてピエロのほうを見た。しかし、そこにはもう誰もいなかった。無数の光も、炎に包まれたジャングルジムも、象もライダーもライオンも、跡形もなく消え去っていた。
気づけば辺りは夕暮れに戻っていた。先ほどより少し日は落ちているが、まだ夜にはなっていない。
私はもう一度公園を見渡した。しかし、そこには静寂が広がっているだけだった。
「夢、か」
どうやら今日は遠出をしてきたから疲れてしまったらしい。公園で眠ってしまうなんて、初めての経験だった。
時計を見ると帰りの新幹線の時刻が迫っていた。私は急いでブランコから立ち上がり、公園を立ち去った。
公園を出るとき、夢に出てきたピエロの声が聞こえた気がしたが、おそらく気のせいだろう。
私は新幹線に遅れないよう、全速力で駅へと走り出した。
大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。