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『我が名を呼べ、そして祈れ 1』

※BL小説


 少年は光の領域の中に跪いていた。
 夜更けの教会の内部は、多くの部分が漆黒の闇に覆われていた。正面祭壇の後方高くのバラ窓と側面の細長い高窓のステンドグラスを通した青みがかった五色の光が、少年の姿を儚い幻のように浮かび上がらせている。
 昼間であれば、この古い教会の誇る美しいステンドグラスが描き出した聖人の生涯を見ることが出来たであろう。そして、少年の顔が高窓に描かれた跪く聖告の天使の顔によく似ていることにも気付いたかも知れない。
 しかし今、月の光が差し込む色硝子は色彩も曖昧に青ずんで、それらの像はあまりにも朧であった。そして仮に全てが鮮やかに見えたとしても、白い顔を伏せて一心に祈る少年の気を引くことはなかったに違いない。
 少年の項垂れた頭の遙か上で、尖頭アーチを形作る高い天井の装飾的な畝が、複雑な模様を織りなしている。少年の膝が着いている冷たい石の床には、月光が戯れに描き出したような光の中に、少年の影が細長く映し出されていた。

 少年の後方で教会の扉が開く重々しい音が響いた。
 少年は怯えたように、ハッと振り向いた。
 背の高い男が、こちらに向かって歩いてくる。黒ずくめの服装で、襟の高い黒いマントを身に纏い、フードをかぶっている。ブーツに包まれた長い脚が石造りの床を歩くたびに、カツカツという音が反響した。
 マントのフードに半ば隠れた顔は、闇に沈んでよく見えないが、フードから零れた長い髪は夜のように黒かった。近づいてくるしなやかな身のこなしで、若い男だということだけが分かった。
 男は、少年から離れた位置で立ち止まった。
「こんな夜更けに、何故こんなところに一人で来た?」
 石造りの教会内に、男の声はよく響いた。その声を聞いた少年はぶるっと身震いをした。まるで突然鳴り出した教会の鐘の音に驚かされたかのように。
 それは美声と言うより非常に印象的な声だった。微かなビブラートを含んだ、体のデリケートな部分を絹で擦られるような、聞いている者の心をざわめかせる声。
 その声につり込まれるように、相手が見知らぬ男だと言うことを忘れて少年は答えた。
「夢を見たのです」
 男は少年をじっと見つめた。白い夜着の上に薄手の上着を羽織っただけの少年は、ベッドから抜け出しその足で教会に来たのではないかと思われた。その清らかな顔は、淡く輝く金褐色の緩い巻き毛で縁取られ、青く大きな瞳は不安げに見開かれている。
「どんな夢を?」
 少年の顔に葛藤の色が浮かんだ。話すことをためらう気持ちと、全てを洗いざらい話してしまいたいという欲求との間で揺れているようだ。
 やがて、少年は語りだした。
「しばらく前に、僕は物置小屋の床板の下から、古い美しい箱を見つけました。入っていた手紙の宛名から、曾祖父の形見だと思います。その中に一枚の小さな肖像画が」
 そこで言葉が闇に吸い込まれたように少年は押し黙った。その先を語ることを恐れるかのようだった。
「誰の肖像画だ」
「分かりません。ただ、手紙の差出人が全て同じ人だったので、その人の絵ではないかと思います。……その絵が頭から離れないのです。こうして目を開けていても、僕の目は心の中に映るその人の面影だけを見ているのです。僕はどうしてしまったんでしょう? 僕が生まれるよりずっと昔に亡くなった、しかも男の人に、まるで」
「恋をしているように?」
 男の声が風に揺れる柔絹のように、少年の無垢な体をふわりと撫でていく。少年は未知の感覚に戸惑い怯え、身を震わせた。

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