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『蝉の唄 6』
※BL小説
視界が潤み、裸の背中が滲む。
「聡ちゃん、待って」
行かないで。
なかったことにしないで。
僕が魔法の言葉を信じられるようになるまで、好きだと言って。
振り返った聡は哀しい諦めを包んだ苦い笑いを浮かべていた。
「従兄同志で男同士……親にも友達にも、誰にも言えないだろう。弟みたいなお前に対して汚らわしい欲を隠してきた俺なんか、触るな、帰れ、それでいいんだよ。そうやって突き放してくれた方がまだ残酷じゃないってこともあるんだ」
恋しい相手に欲望を感じることは汚らわしいことなのだろうか?
掌で、肌で、熱く滾った心と体の全てで、相手が自分を拒否しない心を抱いてそこにいることを確かめたいと思うことは、誰にも言えない罪深いことなのだろうか?
「……お前といると、俺はおかしくなるんだ。キスしたり抱きしめたり、もっとお前が怖がるようなことだってしたくなる。ここにいたら、俺、また何をするか分からないぞ」
もっと僕が怖がるようなこと。
それでも構わない。
僕だって、想像した。好きだって言われること、今度こそ触れられることと愛されることがイコールだと感じられる瞬間のこと。
戯れではないと、僕のことが好きだと言ってくれたから、だから、今度こそ、きっと……多分。
「いい、何されてもいい」
「意味が分かって言ってるのか」
押し殺した声は少し怖い。それでも、僕は涙が零れてしまわないように瞬きを堪えて頷いた。
「……僕、ずっと待ってた。聡ちゃんから連絡来るの、待ってた」
喉がせり上がり、声がうわずる。聡が息を止めて、大きく目を瞠った。
「和希」
抱きしめてきた裸の胸は、僕のものより広くて厚い。だけど、激しく鼓動を打っているのは、僕と同じだった。
そのことが少しだけ、僕を安堵させる。
「多分俺、今夜もお前のこと泣かせると思う」
「もしも泣いたら、泣きやむまで側にいて」
二つの鼓動と息遣いが一つになった時、ずっと堪えていた涙が一筋、僕の頬を濡らした。
窓辺に二人で腰掛けて、巨大な黄身みたいな太陽が家並みの向こうに完全に沈んでしまうのを眺めた。
先程まであれ程火照っていた肌が、夕風に鎮められていく。
僕は産まれて初めて、人の肌の熱さと心地よさを知った。そして、随分と大人に思えていた聡が自分と一つしか違わない少年なのだということと、それでもやはり聡の方が僕より随分大人であることを、言葉ではない方法で同時に知ったのだった。
「やっぱり泣かせちゃったな」
部屋を出ていこうとしていた時にはあれ程張りつめていた聡の声と視線が、今はくすぐったいほどにまろやかで甘いものに変わっている。
初めて性的に拓かれた体はやはり多少の痛みを感じたし、それ以上に、身の置き所がない恥ずかしさに揉みくちゃになった。
まだ過敏に過ぎる心と体には全ての愛撫や摩擦が強烈に過ぎて、僕は何にすがっていいのか分からずに空で手を掻いた。そんな時、聡はしっかりと僕の手を握りしめてくれた。その手の温もりは、幼い頃に僕の掌をしっかりと握りしめて先に立って歩いてくれた、今よりずっと小さい聡を思い出させた。
痛かったり怖かったりして泣いたわけじゃない。幸せ過ぎて泣いたんだ。
聡はそんな僕の涙を指で拭い、舌で舐め取ってくれた。聡の触れ方があんまり優しかったから、僕の頬は新しい涙でまた濡れることになったのだった。
「聡ちゃん、今幸せ?」
「うん。幸せだ。言葉にできないぐらい、幸せ」
この身体で聡を幸せにすることができることを知って、僕も幸せだ。触れてくる肌や欲望の熱さに、強く求められていることを実感できた。
僕は、汚されたのではなく清められたのだ。いつまでもかみ砕けずに口の中に残っていた去年の出来事が、もっと喜びに満ちた今の出来事に上書きされて、綺麗に消えていた。
「俺さ。何度も電車に乗ってここの駅まで来たんだよ」
思いがけないことを聡が言った。
「一言だけでも謝りたくて。それに、一目でも顔が見たくてさ」
「何でうちまで来なかったの?」
「お前に嫌われただろうと思ったら、足が竦んで駅から動けなかった。決定的な一言を聞いてしまえばそれで俺達は終わりだって思ってたからな」
「僕も何度も駅まで行ったんだよ。もしも聡ちゃんが来てたらってどんなにいいかと思って」
聡は、愛しいものを見る目で僕を見つめてから、たまらないというように僕の身体を抱きしめた。
「俺、何度も逢いに来るから」
「うん」
「冬休みは、お前が俺んとこに遊びに来てもいいな。東京、案内してやる」
「うん」
それでもこの先、圧倒的に長い会えない時間が横たわっていることを意識してしまうと、心が沈んだ。
一緒にいたい。
明日からまた離ればなれになるのは辛い。
「聡ちゃん。僕、東京の大学受験したいって、父さんに言ってみる」
「本当か? そうなったら最高だな! そうしたら、後二年半後には毎日会える」
「うん。頑張る」
「俺浪人しようかな。そしたら和希と同じ大学に同じ学年で行けるな」
「ダメだよ。伯父さん達に申し訳ないよ。ちゃんと現役合格目指してよ」
僕が慌てて言うと、聡は笑った。
そして聡は、なりたての恋人である僕に恋人同士のキスをした。
空気を滲ませるようなヒグラシの声もいつの間にか戻ってきていたが、もうそれは僕を責める声ではなく、まるで僕たちを祝福してくれている唄のように聞こえた。
〔了〕
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