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病院に行って病気になったお話

昨日は散々だった。病院に行って病気になり、当の目的だった胃カメラはやらずに帰ってくる羽目になったからである。しかも、支払った医療費はその新しい病気に関わる検査代だったというおちである。

まず、11月の下旬ごろから腹の調子が悪かった。ただ、同類の調子の悪さは20代の中後半から時間をおいては繰り返しているものであり、原因は無理な飲み食いによるものであることが多い(それだけではないが)。忘れもしない最初の痛みはドイツのグライナウで冬を過ごした時だった。あの時は保険を使ってドイツの医者にかかったのだったが、サッカーボールほどはあろうかという大きな手でエコー検査をしてくれ、胃にガスがたまっているから食事に気をつけよ、と言われて終わった。確かに水の代わりに毎日ビール(100円ショップみたいなところでビールが水よりも安かったんだ)、ほか脂っこいものばかり食べていたからそれもそうかと納得し、言われた通りに食事を改善するとほどなくして痛みは治まった。同類の痛みはその後も散発的にあったが、我慢できるものであることが多く、記憶にあるかぎり次に我慢の限界を超えたのは留学最初のミッドランドに着いてからすぐのことである。食事が原因かストレスかはわからないが、このときも我慢ならない痛みが少し続いたのを記憶している。どうやって対処したかは忘れてしまったけれど、これも学期が始まる前に治ったのではなかったか。当時はまだギリギリ20代であった。実に数年ぶりの痛みだったことになるが、30代になるとそれがある程度頻発するようになった。それでも1年以上の間隔があったと思われる。そして四十代に近づくにつれその間隔が一年未満になっていったという感じであろう。たまになら許容できる痛みでも、暴飲暴食の度に頻発させるようではたまらないので、40前の時に薬局に寄って胃腸薬を買ってみることにした。私にとってこれは珍しいことで、歯医者以外ではどんなに調子が悪くても病院や薬に習慣的に頼ったことがない。病院にかかるときは一時大変悪くなって心配になって医者にかかるもそのころにはよくなっているといったことばかりだった。もとい、漢方薬やらその他の薬をいろいろ試した結果、なぜかその痛みがキャベジンを飲むと完璧に治まることに気が付いた。かのガスター10(だったか薬剤師に頼む必要がある薬)よりも効くのである。実に長い旅だったが、そうして人生で初めての常備薬を持つことになった。とはいえ、それ以降も健康に注意せずに飲み食いして悪くなれば薬に頼るということはなく、どうしてもダメな時に飲んでいた。

これまでもこれからもしばらくは、そうやってキャベジンに頼る生活を続けていくつもりだったが、家族ができ、子どもができて事情が変わった。要するに自分の健康悪化や死によっても責任が生じることを自覚しはじめたので、これを機に、遅ればせながら、今回もまた腹の調子がまた悪くなったことだから(昨年の11月の終わりごろから)、ちゃんと医師に見てもらって原因を調査し、今後の対策をたてようとおもった次第である。

12月中旬に地元の総合病院に嫌々かかって、血圧、体温、嫌いな注射やらなんやらやって(採血、しかも感染症の検査だけが目的の)、結局胃カメラをやるということになった。担当の若い医者が先一週間はいっぱいだというので、クリスマス25日の朝から予約を入れてもらった。そして25日の朝、胃カメラの時は運転してはいけないというので、朝9時半に家族に車で病院まで送ってもらい、時間通りに消化器内科で名前を呼ばれた。新しい病気になるまでこの時点であと3分といったところだっただろうか。診察室の横にある細長い狭い廊下みたいなところにある壁際のベンチに座らされ、腕にまた注射針を刺され(何回刺したら気が済むねんホンマ)、口に麻酔液を含まされた。胃カメラをやったことがある方ならよくご存じのことと思うが、歯医者でよく使うキシロカインという麻酔を口に含んで喉あたりを麻痺させるためである。口にその液体を含んでから、しばらくそのままでいてくださいと看護師に言われたので、口を開けたまま多少上を向きながら、飲み込んではまずいなと注意しつつ、いつまでやるんだろうかと思いながら、だんだんとのどの奥が麻痺してくるのを感じていた折、若干気分が悪くなったような気がしたものの、あと少しなら我慢できるかと思って、そうとかしことか考えている矢先に突然気を失ったらしい。

意識が戻ると誰かの声がする。目を開けるとぼんやりしている。自分がどこにいるのか、それがいつなのか思い出せない。先述のように病院にはめったに来ないので、何かのはずみで最近の記憶を失うと、過去と今がつながらず、現に今自分が存在している時間と空間が判別できなくなるのである。今になって思うに、この時に一時的に記憶を失ったのは頭を強打したからかもしれない。かすんだ視界に擦れる布が見え(しゃがんだ人の足足)、意味は解せないがいくらか人の声がする。自分が胃カメラのために病院に来たことを忘れているので、取り囲んでいるらしい人々が誰なのかもわからない。このときの状況としては、ベンチのある廊下に倒れこんで右の頬を突っ伏している私の周りに、看護師が何人か駆けつけていたようである。話しかけてくる声の意味が次第に理解できるようになってくると、ある一人が「吐き出していいですよ!」と言っている。おそらくこの言葉の意味が分かった時に初めて正気に戻ったようである。自分の口に麻酔を含んでいたことさえ忘れているので、吐き出すにも自分の口に異物を含んでいるという前後関係を思い出せないと合点がいかない。ゆうて何を吐き出すねん、という感じになる。口に含んでいた麻酔液はすでにいくらも床に垂れこぼしていたが、残りを口から吐き出し、私はとっさにこう言った。「思い出した」。それを聞いた看護師は「思い出した!」と応えた。

看護師の話によれば、私が意識を失い、ベンチから崩れ落ちて、右から倒れこみ、頭で床に打ち付けたのを目撃していたという。まともに頭を打ち付けたらしく、かばおうとしたが間に合わなかったらしい。胃カメラでこのような事態になるのは珍しいのか、担当らしき看護師も医師も驚いていた。中でも担当の看護師は自分の責任を感じているらしく、動揺していた。私は数人の看護師に両脇を支えられて隣室に運ばれ、担架に乗せられ、そこで多分点滴をはじめた。しばらく様子見となっている間、何人か医師がやって来て、私にいくつか質問した。「確かに顔色悪いね」「気分悪いですか」「吐き気はします?」「歯医者の麻酔でアレルギーでたことあります?」「今日は朝から疲れてました?」。私は朝から疲れてない、アレルギーでたことない、吐き気はしない、などと続けた。失神して倒れ、頭を強く打ったので、だれか連絡のつく家族に連絡してほしいと言われ、今朝車で送ってくれた家族に急遽電話することになった。腕を持ち上げて電話をするのも多少骨が折れた。家族は別の予定があったにも関わらず病院に呼び戻され、私の「病状」について担当の医師から説明を受けた。すると、先ほどの問答は特に影響しなかったらしく、私はもともとキシロカインにアレルギーがあり、今日は朝から疲れていたので倒れた、みたいなストーリーに落ち着いていたらしい。

その後、頭を打ったということで頭のCTスキャンかなにかをやりにいき、心電図を取りにいった。確かにまだ自力で立てる気はしなかったものの、ついさっきまで健康体だったでかい身体が院内を担架で運ばれるのはどこか恥ずかしかった。病院の迷路をぐるぐる、見えるのは天井ばかりで世界が新鮮だった。CTスキャンの部屋では、運ばれた担架から別の台に乗せ換えられなければならず、隣り合わせの担架を移動するくらいなら自力でやれそうなものだったが、動くなと言われたので、私よりははるかに華奢な看護師二人に身を任せて、するりとCT用の台に移し替えられた。なんだか恥ずかしいのである。心電図の部屋ではいろいろピタピタ体に貼られ、測定の間中、幕を介して隣にいるらしい別の患者に医師や看護師らしき人々がはなしかけるのに聞き耳を立てていた。それが終わると今度は車いすに移動してほしいというので、これは自力で移動した。まだ何かのはずみで脱力しそうな気がしていた。多少のことで息が切れた。

消化器内科に帰った時点では、私の処遇はまだ決まっていないようだった。しばらく待たされた後、家族に病状を説明し終わった医師が私のところにきて、「キシロカインにアレルギーがあるならあると言ってもらわないと困る」と半泣きで告げ、「うちのカルテにはアレルギーについて書いておくが、ほかのクリニックかなんかで胃カメラやるんならそれを告げるように」と言った。そして胃カメラは中止となった(「別にやらなきゃいけない検査じゃない」byドクター)。キシロカインってなんです、まあ言い返すのも面倒なので、そういうことにしておけばよい。ところで、最後の言葉からわかるのは面倒だからもう来ないでというところか。世話になった看護師にはお礼を言い、家族に付き添われて会計に行った。かなり待たされた挙句、会計番号が表示されて支払いにいくと、請求は7000円弱だった。明細を見ると、CTスキャンやら心電図の料金が明らかに含まれていた。

つまるところ、病院に行って病気になり、その病気の検査代を払って帰ってきただけで、最初の目的であった胃カメラはなかったことになった。先述の通り、医師によれば、私は麻酔(キシロカイン)にもともとアレルギーがあり、その日は朝から疲れていたから過剰に反応した、というストーリーと相成った。というか、歯医者で同様の反応を起こしたことはなく、朝から疲れてなどいない。医師はことの原因を情報化したがり、ああすればこうなるの理屈をこじつけて話を片づけたがった。とりあえず可能性はあるが原因は「分からない」と言った方が私の信頼を勝ち取れたはずだが、そうは言えなかったようである。果たして、医師が決めた私の病気の原因は、真だったのか偽だったのか、疑問の余地はおおいにある。もし、私があそこで死んでいたら、よりもっと"正確"な原因が特定されていたのだろうか。そうは思えない。おおよそ同じような作り話、言い換えれば単なる予想、全体として最も可能性の高そうなパターンへの当て嵌めで済ませ、私個人の身体のことは直視せず、結局は患者側の問題、または運が悪かった、で片づけられていたに違いない。そういえばこの手の話はコロナ禍以後よく耳にするようだ。

2023年は、医師の光と影を見た年だった。光をみたのは子どもが生まれたときである。二人の医師、産婦人科医と小児科医の連携によって赤子が無事生まれたわけだが(もちろん助産師や看護師含む)、あの二人の手さばきには感心しっぱなしであった。二人とも黙って手で人に触れていた。産婦人科医がまともに私に話した言葉といえば、半ば独り言のような数語で、小児科医の方はほとんど説明的な話はなく、「お父さん、カメラ用意してください」なとど言っていた程度だった。それら以外は二人とも、ただただ赤子と母親に触れていた。一方、今回の消化器科の医師は、手は動かさず、やることといえばパソコンの画面をみてはマウスとキーボードをポチポチするのがせいぜいで、あとは言葉であった。若い医師にとって私の身体は存在せず、あるものはたんなる情報であった。今回生じた未知の世界をでの出来事を情報化するにあたり、変換者であったその医師による私の病因は嘘か本とか、単なる予想でしかなかった。患者によってはこの予想に応じて薬が処方されるなどするらしい。そしてその手段が選ばれる理由はと言えば、私の身体から取られたデータがとある平均に近いからというだけである。予想はいつまでたっても予想であり、これがそのまま現実になることはありえない。邪魔するものがなければそういうものだと通されて、邪魔するものがあればいつまでたっても「の可能性を否定できない」等で片づけられる。そこで人が死んでいれば、そのうち身体は消えて情報だけが残る。真実はいつまでもわからない。

しかしまあ、世の中情報だらけである。医者と言えばこの情報社会においてある種の頂点であるといってよい。学校でいい成績をとる連中(一般的に学力が高いとみなされる人々)は医学部にいくイメージが昔から強いからである。情報と言えば無数の点の中の限られたシグナルであり、それ以外はノイズとなる。どの点を信号化してどれを雑音として除外するかの判断によって明暗が分かれるが、その変換自体が合理かどうかの疑問も大きい(そもそも事実は点なのか? 生の世界は点の集合か? 点自体がそもそも情報である)。ところで科学的とかエビデンスとか言われるくだりでよく使われる「~とされています」などという言葉は、その変換作業に自分はかかわっていないということの前置きであり、真か偽かはわからないが取り合えず権威(強いもの)に服従しますという意思表示である。よって、発信者にとってそのこと自体が真か偽かなどに興味はないということの二重の意思表示であり、強調である。情報に真偽をゆだねるというのはすなわち、「私は知りませんが、偉い人がそう言ってます(世俗的には「みんながそう言ってる)」、ということになる。さて、実際に死んでいった身体たちの多くはもう存在していない。実際に死んでしまってから真実と言われてもそれもまた情報に成り下がる。

自分はこうする、自分自身で世界に働きかける。そうすればいいことも悪いことも返ってくる、身をもって学ぶのが経験であろう。情報社会はその機会と権利を人々からはく奪し、また放棄させる。リスクを回避しようと画策するにはちょうど良い責任転嫁の方法であるように思えもするが、世の中そう運んでいるようにはどうも思えない。なぜかって、とがめの矛先は必ず身体に向けられる。感情には身体が必要である(それが適わなければモノで代用する)。ところで、消化器科の医師というのは患者の身体を直接診ないのだろうか。患者の状態を知るためにやることと言えば採血、血圧、体温計、なんらかの電磁波とかセンサー、カメラを使ってソフトウェアが処理をして…今回のあれも見るとは言っても胃カメラでピクセルの集合を見るだけである。一方患者の治療と言えば薬とかか。インプットにもアウトプットにも自分の身体をほとんど使っていない。西洋医学は対症療法とどこかの医師が言っていたが、症状を消しても病は消えまい。だから病気というのか。では治療はなんのためにある。苦しみを消したいなら死ねばよかろう。苦しみを消すだけなら麻薬でも使えばよろしくないか。それがなぜだめかと聞けば、人が死ぬのはダメたら、麻薬は中毒になるからたら(つまりは身体に毒である)たら、無駄な理屈を述べ立てるが、それもまた情報である。一体、どこからどこまでが毒、というのは誰が決めている? 正しくはどこからが毒かどうかは個体による、ということである。この記事で書いた病院での出来事がその例であろう。それを今日の我々は理解したがらず、あるいはできない。万人に共通の何か、つまり権威の指し示す基準が正しいと思い込んでいる。もし権威が認める安全地帯で麻薬が毒になろうものなら、その個体が例外だっただけである。そんなわけはなかろう。ところで、このコロナ禍における一連のワクチンのドタバタの間に、医療行為による死や悪影響に対する公の箍がきれいに外れたことにお気づきか。情報社会、言い換えれば今の「脳化社会」において、死の等価交換は確実に、ひっそりと認められつつある。これはどういうことかというと、あなたの命よりもあの人の命が重いですよ、という禁忌がまかり通るのである。その意識の暴走をかろうじて止めていたのが身体、つまりは我々の感情である。

患者の身体を情報化する手段が機械である場合、医師はデータを処理するだけである。採血は看護師がやってくれるし、身体のデータは取り巻きの技師がやってくれるだろう。治療なんかも薬を出すのは薬剤師がやってくれる。この場合、医師がやるのは単なるアルゴリズムである。それなら、これから先AIに任せたほうが大概優秀ですよ。多くの人間医師は情報処理で機械に勝てない。勝てる方法は唯一、インプットにもアウトプットにも自らの身体を使うことであり、情報に主権を握らせず、あくまで利用するにとどめることであるが。それにしてもまあ、何故メリークリスマスに病院にいって病気になる必要があったのか甚だ疑問でしたね。おまけに頭を打ったからかなり経ってから症状が出始めるかもしれない(頭部強打の影響は数日から一か月以上おいてから生じ始めることがあるらしい)、と看護師に言われたので、年末年始をびくびく過ごしているのもなんでやねんという感じです。

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