まちづくりにファイナンスを活かす⑫~不動産とファイナンス、まちづくりで生きるということ~
アーバンギークス社、そして鞆まちづくり会社を設立して約5年が経ちました。かなり久しぶりに休暇を取って、松本十帖を起点に信濃大町エリアに行ってきました。会社員時代には当たり前のように取得していた休暇ですが、独立してからまとまった休暇をほとんどとっていないかったことに気付いた次第です。
そんなわけで、今回は少し日常的なテーマということで、当方の日々の様子、そこから独立してフリーランス的に働くということについて少しまとめていこうかなと思います。
業務をアサインするのは自分自身?
現在、アーバンギークス社(主に不動産とファイナンスのアドバイザリー業務を主担当)では、外資系不動産投資ファンドのアクイジションと期中管理業務、宮崎の一平ホールディングスの社外取締役兼財務責任者、埼玉県の地方自治体での地域商社取り組み支援を担当
鞆まちづくり会社(主に鞆の浦での事業展開及び地方創生事業)では、観光庁の高付加価値化事業のとりまとめ支援、各地域の不動産オーナー様のアセットマネジャー等
をしています。
2社で、大体6-7件のクライアントとお付き合い(かなり濃淡がありますが)がある感じで、そのfee水準に応じて自分の時間割り振りをしている感じです。
当然ながら、求められる職責や提供するスキルの価値によって、fee水準は大きく異なっています。やはり、というか不動産金融関係の業務支援については頂戴するfee水準も高め、となっている感じです。
外資系不動産投資ファンドの業務については、フルリモートでも業務実施は可能ではあるのですが、やはりお金を扱う業務なので同僚との顔を合わせた雑談ベースでの相談事は非常に重要です。(ちょっとした気づきから作業ミスや見落としに気付いたり、ということはままあります。)
また、扱う案件の成否によって期待される成果が大きいこともあり、業務進捗の報告は、その温度感も含めて伝えていく必要があることから、業務先のオフィスで作業従事することも多いです。
このあたりの雰囲気は会社によって異なると思いますが、特に不動産ベースなボス・同僚のいる会社は顔を出しておくことの重要性は高いと感じます。そんなわけで、東京にいるときの大半はこの会社のオフィスで過ごしている感じです。
また、物件売買がスタートすると昼夜関係がなくなるのが、この業界の常なところ(だいぶ会社によって変わってきたと思いますが…)で、ひたすらPCを眺めながら1日単位で業務整理してディール業務の過不足を追いかけるという感じになります。
これは、ある種の快楽でもあるのですが、向き・不向きが露骨に出る仕事だと思いますし、不動産やファイナンスの実務、そして何よりコミュニケーションをとることをいとわない人でないと成立しない業務ではあります。
他方で、一平ホールディングスの業務では、不動産実務は取り扱わないことが多いものの、事業会社(店舗や商品開発)の収益状況を見ながら、新しい事業拡大に向けた戦略・事業計画づくりや収益性が劣っている事業の見直し、借入含めた財務戦略の立案と調整が主な業務です。
こちらも、ほとんどの作業や調整自体はzoom含めたオンラインで完結するものの、金融機関との調整や説明については往訪する必要が生じるので、1-2か月に一度宮崎に往訪することがあります。
定例会議で互いのタスクを共有しながら、必要に応じて資料を作成したり、その説明・調整をしながら中期的な財務戦略に合わせた事業会社の収益性をみていく、という感じになります。
このあたりが東京での主幹業務ですが、ありがたいことにとある自治体様から地域商社の自立的経営に向けたサポート事業なども受託しており、運営施設の収益性分析や将来事業計画の作成などをしていたりします。
それぞれの業務をしながら、かつ福山市鞆の浦にて事業会社を経営していますので、正直なところ頭を日々整理していないと、何かしらのタスクがスタックしてしまうところはあります。ただ、サラリーマンにしても、同時並行で複数のプロジェクトを担当することは多いと思いますので、それと実態はあまり変わらないと思います。
違うとすれば、アサインしているのが会社(経営者やあなたの上司)ではなくて、自分自身ということです。
三菱商事本社よりも残業した日々・・・
大学院(都市工学専攻)卒業後、設計事務所にて都市計画業務を約4年担当し、その後上場リートに転職しました。2008年8月というリーマンショック1か月前での転職でしたので、いろんな意味で運命を感じます。
設計事務所では、再開発等促進区という緩和型地区計画を活用した都市の高度化・再開発の推進に向けた調整業務、資料作成などをおこなう傍ら、再開発コンペの参画、地方自治体での中心市街地活性化基本計画策定支援など、まぁあらゆることをやりました。
若かったのでできたとは思いますが、同時並行で6-7件のプロジェクト(しかも一つ一つが進行中…)を担当、しかもそれぞれのプロジェクトを統括する上席は異なる(つまり、互いのチームの忙しさやスケジュールは見えていない)という環境で、理不尽なこと?もありつつ、複数プロジェクトを回していくことの要諦をつかんだ気がします。
そのときは、自分の進捗管理料をA3で作成して、1か月内のタスクを見える化し、これみよがしに自分のデスク前に貼り付けておりました…。
その後、縁があって上場REITの運営会社にて六本木ヒルズ森タワー(のほんの一部)の取得業務に携わったり期中IR業務に少しだけ関わったりと、世の中の、大きな会社組織が取り組む仕事に携わる得難い経験をしました。上場会社の実務については、改めて別の機会でも取り上げたいと思いますが、すべてがルールに則っていますので、イレギュラーなこと自体が致命傷になるところがあります。創造性よりも、定められたルールに対してミスなく時間通りに終わらせる、そこが重要です。
自分にとっては課題が残る悔しい経験もしました。
そんなこともあり、非上場のプライベートファンドの不動産投資ファンドに転職、若干?緩いルールのなかでとは言え、限られたリソースのなかで決められたタスクを期待値以上に貫徹させていく、そのプロ集団でかなり鍛えられて今日に至ります。
オフィスが丸の内でしたので、毎日、三菱商事の照明落ちた本社ビルを眺めながら、”今日は俺のほうが残業したぞ!”と意味のない、、、ライバル意識を持って仕事していました。
というのも、取得業務と日々の運用業務が重なってくると、日中は運用実務の定例や資料のチェック、PM会社や会計事務所との調整などに追われ、夜中からDD業務やドキュメントチェック、バリュエーションシートの作成とチェックに追われるという。
一日で二度業務している感じではありました。
40歳になって、一度まちづくりの世界に戻りたい、そう一念発起して起業し、現在に至ります。こうやって書いてみると、ずーっとハードワークしている感じですね。実際は、閑散期も挟んでいるので、緩いときは結構な頻度で旅行行ったりしていました。
すべて自分でやらないといけない
さて、起業してみて感じたことですが、この一言に尽きますね。
「すべて、自分でやらないといけない」。
給与を自分に対して払うのも自分、日々の会計作業(もちろん、税理士さんにすべて任せるという方法もありますが、理解していないというのはまずい)から、業務委託契約書の作成や請求書の発出、細かいところだと交通費の精算から、ホテル・飛行機などの手配まで、すべて自分でしないといけなくなります。新規開拓の営業も、です。
もちろん、最初から外注することも可能ではありますが、利益が出るか不透明なところで、コストばかりかけることに一抹の不安もあること、何より会社が正しく回っているのか、数字を理解していないのはNGだと思っているので、できる限り作業も含めて自分でやっています。
ただ、サラリーマン時代だと総務の方に「これ、〇〇までバイク便で」で済んだことが、自分で送り状書いて、封を閉じて、送付して、と結構手間がかかるんですよね。これは誤算でした。。。。
そんなわけで、「私は〇〇ができます」は非常に重要なのですが、独立するとしばらくは全てのことを自分でする必要が生じますので、なんでもできるようになっておいたほうが絶対に良いです。
地味にPCの設定とか、メールアカウントの作成とか、向き・不向きではなく自分でできるようになっておかないと確実にストレス溜まります。そして本業ができなくなります。。。
社会保険料や住民税の支払い、これも会社の仕事です。つまり、独立したら自分のタスクになります。銀行へ行くのも結構面倒です。オフィスは銀行の近くがおすすめです。振込できるように、銀行EBぐらいは触れるようになっておきましょう。
究極的には、自由
とはいえ、自分の時間をどう使うか、自分の自由です。
頼まれた仕事を放棄して旅に出るのもあなたの自由、より多くの刺激ある仕事を受けて、自分を成長させていくのも、あなた次第です。
家を出た瞬間から、定時にデスクにつかなければいけない、ということもなくさぼろうが、寝ていようが誰も止めません。もちろん、働きすぎても労災の対象にはなりません・・・。
そう、すべてが自分次第の世界なのです。
これに慣れるのに、本当に時間がかかりました。ただ、定年も残業もないこの働き方が、自分にとって一番体に合っているような気がしています。
だれにでもお勧めできる働き方ではないのですが…、もしこんな字働き方に興味が少しでもわきましたら、嬉しいです。
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