母親について

うちの母親はBPD(境界性人格障害)だと思われ、私の過去のエピソードを知ってる人には納得されます。専門書も読みましたが、残念ながら本当にBPDなのだと思います。
世間体を気にして見栄を張り言葉遣いも丁寧、一見親身な子供思いの母親と思われることでしょう。
ですが、本当の彼女は自分のことばかり考えていて他の人のことはまるで見えていないかのように相手の感情を無視します。

ある年齢から彼女が精神科に行った方が早いと考えるようになりました。
彼女は自分が必要とされることに非常に生きがいを見出していたようです。が、都合が悪くなると簡単に切り捨て保身に走ります。
子供の頃の私には、“いい母親”と“悪い母親”の2人がいるように感じられました。
悪い母親がいつ出てくるかは誰にもわかりません。突然機嫌が悪くなり、食器の音を無闇に立てたりわざと大きな音を立ててドアを閉めたり独り言でずっと文句を言い続けるなどしました。
時には数日にわたって無視されることもありましたが、いつの間にかそれらはなかったことになっています。

なので家族に問題が起きたときに話し合うという考えが一切ない家庭で育ちました。
無視したり仲間はずれにして制裁を加えるか、何もなかったかのように仲のいい理想の家族を演じるか。
私たちはいつも母親の気分によって存在を消したり、彼女の味方になったり、共通の敵を作って絆を深めたりしながら暮らしていました。

父親が標的になることが多かったです。理由は何でもいいのです。
父親がテレビを見ている、酒を飲んでいる、町内会の集まりからなかなか帰ってこない、仕事の愚痴を言う、家事をしない、家事のやり方が気に食わない。
そうして無視されブツブツ文句を言われている父親を見て、「私はそうならないようにしないと」と思うばかりの人生でした。なるべく母親のよき理解者であり、彼女を慰め、励ますこと。先回りして家事を手伝うこと。(尤も、家事を手伝ってもやり方が気に入らないと怒られることもあります)

とにかくいつスイッチが入るかわからない母親の顔色を窺い、先回りして彼女の要求に応えることが生き残る術でした。

父親は小2のとき仕事中の事故で数年間入院していました。そのあいだに家庭内に居場所がなくなっていきました。戻ってきた父親は家庭のことには一切口を出さず、じっと耐えていました。
大人になってから聞いたことがあります。
彼は「父さんのせいで苦労させて」と呟きました。

それまでのあいだは父親も私に暴力を振るっていました。よく叩かれたし、当人の機嫌次第で約束は守ったのに裸足のまま外に出されしばらく家に入れてもらえないこともありました。
友達と比べられて「○○ちゃんはこうなのにお前はどうしてできないんだ、爪の垢煎じて飲ませてもらえ」などと言われたこともあります。
そのとき母親は怒りました。自分が家族を傷つけるのはいいけれど他の人に傷つけられるのは許せないのだと思います。その割には逃げることも多かったですが。
「何か言われたら母さんのせいにしていいからね」と言われることがよくありました。実際にクラスメイトに責められ、親がそう言ったから、と私は言ったのです。
家に帰ってそのことを報告すると「なんで母さんのせいにするの?」とのうのうと言ってのけました。まるで自分が被害者だと言わんばかりの態度でした。

母親はいつも被害者です。職場の人がわかってくれない、私はこうしてあげたいと思ってるのに、その方が良くなるのに、伯母がわかってくれない、祖母のたまを思ってここまでしたのに、あの人が勝手にこうした、あの人のせいで傷ついた、あの人に酷いことを言われた…。
私の周りは常に敵ばかりでした。
隣の家の人に嫌がらせをされたという母親の味方になって、どうしたら復讐できるのか子供心ながらに必死に考えていました。

振り回される、とはそういうことなんだと思います。
母親には話し合う、妥協点を見つける、ということが一切できません。人の意見を聞けないのです。人の心情に寄り添うことができないのです。
「あなたのためなら私はどうなってもいい、あなたのためにここまでしてあげた」そればかりです。

ある授業参観の日、なぜわかっているのに手を上げて答えないのか車の中でずっと責められていました。
私にもそんなことはわかりませんでしたが、私が間違えていると思っていたせいなのは間違いありません。間違えたら怒られる。「もういい!」と言って無視される。全て母親の態度から学んだことです。
望んでもいないあやとりや刺繍を母親の気分で教えられては思う通りに出来なくて「もういい!自分でやれ!」とキレられるのです。そのあとは放置され無視です。

そんな母親の口癖は「家事も何もできないくせに子供作ることだけは知ってたんだな」でした。
祖母が言った言葉だそうです。
母親と祖母は共依存関係にありました。お互い、わかってくれるのは祖母(母親)だけ。それ以外は敵。というかのように、毎日電話しては誰かの悪口を言っていました。
「それに比べてうちの子は」と続きます。

私は完璧な子供でなくてはいけませんでした。
中耳炎で病院に行き、処置の痛みで泣いても、おもちゃ売り場で駄々をこねても、「そんな子はうちの子じゃない。間違えて連れてきたんだ。」「お前は橋の下から拾ってきた子だから。」と言われ、放置されました。
やがて母親の夢を叶えるためだけの存在となっていきました。

理想の仲良し家族、友達親子、吐き気がします。
高校生になってから力では勝てないと思ったのか、ときどき甘えるように手を繋いだり、親友のように振る舞いました。
それが気持ち悪くて仕方なかったのです。
どれだけそういう振る舞いをしても、自分が気に入らないことをしたら無視。

妹は母親に取り入るのがうまかったです。
「伯母と母親みたいにはならないようにしようね」
2人でそう約束しましたが、それは叶わぬ夢となりました。妹は母親と共依存関係になり、私が悩みを相談したとき「私に相談しないで父さんに言って。お腹痛くなるから」と切り捨てられました。
妹だけは本当の家族でいられると信じていました。
残念です。

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