徳川家康さま☘️をたどる#12☘️家康さまの桶狭間#4
初筆 20210722 / 加筆修正 未
この記事は有料ですが、今とこは実質最後まで無料で読めます🤗
有料部分の文章は「ご覧いただきありがとうございました。」
のみですよ🤪✋
またこの記事の前半と同じ内容を音声で聞けます。
スタエフ配信:徳川家康さま☘️をたどる#12
⬇️
https://stand.fm/episodes/63a4e18bc00cb0250530d3a4
1 コンセプト
いちおー書物や文献も引くのですが
徳川家康さまはちょっと気の利く
フツーの人やってんやと仮定し
家康さまやその周囲の方々が
こんときはこー
こんときはあー思ったんちゃうやろか、と、
勝手に思いを巡らす
家康さまファンの思いを皆さまに届けます。
2 前回
第9回よりあの歴史的に有名な
桶狭間の戦のお話を始めました。
前回は元康さま視点すなわち
今川義元さん視点の桶狭間はいったん横に置いて
織田信長さん視点の桶狭間
以下をざっくり話しました。
●今川義元さんは鳴海周辺の制圧だけで尾張に来てるだけで、
尾張全体を完全に取ってしまおうというわけではないのに
織田信長さんはなぜ多勢に無勢の決戦を挑んだのか
●そもそもみなさんがフツーに知ってる
信長さん必死の決死の奇襲戦に
偶然の雨が味方して勝った桶狭間。
という出典は何❓それおーてるん❓
前回記事はコレですよ🤗
⬇️
3 織田信長さまの桶狭間プランニング&ディレクションを情報戦の見地から
今回は
織田信長さまの桶狭間の
プランニング・ディレクション、つまり
・信長さんけっかう情報収集をしてた
・今川家の動きを信長さん知ってた
・今川義元さんが油断するように信長さんが仕組んだ
を、三河物語と信長公記から読み取ってみます
4 三河物語・信長公記から読み取れる信長さまプランニング・ディレクション
■■■ 信長公記より ■■■
今川軍(元康さま)は大高城に兵糧を入れ
翌日にはその近辺の織田軍砦の
丸根・鷲津を落としにかかるに違いない
というご注進が桶狭間前日に
信長さんに入った
⬇️
信長さん居城の清洲での軍議では
信長さん雑談しかせず意思を誰にも伝えなかった
家老衆は呆れる
⬇️
義元さんの首を取る考えの漏洩を防ぐためでは
この時点での信長さんの考え
⚫︎丸根・鷲津を救援せず
わざと落とさせて今川義元さんの油断を誘う
⚫︎あるいは裏情報として
元康さんから信長さんに入ってたかも
■■■ 信長公記より ■■■
元康さまメインの今川軍が桶狭間当日夜明けに
丸根・鷲津砦に攻めかかったというご注進
信長さまにあり。
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信長さんいきなり出動❗️
・あの有名なヤツです。
幸若舞の敦盛「人生50年」を舞い
「螺貝を吹け、武具をよこせ」
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チャンス到来❗️
敵は戦勝モードになり油断が始まるという読み
⚫︎この時点で、当時今川家で実力を
つけてきていた元康さんは
・前線基地を押さえ
・兵馬を休ませる
などの理由で翌日は今川本体に
合流しないと予想
■■■ 信長公記より ■■■
信長さま進軍途中で丸根・鷲津砦の陥落を確認
義元さん「この上もない満足」と謡を3番謡う
⬇️
ダブルチャンス到来❗️
敵はさらに戦勝モードになりさらに油断に拍車がかかる、という読み。
■■■ 信長公記より ■■■
織田軍本隊が最前線手前の善照寺砦到着
佐々・千秋部隊が中川砦から今川軍に撃って出る。
今川軍これを軽く撃退。
義元さん
「義元の矛先は天魔鬼神なりとも
防ぐことはできまい、気分がよい」
とさらに謡を謡う
信長さん佐々・千秋部隊撃破される様子をみて
最前線の中島砦に移動する。
⬇️
トリプルチャンス到来❗️
⚫︎敵はさらにさらに戦勝モードで
油断しまくり、という読み。
⚫︎今川軍本体から
佐々・千秋部隊との戦闘に
今川本体から何部隊か派遣されて
今川軍本体は少し手薄になりつつある
という読み。
■■■ 信長公記より ■■■
信長さまさらに最前線へ進む。
この先、織田軍の砦はもうない。
家臣は止めるも信長さまの下知には
「おのおのよく聞かれよ、
今川の武者どもは前日の宵に糧食を取り、
夜通し大高城へ兵糧を運び
丸根・鷲津(砦を落とすのに)手を焼き
疲労しきっている」
⬇️
この自信は何事
しかしチャンスだ❗️とゲキ飛ばす。
信長さん情報収集が的確であると
確信している感あり。
※枝葉ですが、
信長さま本体が中島砦から出撃したのなら
今川軍本隊とは比較的正面から
ぶつかり合うことになる
つまり織田軍は大迂回して今川軍横から
攻めかかったのではない、となる
■■■ 信長公記より ■■■
さらに家臣が次々今川方の武将の首を持ってくる
⬇️
家臣が首を持ってくる
=地域戦が勃発している
=今川本隊から離れた部隊は本隊に戻っていない
⬇️
今川本体の手薄を肌で感じたであろう信長さま
■■■ 三河物語より ■■■
今川軍の一部は桶狭間山の周囲に織田軍がいるのに気づいていた
山に登ってくる織田軍を見て今川衆逃げ出すものが現れた
そして織田軍は兵の数3000であった
(信長公記では2000)
⬇️
逃げ出す兵がいたのは
今川軍は兵農分離がされてなかった。
つまり責任感のない兵がけっこう多かったと考えられる。
これを信長さんは知ってたかも
たとえ知らなくても
信長さんに有利に働いた
■■■ 信長公記より ■■■
風雨が発生
織田軍にとって追い風、今川軍にとっては向かい風。
そのあと
やがて雨も収まり雲の切れゆく様子を
(信長さまが)ご覧になり
黒煙を立てて打ちかかる
⬇️
想像ではあるが、黒煙=鉄砲
⬇️
風雨の中では鉄砲は使えない。
黒煙を上げたということは
鉄砲が使えるようになるのを待ったと考えられる
5 信長さん情報戦と元康さまの存在について考える
このように、
信長さま情報収集・分析・決断が
三河物語と信長公記から見て取れるが
これらは松平元康さまが
今川本隊に合流することを想定してないのでは。
松平元康さんが今川家で
じりじり実力をあげてることは
信長さまもご存知のはず。
元康さまは動かないという予想は
・元康さまは大高城守り
・桶狭間day早朝の丸根・鷲津攻めで疲れている
といういことから信長さま推測できる
しかし
大高城守る元康さまは桶狭間まで
かけつけようと思えば駆け付けられる
信長さまは元康さまが動かないという
「予想」や「推測」や「確信」という
あいまいなものではなく
「確実な情報・確約」があったのでは
と考えることもできる。
6 次回から
次回から桶狭間時に元康さまが
・信長さまと内通してたケース
・信長さまと内通してなかったケース
に分けて、元康さまの行動やその動機
あるいは心持ちはどのようであったか
など話して行けたらと考えてます。
とは言え、この時点で信長さまと内通済み
かどうかは現状の1次史料文献に
一切明記はなく
状況証拠より推測するしかありません。
しかし事実は内通してるか、してないか
のどちらかです❗️
なので元康さまの心持ちも
どちらかだったはず❗️
お楽しみにっ❗️❗️
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