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子は親の持ち物ではない

こども家庭庁の発足

今年4月にこども家庭庁ができました。こども家庭庁には、こども政策に精通した職員が厚生労働省や内閣府から出向してきています。彼らと議論しているとモティベーションは高いと感じるのですが、早くこども家庭庁を独立した役所として機能させるためには独自採用を急ぐべきだと担当者に伝えています。残念ながら今年の採用は難しそうですが、遅くとも来年度には新しい職員をこども家庭庁として採用してほしいと思います。

家庭視点からこども視点へ

こども政策に焦点を当てるという意味で新たな役所の発足は画期的です。こども家庭庁設置法の第3条第1項に「こどもの意見を尊重しなければならない」という内容の大事な条文があります。これまでの日本のこども政策の基本的な視点は家庭にありました。ほとんどのこどもは家庭に所属しているので、支援すべきは家庭だという考え方だったのです。概ねはそれで良いのですが、家庭にも色々あります。親が児童虐待をしていてこどもが不幸な状態にある家庭もある。新しくできたこども家庭庁の柱にこどもの意見尊重義務が入ったというのは非常に大きい。

この新しい役所の命名段階で色々な議論がありました。当初は「こども庁」とする案もあったのですが、色々な意見があり「こども家庭庁」になりました。家庭第一と考えるのか、こども第一に考えていくのか。私は「こども庁」で行きたかったなという思いを持っていたのですが、こどもも家庭も大切だということになり「こども家庭庁」でスタートすることになりました。

権利の主体としてのこども

その考え方の根っこには、1989年に制定された国連の子どもの権利条約があります。こどもは権利を持つ主体とされている。「生きる権利、育つ権利、教育を受ける権利」、そして「守られる権利」も入っています。戦争中の国ではこどもたちが守られるどころか、兵士として動員されるということも行われています。このようなことを絶対に許してはならない。

特筆に値するのは「参加する権利」。こども達には意思決定に参加する権利がある。「参加する権利は18歳以上の有権者にしかない」と考えている人もいると思います。確かに、投票は日本では18歳以上の大人しかできないですね。それは18歳ぐらいにならないと、どのような政策が良いのか、誰に投票すべきかということについて判断する能力がないと推定されるからであって、こどもにも参加する権利自体はある。18歳未満のこどもは投票することはできないけれども、意思決定に参加をする権利、意思を表明する権利は持っているという考え方なのです。

私はこの考え方に強く賛同します。我が国の中にも、こどもが特に小さい時には親の持ち物だという考え方がまだ残っています。それが端的に現れるのが親権です。親にはこどもがどこに住むか、何を食べるか、どういう学校に行くかということについて決定権があります。

親権は、権利という意味合いよりは義務という意味合いの方が大きいと私は思っています。こどもが育つのには親を含めた周囲のサポートが不可欠ですし、こどもには自分だけで全てを決定する能力はありません。だから子供に代わって親が決定するということです。裏返して言うならば、こどものためになる判断ができない親に関しては、親権をかざして強引な決定をすることはできない。親権というのは「親が権利を持っていてこどもについて独占的な判断をできるというものではなくて、こどもが生きるために親が決定をすることについて義務を定めたもの」という考え方です。

虐待根絶を目指す議員連盟が求めてきた民法の懲戒権の削除が、ようやく実現しました。「しつけ」という名目で、これまでは暴力が一部容認されていたところがありましたが、もはや認められない。こどもというのは親の持ち物ではなく権利の主体だという考え方を貫徹していきたいと思います。

こどもの意見をどのように聞くのか

これから議論になるのは、どうやってこどもの意見を聞くのかということです。こども家庭庁ができるにあたって、色々な機会に官僚の皆さんもこどもの意見を聞く努力をしました。私もこどもの意見を聞きたいと思いますが、こどもにはそれぞれ発達段階があるので、大人に的確な意見を言うのは簡単ではありません。これは仕方がないところがあるわけです。どのようにこどもの意見を聞いて、具体的に政策に反映していくのか考えなければならないと思います。

ヨーロッパ(特に北欧)では、こどもコミッショナーやオンブズマンが存在します。彼らは教育に深く関わっている人で、こどもたちの状況を観察し、こどもたちの意見も聞いてそれを政府にアドバイスする立場にあります。政府に対する独立性も高いです。人選は非常に難しいですが、彼らのような存在が日本にいることは良いと思います。これについては与党内でも結論が出ておりません。こどもが権利を振り回すのではないかという懸念する声もあります。

もちろん、こどものわがままを聞く必要はありません。しかし、児童扶養手当のようなこどもに対する経済的支援はどうでしょうか。それは親がしっかりと養育をしている時に親に与えられるべきであって、そうではないケースでは違う形でこどもに届けることも考えていかなければなりません。

先日、兵庫県明石市長であった泉房穂さんからお話を聞く機会がありました。かつて民主党の同僚議員だった彼は、明石市でこどもを核とした街づくりを実現してきました。興味深かったのは、離婚家庭の養育費の立替(市役所が養育する家庭に立替払いをして、養育費を払うべき人に請求する仕組み)と面会交流(離れて暮らす親との交流に市役所の職員が付き添う)です。親にはそれぞれの立場や考えがあっても、こどもが望むことを実現しようという泉氏の思いが政策に反映されています。

児童虐待とどう向き合う

「子は親の持ち物ではない」と言うと、「そんなことわかってるよ」と返す人が多いと思います。そういった方々にも少し立ち止まって考えてもらいたいです。例えば、自分の周りでどうもこどもが幸せに育っていない、もう少し何とかしてあげたら良いのになと思う時に口に出せますか?親に遠慮してなかなか口に出せないものです。

こうした風潮が深刻な児童虐待を生んできました。ようやく189番(イチハヤク)の電話が定着して虐待の通報が増えました。こどもは親の持ち物ではありませんし、一人一人が生きる権利や教育を受ける権利を持つ大切な存在なのです。彼らの権利を守る責任が社会全体、特に政治家にはあります。

児童虐待に対する施策はこども家庭庁の新しい業務になっています。改善しなければならないことはたくさんあります。先日担当者と議論をしたのですが、こどもが親から虐待を受けていて、家庭から分離しなければならないときに、そのこどもが児童養護施設で生活するのか、里親のもとで生活するのかを親が判断できるのです。親が「自分は必ず迎えに来るから」と言って児童養護施設を選択するケースが多いので里親委託率がなかなか上がらない。

福岡市では、高島市長のイニシアティブで児童相談所と里親のサポート体制が共に強化されました。同市の里親委託率は全体で59.3%、特に乳幼児では87.5%まで上昇しています(2021年度末)。親から引き離す時点で「児童養護施設に入れるか、里親に預けるかについては一任します」という同意を取っているのです。そのこどもに合った環境を提供する責任が行政にはあります。原則として家庭に近い環境が望ましいです。特別な障害がある等の事情で里親が育てられない場合のために、児童養護施設があると思います。ただ、それは親のわがままで決めるべきではない。あくまでこどもの立場に立って、どのような環境が良いのかを行政が判断する。

議員連盟からこども家庭庁にこどもの立場に立った要望を続けています。こども家庭庁の職員も発足直後で気合が入っていますから、やってくれるのではないかと期待しています。

おわりに

こども家庭庁の発足に深くかかわった山田太郎参議院議員と先日、YouTubeで対談をしました。現場を見てきた彼からは学ぶところが多いです。リンクからぜひご覧ください。

※今回の記事は、Voicyの5月6日配信分をGoogleドキュメントで文字起こししたものをベースにしています。

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