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⑰【當山淳司 先生】宝生流能楽師をもっと身近に。

今回の月浪能特別会で「乱」を勤める當山淳司先生。「乱」の動きの難しさや見どころなどもご紹介しています。
淳司先生にとって「つなぐ」とは?

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――淳司先生が「受け継いできたもの」は何ですか。
今年の1月、元日に父親(當山孝道師、2021年7月逝去)から「俺の形見だ。」といただいた扇です。そのときは、まさか本当に形見になるとは思っていなかったので、詳しいことは何も聞いていませんでした。本金製で、良い扇のようです。「お前もいい年になったから本金製の扇を一本持っておくといいよ。」と言われていただきました。

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この扇は、父も使っていたものです。いただいてからは、僕も何度か使いました。

能楽師が舞台上で仕舞を舞うときは、金扇(きんせん)と呼ばれる金色の扇を使うことが多く、僕も普通の金扇は持っているんですが、本金製を持つのは初めてでした。
色がやっぱり違うんですよね。今まで金扇を金色だと思っていたんですが、この本金製の扇を見た後に見ると、金扇の金色は嘘っぽく感じちゃいます(笑)。それだけ、この扇が良いものなんでしょうね。

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もう一つ「受け継いできたもの」として思ったのは、葛西にある自宅の舞台です。父が残してくれた大事なものですね。写真を何枚か撮ってきました。

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父はいつもここに座って稽古をつけてくれました。とてもまじめな人だったので、毎朝起きると必ず謡を謡っていましたね。
僕が高校2年のときに建ててくれた舞台です。薙刀を使う稽古にも使えるよう、天井が高く造られています。
今までに披いた「石橋」も「道成寺」も、この舞台で父に稽古を見てもらいましたが、「乱」はそれが叶いませんでした。

父が家に舞台を残してくれたので、僕は能楽堂へ行かなくとも自宅で稽古できました。お弟子さんの稽古も、どこか稽古用の場所を借りずにできるんです。父はここを「葛西舞台」と名付けて、謡や仕舞の会なども行っていました。
それが、すごくありがたいことだなと今になって思います。昔ももちろんそう思っていましたが、より強く思うようになりました。でも今は父の神棚(祖霊舎)が舞台の隅にあるので、稽古をするときも緊張します。

父親とは、随分いろいろな役を一緒にやらせてもらいました。親子役もあるし、夫婦役もやりましたね。今回の月浪能特別会でも「景清」が上演されますが、以前、僕は父と「景清」をやったことがあるんです。この曲は娘がお父さんを探しに行く話です。

――娘役をやってみていかがでしたか。
これはIfというか。もし自分が娘だったら、と考えました。誰かに話をするときに、「普段は息子なんですけど、今回は娘役です。」みたいに(笑)。
ある先輩に言われたことなんですが、僕らは役者だから、何かの役を演じるわけですよね。でも、まじめにその役になりきってしまうと良い舞台にならないと。例えば、ドラマとかミュージカルとか、その役になりきるのが演者として良いんじゃないかと僕が思っていたときに、「能というのは、演じている自分と、その演じている自分を傍から見ている目がないといけない。」と言われたのが印象に残っています。

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能「景清」

――今まで先輩方に頂いてきたアドバイスの中で、淳司先生が大事にしていることは何ですか。
僕は近藤乾之助先生に習っていたのですが、近藤先生は「演じる前に謡本を隅々まで読めば、どういう気持ちで演じたらいいかというのが書いてある。」とおっしゃっていました。
謡本の周りにはいろいろ書いてあるんですよ。一番重要なのは謡の詞ですが、謡本の上の部分に細かく書いてある文章を僕はあんまり見なかったのですが、近藤先生に言われてから意識して見るようになりました。

――近藤先生にはいつから習っていましたか。
金井章先生が亡くなってから近藤先生に習い始めたので、大学からです。幼少期は父にずっと習っていて、小学生のときに金井先生のところへお稽古に行けと言われました。金井章先生は、怖い先生でしたね。
学校に行く前や、部活帰りに金井先生のところへ伺ってたんですが、毎回とても怒られて泣きながら帰っていました。


――学生時代、学校の同級生たちは先生の舞台を観に来てくれましたか。
宝生能楽堂にも観に来てくれました。そのころは、自分が勤める曲のあらすじをPHSに打って、同級生へ何百通も送っていました。
舞台を観に来てくれた同級生たちは「すごい!」と言ってくれましたが、最初のころは僕がどの役をやったか分からなかったみたいです(笑)。狂言方と間違えられたり、囃子方と間違えられたり。何回か観に来てくれるとだんだん「あ、當山はあれだ。」と分かってくれるようになりました。


――早稲田宝生会の能楽サークルでも指導されていると伺いました。大学でのお稽古はいかがですか。

今年、新入生が2人入ってきまして、一人は小さいころから能をやっていた子で、もう一人は大学に入ってから興味をもった子です。
関東宝生流学生能楽連盟は年2回発表会がありまして、次は12月の月浪能特別会の前日にあります。1年生が2人だけで出るので、僕も行かないといけない。「乱」を勤める直前なのでなかなか余裕がないのですが、学生が出るからには見守りに行きます(笑)。


――今回の月浪能特別会では「乱」を勤められますが、お稽古していく中で難しさや発見はありましたか。

「乱」はおめでたい曲なんですが、僕はまだ父のことで気持ちが全然めでたくなくて。心を整理をしながら、なるべく前を向いて勤められるようにとは思います。

稽古してみて気づいたのは、とにかく下半身の力がすごく必要だということです。激しく動く型よりも、立っている状態でゆっくり舞う方が実は筋肉を使うんですよ。上演時間はそこまで長くないですが、やっていることはものすごく大変です。腰を入れて立っている状態からさらに腰を入れて舞います。

能舞台は板でできているので硬いのですが、それを「乱」では水面に見立てて、その上を猩々という生き物が歩いている様子を表現します。まるで水面を歩いているかのように、硬い板を柔らかく見せないといけないんです。冗談で言ったりするのが、「水遁の術」とか、「もののけ姫」のシシ神様がペタンペタンと歩くイメージです。
「舞台上が水面に見えたよ」とお客様に言われたら嬉しいですね。

運ぶときに上半身が上下してしまうと、水面を歩いているように見えないので、なるべく腰を下に入れている状態で「乱レ足」と呼ぶ特殊な足遣いをして水面を歩いているように見せます。その動きがもう筋トレみたいですね。

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――舞台とは別に、筋トレは普段からされていますか。
今は、「乱」の稽古の一環としてスクワットを毎日やっています。高校のときは平気でスクワット200回とかできたんですよ。でも今はまったくできなくて。こんなに身体って衰えるんだというのをスクワットで知りました。
父は亡くなる直前までスポーツクラブに通っていたんです。体を動かしてストレス発散してるんだろうなくらいに思っていたのですが、その年齢になっても続けていた父はすごいなと改めて思いました。

僕は一度スポーツクラブの体験コースで体の筋肉量を測ってみたことがあります。スタッフの方から「下半身の筋肉量が相当ありますがアスリートか何かの方ですか。」と言われまして。能楽師は下半身が強いんだと思います。まあ、その方は気を遣って言ってくれたんでしょうけど(笑)。

今はスクワットもやっていますが、稽古をしていれば筋トレはそこまで必要ないと思うんですよね。普段の稽古が筋トレになっていると思います。


――初めて能を観るお客様へ今回の月浪能の番組について教えてください。

「景清」は起承転結のあるストーリーなんです。現代の人たちは、演劇にあらすじを求めていますよね。能楽は明確なストーリーがなく、だからどうしたの?という終わり方をする曲が多いです。そういった曲に比べると「景清」はすべてを提示してくれるので、現代の方でも楽しみやすいのではないかなと思いますね。
「卒都婆小町」は初めて見る人には「能って難しい、分からない」と思われるかもしれないです。どちらかというと玄人好みな、重厚な曲です。
「乱」もあまり内容がないというか。猩々が酒を飲みながら楽しく舞っているのをワキの高風が見ていて、最後それは夢でした、というような。内容を聞いて面白いかどうかは別として、それ以上に役者が頑張っているのを知ってほしいですね。
「乱」はもともと「猩々」という曲の小書(特殊演出)が演目として独立したものです。「猩々」は結構メジャーな曲ですので、通常の「猩々」を知っている人が今回の「乱」を見ると、舞の対比が面白いかもしれませんね。

能の中では、嬉しかったら舞うし、悲しかったら舞うし。親子で今生の別れだというときも舞い始めて、舞で別れる。夫婦が会えたら舞って喜びを表す。能は言葉では表さないし、表せない。現代の人たちは内容を100%知りたがる傾向があると思います。「分からないことが楽しい」というのを分かるようになるのは難しいですよね。そのために何度も観に来てほしいし、観に来てくれるように、なんでもいいから興味を持ってくれたら嬉しいです。


――最後にお客様に向けてメッセージをお願いします。

とにかく頑張って良い舞台を、つつがなく勤められたらいいなと思います。

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日時:11月25日(木)、インタビュー場所:宝生能楽堂ロビー、撮影場所:宝生能楽堂ロビー、12月月浪能特別会に向けて。


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當山淳司 Toyama Junji
シテ方宝生流能楽師
昭和57(1982)年、東京都生まれ。
當山孝道(シテ方宝生流)の長男。1987年入門。
19代宗家宝生英照、20代宗家宝生和英に師事。
初舞台「鞍馬天狗」花見(1987年)。
初シテ「花月」(2008年)。「石橋」(2017年)、
「道成寺」(2018年)を披演。


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――おまけ話
事務所スタッフ:淳司先生は「能がきらい」と言っていたイメージがあるのですが、今も変わらずですか。

淳司先生:きらいっていうと語弊があるんですけど、能ってとにかく難しいんですよ。いろいろ考えてしまうと何にもできないし、覚えるのも大変。これからもずっと覚えていく職業です。他の職業に就いている方と比べると特殊だと思います。例えば、一つの舞台が終わるとまたすぐ次の舞台に向けて覚える。気が休まるときがないんですよね。昔、同級生と海外旅行に行ったときに、僕は気が付くとつい謡をさらっていて。他の仕事をしている同級生は、旅行中は仕事のことを忘れて、東京に帰ってから仕事のことを考えればいいのに、能役者はそうはいかなくて。なんてつらい職業なんだろうと思うときもあります。また、単純に難しい。分かりやすい内容の能もありますが、難しい曲になると、「この人はどういう気持ちで謡っているんだろう。」というのを考えだすと、すごくきらい(笑)。

スタッフ:それを聞くと、反対に孝道先生はそういうことを考えるのがとても好きな方だったなと思います。いろいろなことを勉強して、実際にその場所に行かれたりもして。演出としてわざと分かりづらくやってみたりとか。

淳司先生:能のあらすじを教えてくださいって言うと、父はすごく懇切丁寧に教えられる人でしたね。僕は全く教えられないです(笑)。

スタッフ:でも、そういうところも淳司先生の魅力なんだと思います(笑)。お弟子さんもなんとなく感覚的なところを大事にする方が多いというか。そんな先生を見守っている感じがします。

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