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⑬【川瀬隆士 先生】宝生流能楽師をもっと身近に。

学生時代から大好きな曲だという「放下僧」を10月の五雲能で勤められる川瀬隆士先生。
「放下僧」の魅力をたくさんお聞きしました。
師匠との思い出、先生のやんちゃ時代もお伺いしています。
川瀬先生にとっての「つなぐ」とは?

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――川瀬先生が「受け継いできたもの」は何ですか。
私は、ものを受け継いだというのがあまりないんですよ。両親が能楽師ではないので古い書付や謂れのある面はありません。

受け継いできた[もの]ですと、この仕舞用の扇ですかね。形は一般的な鎮め扇ですが、私の師匠である渡邊荀之助からいただいたもので、宝生流の仕舞扇と見比べると少し大きいです。「お前は体が大きいから、これを使え。」と言われていただきました。私の師匠も手が大きいので、大きめに作ってもらっているそうです。
ここ一番というときはこの扇を使っていますね。番外仕舞をいただいたときや、舞囃子を舞わせていただくときなどに使います。

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ーー川瀬先生が能を始めたきっかけは何ですか。
子どものころから、両親が能を趣味でやっておりまして、兄たちも小学生のころから仕舞を習っていました。私も嘱託の方のところへ習いに行かされてましたね。最初は餌付けされて(笑)。兄二人と私は年が離れているものですから、兄たちがやっている姿は記憶にないのですが、兄二人が「小袖曽我」を舞っている写真が居間に飾ってありまして、幼心にいいなーって思いながら見ていたんです。

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(お兄様たちの相舞の写真)

母が子ども向けに演劇を見せるサークルをやっていたのもあって、舞台にはすごく憧れがありました。

少し大きくなって、いろいろと道に迷い、人様にご迷惑をおかけしながら散々に自由気ままにやらせてもらっていたんです。尾崎豊の曲の歌詞を想像して頂ければ解りやすいかと、、

家業が医者だったので子どもの頃は休診日に外来受付の掃除や患者さん達のスリッパ掃除などのお手伝いをしてお駄賃をもらっていました。また夏休み冬休みには認知症患者さん達のデイケア施設でのお手伝い等もしておりました。職員さんや患者さん達、沢山の大人達と接していくうちに自分は将来何をして生きていくのか、どうやったら家族の中で同じ大人として話していけるのか、何をしたら喜んでもらえるのか、、そんな事を考えていました。
道に迷い続け、いろんな人に迷惑をかけて生きていく中で、自分の甘えに気づいたというか。いくら強がってもだめだなと思いました。

能は好きだったので、中学3年になったときに、ちょっとは親孝行しなきゃいかん、と思って、お稽古をさせてくださいと親にお願いしたんです。まあ、それも甘えなんですけどね。お月謝を出してもらってたので。

地元の仲間にはお稽古してることは隠してました。行儀よく真面目にやってるって言うのも恥ずかしかったんですよ。
高校3年生のときに、地元の新聞に載ったことがありまして、ある朝、高校に行くと担任から「ちょっと職員室に来い!」と言われ、「あっちゃー、思い当たる節がいっぱいありすぎる…」と思いながら、職員室に行ったら「すごいじゃないか。こんなことやってたのか。」と褒められてびっくりしました。友人たちには伏せていましたので、友人たちにはずっと「ケイコ」という名の彼女がいると思われていました(笑)。「これからケイコだから。」と言っていたので、友人からは「『お』つけろや。お稽古だろ。」と言われましたね(笑)。

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地元の新聞に載ったこの写真は「経政」の舞囃子を地元で舞わせていただいたときのものです。
その年、師である渡邊荀之助の社中会「賀宝会」、いわゆるお素人会で能を舞わせていただきました。素人がお能を舞わせて頂くので、安くないお金がかかるわけです。父親から「お前が能をやるにはこれだけのお金がかかるんだ。お前はこの先どう生きていきたいんだ。」と言われまして。

両親に「この道(能楽)に入りたい。入らせてほしいので、応援してほしい。」と高校3年生のときに伝えました。その後、荀之助師に両親と相談に行ったのですが、最初は「玄人の弟子としてはとらない」「体育会系の世界に見られがちだが、決してそれだけではない世界」と断られました。諦めが悪いのは今も変わりませんが、それでもご指導をお願いし続けていくうちに、なんとかお許しをいただきまして「素人出身で玄人を目指すには芸大入学卒業が最低限の意思表示」との御言葉をいただき、そこから本格的なお稽古をつけて頂けるようになりました。今思えば、一度断って直ぐに意思を変えるようなら能の世界では生きていけないと、色々な面で見てくださっていたのかとも思います。

ーー渡邊荀之助先生とはいつ出会ったのですか。
高校に入ってから渡邊荀之助の稽古を受けさせてもらっていました。それまでは、地元三条の嘱託の先生の稽古だけでした。

青臭いですけど、当時は大人たちに対してとても不信感を抱いていた思春期だったので、そんな中で出会った渡邊荀之助がすごくかっこいい大人に見えたんですね。本当に垣根なしに正面からぶつかってくださって、田舎にはないおしゃれな雰囲気もあって、なにか凄みのある人だとも思いました。私はかなり目つきの悪い少年でしたが、真っ直ぐ睨み返してくれる数少ない大人、という印象ですかね。当時の思考回路は、倒せそうな相手か手強そうな相手かを常に考えている…という。頭悪いですね。(笑)

お稽古のときも、すごく厳しく真剣にあたってくれました。こっちは、行く度に髪の色は変わるし、顔の形も変わるし。今でも師匠に「こいつ稽古に来るときいつもうるせえバイクで来て、ボタンは外れてて、ズボンはずりずりで、ケツまで見えるズボンを履きやがって。」と言われます。
今思うとひどい話ですけど、そんなときにも、僕が赤い髪で行くと、「お、天狗が似合うじゃねえか。」とか。顔を腫らして行くと「いろいろとあたる年頃だよな。」って言いながら、折々にふれ、真正面からだけではなく時に横から、又は斜め上から良いアドバイスを頂きました。

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結局、「もの」というよりかは、「人」と「生き方」を受け継いだのかなと思います。現在、賀隆会という名の社中会を主催させていただいておりますが、荀之助師の本名、「他賀男」(たかお)の、「賀」の字をいただきました。
また、お弟子さんも師匠から少し分けていただきました。あまり知られていませんが新潟県の三条市でお稽古されている素人の方は、流儀を問わず結構多いんです。それは師匠の御弟子さん以外にもたくさんいらっしゃって、一時は100人を超える人数がいらっしゃいました。三条宝生会という団体があるのですが、数年前に創立100周年を迎えました。その愛好家の方たちが、今は私の背中をも押してくださって、陰に日向に応援してくださって。これも本当にすべて師匠からいただいたものだなと思っています。

また、東京で宝生会主催の教室を担当させていただいている時に出会ったお弟子さんの中に、かつて宝生九郎先生に御免状を頂いた方や、お名前は伏せますが高名な先達に師事されていた方とも出会わせて頂きました。巡り巡って、本当に先人達からいただいたご縁かなと思っています。

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ーー渡邊荀之助先生から言われて大事にしている言葉やアドバイスはございますか。
モットーじゃないですけど、師匠の家に飾ってある短冊に書かれている「芸心一如(げいしんいちにょ)」という言葉を常に意識しています。もともとは「剣心一如」という言葉があるので、「剣」を「芸」に変えて、「芸も心も一つ」ということでしょうね。面白味のないやつが芸をやっても面白いことはできない。いつも臨機応変と言いますか、「肩肘張らずに面白くやれよ。」「他人の事を妬んだり羨んだりしている暇があったら、自分が面白いことをやって生きろよ。」「稼ぎが少なくてもいいじゃないか、とにかく楽しく生きろよ。」っていうのを師匠に折々に言われました。

あとは、母の口癖で、これも四文字熟語二つなんですけど、「敬神崇祖」「感謝報恩」ですね。「敬神崇祖」というのは、神を敬い、祖先を崇めること。「感謝報恩」は感謝して恩に報いるように生きていけという意味でしょうか。「何事もありがたいありがたいと感謝して生きていけ。」と、子どものころから口すっぱく言われて、ずっとおまじないのように耳に残っちゃってますね。

ーー今回の五雲能で「放下僧」を勤められますが、このお役をいただいてどういう印象をお持ちになりましたか。
「放下僧」という演目は非常に好きな曲なんですね。以前、佐野玄宜さんのツレ(*能LIFEに掲載の「放下僧」がその時の写真)で出させていただいて、いつかシテもやらせて頂きたいなと思っていました。
さらに「放下僧」というと「小歌」と呼ばれる部分が有名で、仕舞にもなってます。仕舞で「放下僧」をやるときは「放下僧」と書かずに「小歌」と表記されるくらい「小歌」がピックアップされるんです。クセを舞う際は放下僧クセと表記されます。

子供のときに風呂場で「小歌」を謡っていたら、母から「あんた、謡が好きなのはいいけど、風呂場で大声で謡うのはやめてくれ、近所迷惑だ。」と言われたくらい好きな謡が「小歌」なんです。なので、今回の五雲能はとても楽しみにしています。

ーー注目して観ていただきたいところを教えてください。
もちろん「小歌」もですが、能LIFEの解説(※インタビュー記事の後に掲載)にも書いたんですけど、とても話の展開のテンポがよく、芸づくしなんですね。最初は、「仇討ちに行こう、お兄ちゃん!一人で行きたくないし一緒に行こう!!」というようなことをやんちゃな弟が言いながら尋ねて来ます。初めお兄さんは仇討ちに行くのに難色を示しているんですが、弟が中国の故事を引き合いに出してきます。弟の一人語りが前半の見せ場ですね。

後になると、仇役が出てきますが、ワキと狂言、この二役がとても大事なんです。ワキは最初、顔を扇で隠して出てくるんですよ。「俺の名前を言うなよ。」とワキが言ってたにもかかわらず、狂言がついうっかり、「こちらにいる方は相模国の住人、利根信俊...あややや!」って、名前をついうっかり言っちゃうんです。そういう瞬間にシテとツレは一瞬そっちをガバッと向くという描写があったりして、とてもドラマティックというか。現在のいわゆる映画とかドラマにも使われそうな、そういうちょっとした演出があったり。

また後段にはシテとワキとの禅問答があるんですね。お兄さんは禅僧だったので、禅が得意なんです。敵であるワキも禅法が好きだということで、じゃあ、禅問答でもしたらいいんじゃないか、という話になって禅問答をするんです。相手を煙に巻くような、とにかくお兄さんは仇討ちを悟られまいとぼかしてやっているところで、後ろにいる弟はカッカカッカしているわけですよ。我慢できず弟が弓で射掛けそうになったり、太刀で斬りかかりそうになるんですが、それを都度都度、「まだここじゃない。まだ早い。」と、逸る弟を兄がずっと抑え続けるんですね。
そうこうしている間に、じゃあ今度はクセ舞を舞ってみろ、カッコを舞ってみろと、芸を所望されるわけです。

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そして、小歌ですね。「放下僧」とは関係のない、当時の流行り歌です。都の名所教えであったり、当時の人気の芸を身振り手振りで舞っていくんです。

仕舞で舞うと、終曲に向けてゆっくりになりますが、能の「放下僧」では、小歌の後に急展開があるので、ゆったり舞っていたのが、後半でクルクルっと一気に早回しになって、最後は兄弟で本懐を遂げるという演出なんです。これも能の一つの特徴で、直接的な表現はあまりしないんですね。

ワキは舞台から退いて、笠だけ残して行くんです。その笠をワキの形代として何度も刺して、笠をどけて、太刀を担いで、喜びの型をして、めでたしめでたしで終わる演目なんです。

仇討ち物と言えば、「曽我兄弟物語」が定番ですよね。ノンフィクションの「曽我兄弟物語」に対して、「放下僧」というのは、フィクション、巷話を盛り込んだ作り物なんです。フィクションだからこそ芸づくしや禅問答を入れこめるんだと思うんですが、当時というか今でも、仇討ち物ってみんな心が踊るというか、悲壮感がある方が燃え上がることがあると思います。いろんなギミックが盛り込まれているので、一回観ただけでは分からないというところもあると思うんですが、ぜひ今回はお客様に楽しんでいただけたらと思います。

あとは、初めてご覧になるお客様では、面をかけていると、どの役者が何の役なのか分からないというご意見の方が結構いらっしゃると思いますが、「放下僧」は直面(ひためん=面をかけず素顔で登場する)ですから、出てきた瞬間から、あ、この人がシテなんだな、と分かりやすいと思います。

ーーオンラインサロンの講師を毎月担当されていますが、どのような内容ですか。

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現状、月2回開催しております。毎月、演目が変わりまして、その演目について掘り下げていくとともに、我々能楽師の普段の生活を身近に感じていただきたいので、年の近い木谷哲也先生と一緒にやっているので(※第4回インタビュー掲載)、日常生活であったりとか、日常会話を入れたり、思い出話をしたりして、とてもゆるくやってます。

実は8月で一区切りだったんです。これで終わるのかなって思ってたんですけど、お家元の方からGoサインをいただきましたので、引き続き担当させて頂いております。

どうしても能楽師がやるサロンとかって堅くなりがちだと思うんです。肩の力を抜いて、お能ってこんな感じ、お能のこういう所が面白いよねって、お客様側の視点だけでなく、能楽師側からの視点で、こういうときどう思う?どうやってやってる?っていう話を混ぜながら、という感じですね。

あとは、今後の展開として撮影場所を変えながらできれば、と考えています。
実は8月の一番最後のスペシャル会はこちら(稽古舞台)で行ったですが、夏の蔵掃除をちょっと見学して頂きました。
いつもの稽古舞台だけではなく、気分を変えて本舞台に行ってみたり、鏡の間に行ってみたり、楽屋やロビーに行ってみたり、宝生能楽堂をあますことなくお見せできればと思います。
今後は能楽堂の外に飛び出して行くこともあるかもしれません。

ーー今後、サロンで一番やってみたい企画はございますか。
もし許されるのであれば、これは私と哲也くんだけだと羽目を外しすぎかねないのでもう一人ブレーキ役を入れながら、ぜひお酒を交えてやってみたいかなというのはありますね。
どうしても私達は根がまじめですから(笑)、柔らかく崩そうと思っても、本気でまじめに崩してしまうので、丁度良く、程よく品よくやってみたいです。

能にはお酒にまつわる物語がとても多いですし、やはり夢幻能の一つの特徴として、夢現の心地で観ることによってより楽しめるという面があると思いますので、参加された方にも夢現の状態でお酒を飲みながら観ていただけたらなと思います。

こんなご時世ですけれども、せめて能楽堂に足をお運びいただけたときには、リラックスして観ていただければと思います。

最近、演能会やワークショップで解説を任されることが多いのですが、お客様に対して、狂言のときは集中して観てくださいとよく言っています。一挙手一投足を見逃さないように。会話劇や、所作で見せたりすることが多いので、ぜひ集中して観ていただきたいです。

対して能のときは、どっかりゆっくりかまえて俯瞰で観るのが良いかと。面をかけた役者はあくまで形代でしかないので、その演目その役柄を見てその役者だけで決めつけないで、ご自身の中でのイメージとか、心象風景を重ね合わせながら観て楽しんでいただけた方が能は長く楽しめるかなと思っています。

じゃあ、直面はどうなんだっていう話になってしまいますが、それはそれで。
直面は素顔のままなので、「自分の顔の形をした面をかけたつもりで舞え。」と教わります。なので表情はあまり動かさない。眉毛もあまり動かしちゃいけない。これはうちの師匠に昔言われましたが、「瞬きするな。」と。良い役者は瞬きしないもんなんだっていうふうに言われますね。私はコンタクトレンズなので、瞬きしないのは難しいんですが(笑)。

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日時:9月9日(木)、インタビュー場所:稽古舞台、撮影場所:稽古舞台、10月五雲能「放下僧」に向けて。


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川瀬隆士 Kawase Takashi
シテ方宝生流能楽師
2002年入門。19代宗家宝生英照、20代宗家宝生和英に師事。初舞台「右近」ツレ(2005年)。初シテ「生田敦盛」(2013年)。

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ーーおまけ話
バイクが大好きだという川瀬先生。
バイク好きな能楽師の先生方とツーリングをすることもあるするそうです。

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