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⑫【藤井秋雅先生と上野能寛先生】宝生流能楽師をもっと身近に。


企画初!二人同時インタビュー
内弟子のお二人が受け継いできたものとは?

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9月五雲能で「生田敦盛」を勤める藤井秋雅先生と「殺生石」を勤める上野能寛先生。
今回のインタビューでは内弟子として、また個人として受け継いできたものや、内弟子生活についてお話を伺いました。新しく入った後輩たちへの想いが盛りだくさんです。

――内弟子として「受け継いできたもの」は何ですか?
藤井:本日お持ちしたのが2つありまして、「蔵帳」と「作り物付(つくりものつけ)」というものです。「蔵帳」は、地方で行われる薪能や定期公演のときに、どの装束を蔵から持ち出したのか確認するためのメモ帳ですね。
装束などの忘れ物チェックのために、出る前に内弟子の中でも下っ端の者が使う物をリストアップして書いておいて、それを荷物に詰めて、上の者が「これ入ったね。」って確認して丸をつけています。

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――蔵帳への書き方は決まっていますか。
藤井:特に決まっていないんですが、数十年間書き方は変わっていないようですね。僕もこういう風に書いています。

――たくさん蔵帳がありますね。
藤井:これだけ外での仕事があるってことですよね。
外部の公演だと人手が足りなくて簡略化した装束を出す場合があるんですが、「あのときのあれって何に使ったんだろう。」と分からなくなったときにこの蔵帳を見直したり。ほとんどないんですが(笑)。僕は9年間いて1回だけ参照したことがあります。

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藤井:もうひとつが、内弟子にというよりこの宝生流の蔵に伝わっているんですが、「作り物付」ですね。能で使う大道具(=作り物)の、作り方は載ってないんですが、完成図というか完成資料みたいな感じのものです。

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――今まで作った中で一番難しかった作り物は何ですか。
藤井:難しいというか、非常に時間と手間がかかるのは、「道成寺」の鐘と、花見車ですね。花見車は「熊野」や「右近」といった曲で使うんですが、完成までに5~6時間かかりますね。
上野:この絵だけ見ると簡単そうに見えますが、大変なんです(笑)。

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 (写真右:花見車)

藤井:何十年も使っている竹の枠に、基本的には「ぼうじ」という細長い布を巻いていきます。以前、楽屋カメラでぼうじを巻く風景を撮影されましたよね?(笑)。※楽屋カメラ「ぼうじ」の回をご覧ください。

この赤い部分は「紅段(こうだん)」と言って、オレンジ色の飾り布みたいものを全体に巻いていきます。
これは「ちどり」と言って、ギザギザしているものですね。これもかける順番や場所がかなり複雑です。ぼうじの白いところが見えないように気を付けたり、継ぎ目の部分を固定するのが非常に難しいんですよ。花見車を作るときになったら「お前やれよ。」とか「この前俺やったから。」みたいに、譲り合いになります(笑)。

――作った後はそのまま残して保管するのですか。
藤井:いえ、毎回解体してしまいます。曲によっては、作り物は10分出て引っ込んで終わりみたいなものもあって…。「5~6時間かけて作ったのに…」と思うときもありますね。

他の伝統芸能ではしているところもあるのかもしれませんが、作る立場からするとやはり作り置きしておきたいです。スペースがないというのも理由のひとつですが、作り置きにしてしまうと、これを作る技術が失われる。このぼうじというのは、さらしを主に8等分や6等分に割いて使うんですが、ただ単に巻くだけでも難しい技術なんです。

――この作り物付はどなたのものだったのですか。
藤井:佐野萌先生のところから家元経由で拝領した物もあるんですが、詳しくは分かりません。ずっと受け継いでいるので。これ自体もコピー(写し)なので、最初に誰が作ってどうやって伝わって来たかは分かりません。

上野:この作り物付はあまり頻繁には見ないですけどね。作り方など細かいところまでは書いてないので、先輩と一緒に作りながら色々と教えてもらいます。

藤井:実質、内弟子が受け継いでいるものは「技術」ですね。

上野:日頃先輩方から教えていただいて、ご指導いただいて、それを覚えて…。知識や技術や、そういうものが主に僕らが先輩方から受け継いでいくものだと思います。


――上野先生が個人的に「受け継いできたもの」はありますか。
上野:僕は福岡出身なんですが、僕の祖父は福岡で玄人の能楽師として生きていたんです。受け継いでいるものはほぼないんですが、つい最近、遺っていた着物や小物を実家から送ってもらいました。その中から、この羽織を今日は持ってきました。
祖父は身長が大きくなかったので、僕は祖父の羽織が全く着れないんです。せっかくいただいたんですが、箪笥の肥やしです(笑)。

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――藤井先生が個人的に「受け継いできたもの」は何ですか。
藤井:父から受け継いできた「仕舞囃子全集」を持ってきました。

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松本惠雄や野口兼資、田中幾之助、という当時の名人と呼ばれる方々に父が稽古していただいていたときの覚書ですね。父にしては読める字で書いてあります(笑)。

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細かい動きは口伝で、この謡のときにはこうするんだっていうのを稽古で受け継いでいくわけですね。

――藤井先生はお父様からどのように稽古を受けていましたか。
藤井:うちの稽古はゆるいほうで、父は叱り飛ばしたりしないタイプなんですよ。「違うよ!」は言うんですけど、肯定はしないんです。質問したら答えてくれるんですが、やってみたときに「違うよ!」って言われたときは、待っていても何も言われないんです。何が違うか何も言われない。ちょっと変えてやってみて、また違うよって言われるときもあれば、何も言われなかったときは、「あ、これでいいんだ。」って。

この覚え書きに書いてあるようにやったのに「違うよ!」って言われることもあるんですよね。それは、その人が何十年と考えを積み重ねてきた結果、そうじゃなくてこの方がしっくりくるというのが人それぞれあるんですよね。色々書いてある物の例をあげると、「木賊(とくさ)」っていう曲は、1~3まで書き記しがあって、2が一番メジャーなやり方だって書いてあるんですよ。1番は松本惠雄師がこの通りやっていて、2番の野口兼資師と田中幾之助師はこのようにやる。3番は名前が書いてないのでまた違う人に習ったときに言われたんでしょうね。決まっている型の中にも個性が出るというか、工夫が出るというか。

うちの父は子どもの時から能をやっていたわけではないんです。18歳で波吉家というところに芸養子的に近い形で入門し、そこからプロになったので、とにかく数をこなしていたみたいですね。僕は3歳からこの世界にいるので、習ったところはなるべく覚えるようにしています。でもやっぱり、書き残しておけばよかったなって思うことがたくさんありますね。本番でやって「覚えた!もう忘れない!」と思っても、たった5年後ですら案の定「ここどうやってたっけ…」って。自分がお弟子さんに教えるようになって、どっちの足から出て、どっちの足で止まる、というのも書いてあると分かりやすいなと思いました。こういう書付が残っているのが非常にありがたいですね。自分では理解しているから書かないようなことも、父は初心者だったからこそ書き残してくれていたんです。


ーー上野先生はお祖父様からお稽古を受けたことはありましたか。
上野:僕は祖父からは稽古を受けたことがなかったんです。叔母が嘱託(宝生流において免状を受け、素人に稽古をつけることを許された者)だったので、僕は一番最初に叔母に教えてもらいました。小さいころは遊びのようにしか稽古を受けていなくて、本格的に始めたのが高校生のときなんです。
佐野萌先生にお稽古をつけていただいたんですが、佐野萌先生は結構厳しい先生でした。秋雅さんと同じように「違う」としか言われなくて。僕はそのときは何もできなかったです。冷や汗だらだらで稽古を受けてました。佐野萌先生が体調を崩されてから、今も東川光夫先生にお稽古をつけていただいてます。
光夫先生は、稽古中はなにかおっしゃることは少ない方ですね。終わってから一気にここはこうだ、あそこはこうだと教えてくださって、そこで僕も質問させていただいたり。

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――9月の五雲能で勤められる曲について教えてください。
藤井:「生田敦盛」という曲は子どもが出てくるんです。子どもとお坊さんが旅をしていく中で、死に別れたお父さんに会いたいということでお参りをするんです。その十七回目のお参りが満願した日に夢を見て、生田の森に行けば父に会えるというお告げを受けて、実際に行くと敦盛の幽霊が、当時の甲冑の姿でいる。そんな親子の対面を描いた話なんですが、これって自分が子を持っていたら、もっと何か感じられたのではないかと思うんです。もちろん僕はまだ子はいませんし、”自分が死んでから生まれた子に対面する”っていうのは全く想像がつかないし、どういう気持ちに至るのかを考えるのが難しいですね。
能はあまり芝居がかってはいけないと言いますが、でもやっぱり、子に会ったときにどういうショックを受けて謡を謡うのか、どういう気持ちで子方と対面するのかというのを、なるべく想像してやりたいなと思っています。
子どもができて育ててパパになってるときにもう一回やったら、今とは違うかもしれないですね。

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藤井:注目して観ていただきたいのは、親子の初対面のシーンです。シテが入っている作り物は引き廻しという幕に覆われているんですが、引き廻しが下りて姿が現れると、敦盛の独白のようになります。そこに子どもとお坊さんが気づいて近寄ってきて、幽霊だけれどもお父さんの袖に子どもがしがみつくという最初のシーンがあります。お父さんが最初に子どもを見つめる表情、というと能面なので難しいですけど、きっと想像すれば表情は見えてくる。そこの、親子がどう思っているのかというのを想像して観てほしいですね。

上野:僕も、能はお客様の想像の中で完成するものだと思っているので、押し付けすぎず、でも僕が考えていることを想像していただけるように演じたいです。

「殺生石」の玉藻前は妖艶な美女として舞台上に出てきますので、やはり見所からご覧になっているお客様にもうっとりしていただけるように、体をシャープにしていきたいなと思って、今、減量しています(笑)。少しずつですが減ってきているので、本番のときは美しいなと思っていただけたら。
「殺生石」の見どころとして、前シテの美しい女性をみせることがあるかと思います。、妖艶な美女を演じたいと言いましたが、僕はまだ30歳にもなっていないので、今の時点でそれをうまく表現するのはちょっと難しいかなと思ってもいるんです。
石が割れて九尾の狐として正体を現した後、型や謡で、九尾の狐が射たれるときの特徴的な型が多数出てきますので、そこを若手らしく力強く演じることができればと思います。

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先日、栃木県那須町の「殺生石」に実際に行ってきたんです。温泉地で有名なところですが、硫黄が強く、実際に虫や小動物が死んでしまうことがあるそうです。お参りをして、よい舞台にしますと殺生石に誓ってきました。僕のインスタで写真を公開しておりますので、ぜひご覧ください!

また、今回私が勤める能「殺生石」は、能LIFEOnlineのオリジナル番組「いとうせいこうの能楽紀行~殺生石~」に収録され、ストリーミング配信されることが決まりました!
10/9(土)に配信開始予定とのことで、詳細は宝生会Twitterでの告知をお待ちください!

――今回のインタビューには内弟子のお二人にお越しいただいていますので、内弟子生活はどのような感じか教えていただけますか。

上野:普段から一緒に生活しているので交流は多いんですが、今は秋雅さんが頭(かしら=内弟子を統括する立場)なので、僕を含め、新しく入った3人がミスをすると全て秋雅さんの責任、家元の責任になってしまいます。家元の内弟子なので。秋雅さんは頭というだけでいろいろな責任が伴ってきて、僕らでは想像ができないことを考えていらっしゃると思います。頭というのは、僕の印象では率先して動くというよりは見守る感じですね。

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――藤井先生は頭になってみてどうですか。
藤井:想定していたよりも忙しくないです。僕は内弟子になって9年目なんですが、歴代の頭を見ていると、みんな死にそうになりながら駆けずり回っていたので、頭になるのは大変そうだなぁと思っていました。今は通信手段が発達したこともあって、仕事のやり取りもスムーズにできるので圧倒的に楽になっているはずだと思います。クライアントとの連絡や、大学の授業のすり合わせなども、メールやLINEでの連絡で済むし、実際に動かずともデスクワークで済む面が多くて。

だから、定例会や蔵の実務的なことはどういう感じでいこうかなと考えています。歴代の頭は、口頭で指示して、下の子を動かして、一緒にやるという感じだったんですが、ちょっと一旦、何も言わずに見ておこうと思っていたら、想像の100倍くらいこいつ(上野先生)が動いてくれて。まだ全然何も分かっていないと思っていたけど、何も分からない学生に指示して、できました!次は何やりますか!くらいの勢いで色々こなしてくれてびっくりしました。

上野:僕は反省の日々です(笑)。なんとなくこうかなって軽い気持ちでやってしまうとやっぱり違うことがある。ちゃんと集中してやらないと間違えてしまうところがあって、後から秋雅さんが直してくれたりする。僕はそういう人がいないとだめなので、秋雅さんには内弟子を卒業してほしくないなって思ってます。

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――寂しくなりますか。
上野:寂しいというか…人手的に(笑)。僕が気づけないところを気づいてくれる人ってすごく重要だと思います。一人だと考えることに限界がありますし。新しく入った子たちはまだ学生なので、理解しろって言っても難しいのは仕方がない。ここに入って住み込んでるだけでいろいろなことが起こるので、細かいところまであの子たちに覚えろって言うのは、環境が変わっている上にそれを急かしてしまうのはかわいそうだなと思っていて。

上野:僕は藝大を卒業してから書生に入ったんですが、今の新人3人は内弟子の人手が足りないので藝大の3年生のときに入ったんです。和久荘太郎さんまでは学生のときから入ってたんですけど、今はそれが復活した形ですね。一気に教えるのは酷だなと思いながら、でもそれを覚えてくれないと秋雅さんは内弟子を卒業できないので、ときどき厳しく言ったりもするんですけど。心の中では申し訳ないと思ってます。

藤井:やっぱりいきなり色々詰め込むのは無理だと思うよ。一回教えて、理解した上で更に間違えて、そこはこうだからもうやるな!ってなったら一生間違えないくらい覚えるかもしれない。でもまだ何をどう間違えたかすら分かっていない子たちなので、「こうですか?」って持ってきたものに、「違う。こう。覚えた?」って聞いて「はい!」って言ってても、一週間後にはまた同じ間違いをして。前回、内弟子頭だった朝倉大輔(※第2回目インタビューに掲載)もよく怒鳴ってましたね。

上野:たとえば装束の収納場所とか、僕は内弟子に入ってから何年もかけて覚えてきたものです。それをすぐ覚えろと言うのは酷なので、まず最初は家元の舞紋付、舞袴といったものを管理することを徹底してほしいと言っています。あの子たちはすごく努力家なので早く覚えてくれます。でも厳しく言うときもあります。何回も間違えられると(笑)。

藤井:僕が入った当時に比べたら、今の子たちは頑張っていると思います。僕は朝倉大輔と同時に入ったので、一緒にご飯作ったりしたんですが、彼が装束類は興味持っていて詳しかったのである程度頼っていて、内弟子に入って3年、4年くらいまでは先輩の言うことをやってればいいや、くらいの感じでいたのが、だんだん焦り始めて、いろいろ知らないといけないと感じるようになりました。蔵のことも自分で勉強したし、どの曲にこの柄のこの色のこの装束を家元はよく使うのかっていうのをインプットしていって、指示される前に先回りして出せるようにちょっとずつしていく感じです。

蔵って覚えることが3段階くらいあるんですね。紐類、小物類を下っ端がやる。中堅が上着とかを出して、トップの人が面、腰帯、鬘帯とか。僕は、ちゃんとやろう思い直したときに、「この箪笥だけはマスターしよう。」と思って、それが唐織箪笥だったんですが、唐織箪笥に関してはプロです、くらいの感じになりました(笑)。そこ以外に15倍くらいは量がある他のところには全然手をつけなかったので、これから頑張って覚えなきゃって思っていたらいつの間にか内弟子頭になって、触れなくなったので、任せてます(笑)。

上野:そんなことないです!ちゃんと把握されていて、僕たちに教えてくださってます(笑)!

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藤井:家元が「あれ出して」っておっしゃったけど、合致するものがないってみんなが慌ててたときに、「ああ言ってるけど、きっとあっちのことだな」って分かるくらいまで極めました。「家元はそうおっしゃったけどここを勘違いしていて、そうじゃなくてこういうのがある。家元が求めているのはこれだ。」みたいな。唐織は詳しくなりましたね。


――内弟子の毎週火曜日はカレーの日だと伺いましたが。
上野:今日は石塚(※楽屋カメラ「餃子作り」回に登場)がカレーを作るようですね。石塚はこだわりますね。僕らが食べやすいように考えてくれています。
藤井:僕はカレー嫌いなんですよ…毎週カレーだから、本当に火曜日嫌だ…


――最後に、9月の五雲能を観に来てくださるお客様へ向けてメッセージをお願いします。
藤井:9月の五雲能はわりとポピュラーな曲が多いので、お楽しみに!
上野:すごく面白くて見やすい番組だと思います。「生田敦盛」「井筒」「殺生石」。しかも若手が二人の珍しい座組で、山内先生の洗練された芸と、フレッシュな芸と、両方観られます。なにより、僕らは五雲能に向けてとても稽古します!
藤井:血のにじむような稽古を
上野:しています!(笑)
藤井:お楽しみに。
上野:コロナ禍で能楽堂に足を運びづらいかとは思うんですが、お客様に良いと思っていただけるような能を演じたいと思いますので、ぜひ足をお運びください!


インタビュー日時:8月17日(火)、インタビュー場所:宝生能楽堂楽屋、撮影場所:宝生能楽堂楽屋、9月五雲能に向けて。

9月五雲能

9月五雲能番組


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藤井秋雅 Fujii Shuga
宝生流シテ方能楽師
藤井雅之(シテ方宝生流)の長男。1994年入門。19代宗家宝生英照、20代宗家宝生和英に師事。初舞台「鞍馬天狗」花見(1995年)。初シテ「田村」(2015年)。

上野能寛 Ueno Yoshihiro
宝生流シテ方能楽師
2011年入門。20代宗家宝生和英に師事。初舞台「草薙」ツレ(2016年)。初シテ「忠信」(2020年)。


おまけ話~作ってみた~
インタビュー後に、ぼうじを巻く様子を撮影させていただきました。
詳細は公演前に投稿の動画にて。「殺生石」の作り物もちらっと登場します!ぜひお楽しみに♪

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