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「私の死体を探してください。」   第2話

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三島正隆【1】

 地下室を作ろう。と言ったのは確かに僕だった。麻美はそんなもの必要ないのに理解ができない。という顔を隠しもしなかったが、いざこの別荘ができあがってみると、地下室を一番気に入っていたのは麻美の方だった。僕が自分の趣味の部屋にしようと考えていたことも忘れて、昔の文豪さながらの古い座卓の書き物机を僕に運ばせて、執筆が行き詰まると決まってそこで書いた。締め切り前の時間に追われているときの後ろ姿は、まるで地下牢に閉じ込められている囚人が自分の無実を綴っているようだった。

「追い詰められているかんじがして、集中できるみたい」

「○○みたい」は麻美の口癖だった。

 麻美は自分のことがよく分からないのか自信がないのか昔から常にそういう言い方をした。自分のことさえよく分かっていないような女だったのにものを書いていた。もしかしたら、ものを書いている麻美はまったく別の人格が宿っているのかもしれないと思ったものだ。

 ここに物件を探しに来たときも、富士山を見ておびえているような怖がりな女なのにシリアルキラーやサイコパスやテロリストを書く麻美はやはり精神的にどこかおかしいのではないだろうか。

 富士山を見ておびえていたのも僕にはまったくよく分からない理由だった。

「なんだか見張られているみたい」

 富士山が僕らを見張っているというのだ。確かに山中湖湖畔から眺める富士は写真や映像、東京の展望台から望める蜃気楼のようなぼんやりとした姿とはまったく違う。大地の、地球のエネルギーの隆起を感じる。でも富士山は僕らを見張ってはいない。ただそこにあるだけなのだ。

 しかし、麻美がここに別荘を建てた理由は「富士山が見張っているから」だった。

 もともと、レジャーのためではなく。東京の喧噪からはなれて執筆をするための家かマンションを探していたわけだから、巨大な見張りがいる。というのは麻美にとっては絶好の場所だったのだろう。

 リラックスとはかけ離れた理由で山中湖に別荘を建てることになったのだ。

 二部屋ある地下室の両方のドアを開けて換気をした。当然だが窓がないから空気の入れ換えはなかなか時間がかかる。臭いもこもりやすかった。もともとワインセラーとパントリーを兼ねた部屋として作ったから、簡単な調理はここでもできる。麻美が前回来たときに捨てるのを忘れた生ゴミが残っていたせいで地下室には悪臭が立ちこめていた。まったくだらしがない。麻美にはそういうところがある。仕方がなかったとはいえ、地下室に来たことを後悔した。

 地下室の冷凍庫からストックしていた氷を一階のキッチンに運び、手を洗うと吊り戸棚から、自分のお気に入りのロックグラスを取り出して氷を入れる。鈴が鳴るような小気味よい音がしてそれだけで癒やされる気がした。ウイスキーを注いで一気にあおった。

 ここに来るしかなかった。

 その考えを振り払うようにもう一杯注いで、リビングに向かう。天気がよく将棋盤のように規則正しく正方形が並んでいるパノラマサッシから見える青空はいつもなら僕の心に解放感を与えてくれるのに、今日はうまく得られなかった。深々とため息をついて革張りのソファーに腰を沈めた瞬間だった。

インターフォンのメロディがリビングに響いた。地下室にいるとインターフォンになかなか気づかない麻美に音量をあげておくように言ったのは確かに僕だったが、それはインターフォンを押す人物が大抵自分だったからだ。
 この別荘に来る訪問客はほとんどいない。近隣住民と特別な交際はないし、麻美には仕事関係の知人はいても、ほとんど友人がいなかった。重要な郵便物は東京のマンションにしかこないし、宅配便も頼んでいないはずだ。だとしたら……。

 僕は恐る恐る訪問者の姿が浮かび上がった明るいモニターをのぞき込む。そこにはよく見知った顔が、どこか不安そうな表情を浮かべていた。一瞬躊躇った。今は誰かと会いたい気分ではない。けれども、めざとくなくても駐車場には僕の白いランドクルーザープラドが目に入ったはずだ。別荘に僕か麻美が、もしくは二人が在宅していることの動かぬ証拠と思うだろう。

 僕は仕方なく「通話」ボタンを押す。

「先生! 森林先生!」

 切羽詰まったような声色に僕は驚いた。

「池上さん、麻美はここにはいないけど、どうしたんだい? 麻美は締め切りはしばらくないと言っていたんだけど、何か忘れているのかな?」

「あ、正隆さんですか? 先生は今どちらにいらっしゃるんですか?」

「どちらにって……。東京の自宅にいると思うんだけど……」

「東京のご自宅にいなかったから、私がここに来たんです」

 池上さんは麻美の担当編集者だ。東京からここまで車でも三時間はかかる。このまま追い返すわけには行かないと思った僕は玄関のロックを開けた。

 池上さんの髪は少し乱れて、化粧も直してないのか、その額と鼻の頭がてらてらと光っていた。いつも、隙のない印象をこちらに与えるように気をつけていることがうかがえる池上さんにしては珍しいことだと思った。

「森林先生と電話もメールも全然繋がりません。どこにいるか分かりませんか?」

「自宅と仕事部屋にいないなら僕にも分からないな」

「最後に先生と話したのはいつ、どこで、ですか?」

「どうしてそんなことを聞くんだい?」

「正隆さんは先生のブログをご覧になっていないんですか?」

「僕は麻美の仕事に関してはノータッチだからね」

「……。そうでした。じゃあ、こちらをご覧になって下さい」

 池上さんはそう言うと、自分のスマートフォンの画面を操作してから、それを僕に差し出した。気が進まなかったけれど、それを読んだ。

 麻美が病気? そんなことがあるだろうか? 僕はまったく知らされていない。それに、具合が悪そうには見えなかった。これはフィクションなんじゃないのか? 自殺をほのめかす内容に驚きを隠せなかった。死にたいと思ったことなど一秒もない女だと思っていた。

――私の死体を探してください――

 三度繰り返されたこの言葉に芝居じみたものを感じた。麻美は何か巧妙な仕掛けを作って、こちらが慌てふためく様子を楽しもうとしているんじゃないだろうか?

「正隆さん、先生を最後に見たのはいつですか? 自宅と仕事場と、この別荘以外で先生が行きそうな場所に心当たりはありませんか?」

「池上さん、まさか、このブログの内容を信じているわけじゃないだろう?」

 池上さんは僕を睨みつけた。そして、あきれたように深々とため息をついて。僕の手から自分のスマートフォンをひったくった。いつもの彼女らしからぬ暴力的な動きに僕は驚きを隠せなかった。池上さんは画面をスクロールして何かを確認した。そして、いらだちを隠しもしなかった。

「信じているから、私にとって一番の心当たりのこの別荘に来たんです。先生のブログの読者から編集部にひっきりなしに電話がかかってます。正隆さん。先生を最後に見たのはいつですか?」

「二日前に自宅のマンションだよ。麻美とけんかをしてしまって、僕はここに一人できたんだ。このブログがアップされたのはいつ?」

「昨日の0時ちょうどです。でも、森林先生は、いつもブログの公開を時間設定していたので、その時に書かれたものではないと思います」

「じゃあ、もし、このブログの内容が本当だったとしても、昨日の0時に麻美が無事だったかどうかは分からないってことか?」

「そうです。だから、急がないといけませんし、捜索するにも最後に誰が先生を見たかが重要になってくると思います。先生と位置情報を共有してないんですか?」

「そんなことしていないのは池上さんだって知っているだろう?」

「逆に森林先生が一方的に正隆さんの位置情報を知っているってことはないですか?」

「それはあるかもしれない。でも分からないよ。まあ、麻美は僕が何をしたって気にしないと思うけどね。いくら疑わしくしていても罰せられたことがない」

 池上さんは一瞬首を傾げてから、きょろきょろとリビングを見渡し、スマートフォンを操作すると僕に差し出した。

 メモのアプリケーションにはこう綴られていた。

――この部屋には盗聴器はないんですか?

「盗聴器? そんなものがどうしてあると思うんだい?」

 池上さんはまるで子どもに言って聞かせるように人差し指を唇にあてて、僕に黙らせてから、更にメモを書き込んでから、またこちらに向けた。

――森林先生は私たちのことをすべて、知っています。東京のマンションに盗聴器がしかけられているとしか思えない音声が先生から送られてきました。私たちのメッセージのやりとりも監視されていたみたいです。


 熱くもないのに背中や脇からどっと汗が出た。もし、麻美が何もかも知っていたのだとしたら、そのことを暴露せずに死ねるものだろうか? 
 麻美はなんらかの報復を考えるのではないだろうか? 



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