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生まれることと死ぬことと。

数年に何度か夫がこう呟くことがある。
たぶん、何かの曲がり角が来た時だろう。そういう時があるんですよね。

「もしも、将来ボケたら俺は死にたい」

もう、何度聞かされたかわからないが、毎度こう言う(苦笑)そして、私はこう返す。

「人間は生まれ方も選べないけど、死に方もたいてい選べないと思うよ。ほんとにボケちゃったら、そのこと自体がきっと分かんないから、死ねないと思うし」

「いや、まともな時もあるはずだ」

「まともな時があるとしたら、そのまともな時にはきっと、自分がボケてることが分からないよ。だから死ねないと思う」

「いいや、そんなことはない!」

あくまでも自分は毅然と死を選ぶというのだけれど、一緒にいてもうすぐ20年のこちらとしては、いいや、あなたはそんな潔い人間じゃない! と言いたい。でも、私はそう思うけれど、本人から見た自分と、私から見た夫ではイメージに若干の乖離があるので、そこは、そうか。ボケたらそうするのね。うん。で終わらせる。

この話をされる度に私はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアのことを思い出す。 

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、本名、アリス・シェルドン。長らく男性だと思われていた女性の大変素晴らしいSF作家だ。

そのジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの死は大変なニュースだった。

アルツハイマーで寝たきりになった夫と、心臓の病気が悪化していた彼女はあらかじめ取り決めていた通り、心中した。

なんと、夫を射殺して、自分の頭をぶち抜いて死んだのだ。

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの作品は登場人物が破滅の選択を潔くしたり、見切りをつけたりするのが非常に印象的なものが多いので、夫婦で話し合った末のことかもしれないけれど……。

発端はうちみたいに、夫にボケたら死ぬとか言われてたんじゃないかなあ……。なんて妄想してしまうんですよ。

なんてね。

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの伝記があるのですが、翻訳&日本で出版されていないので、『愛はさだめ、さだめは死』と『たったひとつの冴えたやりかた』のあとがきとWikipediaの内容のみの情報で妄想したことです。

伝記翻訳されないかなあ。あとがきで読んだ、ざっくりした内容でも、人生波瀾万丈のひとなのです。伝記も大変興味深いものだと思うんですよね。

話は戻りますが、

将来、本当にボケたら夫はどうするだろう?

私の見立てでは、彼はたぶん死ねないと思う。

アリスのように取り決めを持ちかけたら?

たぶん、安心させるために頷いて実行はできないだろうな私はと思う。

でもなあ……。

親族が誰もボケていない夫より、祖母がボケた私の方がリスクは高いんだぞうと(笑)

そして、私は今の頭でどう考えようとも、そうなった時に自分のことでも選べないと思うんですよね。

死は選べるというひともいると思うけど、そうなってしまうまでの病や老いや環境は自分で選べないこともたくさんあるので、元を正せば選べないんだと思います。


数年後、また夫に同じことを、言われたら、何の説明もなしに
「私はアリスにはなれませーん」
と意味深に言ってやろうと思うのでした。


それにしても、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの本はKindleが少ないなあ(悲)『あまたの星、宝冠のごとく』だけなんですよね。早川書房さま、なにとぞ!!




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