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「断罪パラドックス」   第1話

【あらすじ】

容姿端麗、成績優秀、クラスの人気者で誰からも評判のいい男子生徒、一条久は、学校の屋上から飛び降りて自殺した。

彼の母親は息子が自殺するはずがない、これは殺人に違いない。絶対に犯人を見つける、と全校集会で息巻く。母親はかつてこの町で起き迷宮入りした凄惨な事件の被害者家族でもあった。

おりしも桜山高校では様々なトラブルが起きていた。久のクラスメイトの三国慈愛杏登は久を相手に暴力事件を起こし、学年一の秀才の四ノ宮学は職員室からテスト問題を盗んだことが露見していた。

しかし、桜山高校のトラブルが明らかになるにつれ真実の暗闇も明らかになっていく。

断罪されるべきなのは、いったい誰なのか。

第一章   一条美紀


 お集まりいただきましたみなさまには、本日貴重なお時間をいただき誠にありがとうございます。通常でしたら、土曜日の午後、この体育館では部活動が行われていたでしょうね。昨年度はバスケットボール部が県大会で準優勝だったとか。私もPTA会長になりちょくちょく学校に来るものですから時折体育館を覗きました。若人が真剣にスポーツに取り組む姿は本当に美しいものですね。

 校舎も三年前に建て替えられたばかりです。冷暖房も完備されていますし、どこか城跡を思わせるデザインは城下町のこの町にしっくりとなじんでいます。先生方も教育熱心なことで有名ですね。指導力の高さは私を含め保護者のみなさんも満足していたのではないでしょうか。

ですが、志望校をこの桜山さくらやま高校にする。と息子のひさしに言われた時の私の正直な気持ちは、どうしてよりによって桜山高校なのだろう、と混乱致しました。桜山高校は百五十年の伝統を誇る文武両道を地で行く地域でも評判のいい進学校ではないか、というのがこのT市全体の認識であるということは承知しております。実際に進学率も高く、スポーツでご活躍の生徒さんも多く、むしろ私などは自分が桜山高校出身でないことに、この町では疎外感を覚えたことが何度もありました。けれども、大変個人的な理由ではありますが、私がこの桜山高校にいい感情をはなから抱けるはずがないのです。そのことを久も承知していたはずなのに、桜山高校を受験すると言われた時は少しばかり親子げんかのようなことになってしまったことは否定いたしません。

「どうしてなの? 桜山じゃなくてもいいじゃない。市外の私立だってあなたなら実力は十分だと担任の先生も仰っていたじゃない。寮に入ることにはなるかもしれないけれど、それも悪くないわよ? 母さんも高校は寮に入ったけど、すばらしい学生生活を送れたわ」

 そう何度となく説得したのですが、久は桜山高校に行きたいと言いました。あの子はその理由について多くを語りませんでしたが、母ひとり、子ひとりの生活の中で「お母さんがひとりになってしまう」それはよくないことだ。という義務感に駆られてしまったのかもしれません。そんなに自分の頼りない部分を見せた覚えはなかったものですから、久の勝手な思い込みに私は憤りに近いものを覚えました。

 何不自由なく育てたつもりだったのに、私と彼のふたりきりの家庭に不安を覚えたと言われたようなものだったのです。親として頼りない。という烙印らくいんをわが子から押されたような心地でした。

 何度かの話し合いとケンカを経ても久の決意は変わることがなかったので、結局私が折れた形で、久がこの桜山高校を受験することを認めたのでした。

 T市で大学進学を視野に入れるとほとんど選択肢はなく、桜山高校一択になってしまいますから。

「僕は市内の学校だったらどこだっていいんだ。高専でも工業高校でも商業高校でもいい。でも、できたら僕も母さんと同じ医者になりたい」

 最後はほとんど脅しでした。久は大学進学を断念するか、桜山高校に行くかの究極の選択を私に迫ったのです。

 私が久に桜山高校に行ってほしくなかった個人的な理由については、お集まりいただいた皆さまの中にノンフィクションを書いてくださった毎朝新聞社の記者の方もいらっしゃいますので既にお分かりになる方もいらっしゃるかと思います。三十年前、私は妹をある事件で亡くしております。

「一条美穂ちゃん連れ去り事件」は当時全国的にも大々的に取り上げられた事件であったのでご記憶にある方も多いのではないのでしょうか? 

 三十年前、七歳の私の妹、美穂は何者かに連れさられ三日後変わり果てた姿で見つかりました。事件当時私は十二歳でした。あの日、私は妹とふたりで自転車に乗って自宅から少し離れた市立図書館へ行きました。夏休みがもうすぐ終わるところでした。早起きをして行っていたラジオ体操もお盆がはじまる前にはなくなって、子ども会でおこなわれたキャンプや、納涼祭などのイベントも終わり、楽しみにしていた花火大会や家族旅行も終えて、私も妹も夏休みのお楽しみが全部終わってしまって寂しい気持ちと退屈した気持ちと、もうすぐ始業式の日が来る、なんとなく憂鬱な気持ちをやり過ごすために、ふたりで図書館へ行ったのです。

 私は自宅から図書館までの道のりが私はとても好きでした。今は道路が拡張されていて様変わりしておりますが、当時はあの川沿いは片側がサイクリングロードになっていて、生い茂った街路樹と川から吹く風で夏でも涼しかった。美穂と一緒に自転車をこぐのはいい気分転換にもなりました。

「お姉ちゃん、待ってー!」

 いつも美穂は途中で私のこぐスピードに追いつけなくなりました。美穂は自転車に乗れるようになったばかりでしたので、それも当然です。そこで、もうあと一息で図書館だけれど、私は近くにあるお稲荷さんの赤い提灯の下で美穂が私に追いつくのを待ちました。
私と妹は姉妹きょうだいげんかも沢山したかもしれませんが、私は美穂がとても可愛くて仕方がありませんでした。本当に可愛い、性格も愛らしい子でした。

 現在は私が医院長をしておりまして、名前も一条レディースクリニックと改めさせて頂きましたが、私たちの家は父が一代で築いた、産婦人科医院で、母はそこで看護師をしておりました。両親はとても忙しく、寂しい思いもしましたが、この街ではお産と言えば一条産婦人科と言っていただけるほどの評判は幼いながらにも誇りを抱いておりました。誇りだけでは寂しさはどうすることもできないものですが、私たち姉妹は幼い時からお互いを頼みにしていた部分があったと思います。美穂がいなかったら、どんなに寂しい子ども時代だったでしょう? 

 あの日、図書館から忽然こつぜんと美穂が消えてしまった時の私の気持ちは三十年たった今も上手く言い表すことができません。図書館は現在、他の場所に移転していますが、今もあの旧市立図書館の建物の近くを通ると体が固まってしまったり、十二歳の私が美穂を探して名前を叫びながら走り惑った時の記憶がフラッシュバックしたりします。


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