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「断罪パラドックス」   第16話

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 俺は母さんを通報した。

 完全にラリってるのを見計らって警察を呼んだ。

 執行猶予中だったから、しばらくは帰って来れないはずだ。

「おまえ! 親をなんだと思ってるんだ! 裏切り者!」

 驚くことにこの台詞を母さんだけじゃなくて、あの団地に住んでいる大人の何人かから言われた。親不孝だと言われた。親のせいで子どもの俺たちがどれだけ不幸なのかはあまり考えてもらえない。どうやったってこの世の中、大人の方が有利だと実感した。俺は早く大人になりたかった。こんな自殺の名所になっている団地から抜け出せる大人に。

 俺と樹里杏がふたりで暮らせるように働きかけてくれたのは他ならない渡辺のじいさんと、五十嵐先生だった。  

 母さんがいなくなった部屋で俺はホッとしていた。いつも爆弾を抱えているような気持ちだったから。樹里杏も複雑な気持ちのようだった。

「お母さんがいないほうが安心できるって、私、やっぱり親不孝なのかな」

 そう言って泣いていたこともあったけれど、日を追うごとに樹里杏は元気になっていった。 



 桜山高校に入学した時、五十嵐先生は母親の介護が終わったらしく、学校に戻っていた。そのことは嬉しかったけれど、俺はあまりにも桜山高校が自分には場違いな気がした。生徒は俺が地元でつるんでいた仲間とは全然違っていた。沢山の白い羊の中に一匹だけいる黒い羊のような気分だった。どうにか白い羊になれるように努力したつもりだった。でも、俺の努力なんて、いつも他の誰かに潰される。自分で違和感があるくらいだから、他の人間から異物扱いされるのは仕方がないことだと分かっていても、ムカついた。まともな両親の元でぬくぬくと育ったやつらだと思うとますますムカついた。一条はその頂点にいた。親が医者だっていうのも腹が立ったが、一条は表面上俺を異物扱いしていないというスタンスをとっていて、それがまた鼻についた。

 一条はそんな俺の感情を察知していたと思う。だから、俺が他の生徒の財布から金を抜いているのを目撃した一条はすぐにチクると思った。

 体育の授業とか移動教室とかで、教室が空く時、桜山の生徒は貴重品を教室に置きっぱなしにする。あくまでも性善説が通用する校風なのだ。更に一応、日直が鍵をかけるから大丈夫だというゆるい安全策を俺はかいくぐって、他の生徒の財布から気づかれない程度の金を抜いていくのが日課になっていた。授業料は免除だし、奨学金があると五十嵐先生は言った。確かにそうだったけど、それでも、貧しさは、いつもつきまとっていた。食えて、学校に行けたらそれで幸せだとは思えなくなっていた。贅沢だって言われるってことは分かっている。母さんを通報した時、「親不孝者!」とののしられたのと同じくらい理不尽に、恵まれない俺たちにはほんの少しの贅沢も世の中の大半は許してくれない。あんまりだよなって思う。

 そして、そんな貧困が身近にあるなんて、想像もつかない同級生のムカつく奴らから金を搾取することになんの罪悪感もなかった。それに、金がなくなったと騒ぐ生徒はひとりもいなかった。

 成功すると行動は大胆になる。車上荒らしをしていた時の一番大きな失敗がそれだ。大胆になって雑になって、結局捕まった。だから、ずいぶん慎重にやっていたんだ。それなのによりによって一条に見つかるとは思わなかった。一条は俺が何をしているかを瞬時に悟ったと思う。ピンクの明らかに女物の財布から金を抜いていたからだ。

 一条は何も言わずただ黙って教室から離れた。俺は全部終わったと思った。あれだけ、五十嵐先生に励まされて、どうにか手に入れた高校生活を、千円や二千円でなくしてしまう。

 俺は財布を元の場所に戻して、罪人として裁かれるのを机に突っ伏して待っていた。

 でも、おかしなことに、俺は裁かれなかった。



「三国くん、ちょっといいかな?」

 俺の犯行を目撃した一条から呼び出されたのは、あの時から、一週間もたってからだった。俺は気が気じゃない一週間を過ごしていたのに一条は飄々としていた。思えば、あいつは俺が焦っている様子を楽しんでいたに違いない。

 俺は一条の後を追って屋上に行った。

「三国くんがどうしてあんなことをしたかは聞かないよ。金が欲しいんだよね?」

「一条、おまえなんか雰囲気がいつもと違うぞ」

「そんなこと気にしてる場合じゃないよね? 先生に君がしていたことを僕が話したら、三国くんは退学するしかないんだよ?」

 退学。という言葉が頭の中をぐるぐる回転して目が回りそうだった。

「どうして欲しいんだ? 俺に何かさせたいんだろ?」

「三国くんのお母さんってさ、薬物で捕まったんだよね?」

 下手に出ないと行けないのは十分分かっていた。でも母さんが刑務所にいることを一条が知っているということに反射的に表情がこわばった。

「そんなに怖い顔しなくてもいいよ。別に言いふらしたりしないから。事実かどうか確認してるだけ」

「だったら何だって言うんだ?」

「本当なんだ? こんな田舎でも薬物って手に入るもんなんだね」

「おまえみたいにお上品に育ってなくて悪かったな!」

「別に三国くんがどんな風に育ったかなんてどうでもいいよ。僕は三国くんのお母さんがどうやって薬物を手に入れていたか教えて欲しいんだよ」

「おまえまさか……」

「シーッ! 大きい声出すなよ。で、教えてくれるよね?」

「おまえ、あんなのにハマったらどうなるか分かって言ってんのか?」

「ご忠告ありがとう。三国くんは優しいね。脅迫している僕が薬物にハマった方が、君にとっては都合がいいのに。とにかくさ、手に入れたいから教えて欲しい。その代わり君が泥棒だってことは僕たちの秘密ってことにしておくからさ」

 俺は大して悩まなかった。本人がそこまで言ってクスリがやりたいって言うなら俺が止める必要はない。育ちのいい優等生がグズグズになるところを見てやろうという悪意もあったと思う。それで、母さんがよく電話をかけていた売人の電話番号を教えた。それっきりで済むと思ったんだ。俺が泥棒だってことと、一条が薬物を買っているってことは、釣り合いのとれた秘密だから、一条がこれ以上俺を脅迫して何かをさせようとすることはないだろうと思った。

 俺の敗因がなんだったか、今こうして考えてみると、俺は自分の育ちの悪さを買いかぶっていたということだ。日常的に犯罪や虐待やネグレクトと隣り合わせだった俺は、育ちのいい人間が思いつくことなんて限られていると思っていたんだ。一条のことを舐めていた。

 でも、一条は俺が想像もしないことをやった。一条はクスリを自分で使ったわけじゃなかった。


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