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「私の死体を探してください。」   第23話

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  三島正隆【4】

 山中湖村は思いのほか雪は降らない。ただ、一度降ってしまうとなかなか溶けない。けれど、本当に怖いのは、雪よりも凍結した道路だ。都内からきた不用心な観光客がノーマルタイヤを滑らせてあわや大事故になんてことになる。

 つまり、山中湖村の冬は、雪はさほど降らないが底冷えするような寒さが身に染みるということだ。

 やっぱり、暖かいところにするようにもっときつく言えばよかったんだ。

 いや、待てよ。伊豆や鎌倉の候補を却下して、避暑地がいいと最初に言ったのは僕だったか。実際夏場ここにくるのは居心地がよかった。涼しいし、静かだ。出かける場所がほとんどないのが難点だが、ホームシアターもサウナもジャグジーも、バーカウンターだってある。

 出かけたいなら東京にいるときに出かければいいのだ。

 これまで、寒い季節に僕がここにくることはなかった。だから、水道を出しっぱなしにしないと水道管が凍結するなんて知識はなかったし、暖房が薪ストーブだったということも、知ってはいたはずだが、意識したことがなかったので、寒くなってから、ことごとく躓いている。

 麻美があの問題のブログを公開してから、もう六ヶ月。 
 麻美の死体はまだ見つかっていない。

 池上さんに指摘されて、うすうすは理解していたが、配偶者がいくら自殺したと書き残していたとしても、死亡が確認できない死亡届が出せない状態なら、行方不明にすぎない。行方不明になった場合、死んだ時と違ってストレートに相続できるわけではない。

 麻美の税理士と話し合った結果、家庭裁判所に財産管理人の選任の請求をして、僕が麻美の財産を管理できるように手続きをした。困っている現状を訴えたものの、麻美が行方不明になってから日が浅いこともあって、まだ財産管理人にはなれていない。

 当面の現金に困っている旨を訴えてもだめだった。

 そこで税理士が知っている限りの麻美名義の証券口座と銀行口座に委任状を使って残高照会をしてみたところ、証券口座にあった、証券はすべて現金化されており、銀行口座にあったはずのその現金は「骨髄バンク」「難病児支援」「難病医療の発展事業」などにすべて振り込まれていた。

 日付はすべて、ブログが公開された七月三十日以前で、ネットバンキングで振り込める金額の上限を毎日コツコツと振り込んでいた。

 要するに色々打てる手を打ってみたが、現金はどこにもなかった。
 税理士はため息をついていた。

「今のところ動かせる現金はありませんね。正隆さんは麻美さんとうまくいってなかったんですか?」

 初めて会った時からかんじがいいとはとても言えない税理士だったが、この瞬間の言葉のイントネーションの節々に軽蔑が読み取れて僕は足のつま先にぎゅうっと力を入れた。

「結婚して十年近くたっていましたからね。うまくいってると言っていいと思いますけど」

「そうですか。どうしますかね。たぶん、森林先生の場合、次の確定申告で、これくらいは所得税と住民税が来ると思いますよ」

 税理士がメモに走り書きした数字を見てぎょっとする。

「あと、固定資産税が毎年だいたいこれくらいですね」

 さらに追い打ちをかける数字だった。

 動かせる現金がない。クレジットカードが使用停止になったせいで、信用情報に傷ついたのか、消費者金融の低額のローンさえ通らない。おまけに以前だったら頼りになるはずだった母さんは橋本良介に完全に洗脳されていて、母さん自身の生活さえ覚束ない状態だ。

「本人がいないのに、税金を払わなきゃいけないなんておかしいと思いませんか?」

「そうですね。でも、麻美さんの死亡はまだ確認されていないわけですから、仕方ありませんね」

「これ、払わなかったらどうなりますか?」

「そうですね。最悪の場合、麻美さん名義の資産が差し押さえられます」

「というと?」

「山中湖の家は麻美さんの名義ですから、そちらが差し押さえられると思います」

 ぎょっとした。麻美と僕の理想を詰め込んだ夢の家が取り上げられるのは嫌だった。

「そんな。あの家は……」

「そうですね。あの家と、この金額では釣り合いは取れませんね」

「どうすれば……」

「正隆さん名義のものを売って現金を作る。というのはいかがでしょうか?」

「僕名義のものを売る?」

「都内のマンション。あれの名義は正隆さんになっていますよね」

「あっ!」

 あのマンションは結婚してしばらくしてから、麻美が欲しがった物件だ。麻美は夫婦共同の名義にするつもりだったが、母さんが、家みたいに大きなものの名義は家長にするべきだ。とゴネて、僕名義になっている。

 けっこうな購買価格だったけど、場所がいいおかげで、さほど資産価値は落ちていないし、なにより、ローンが終わっていた。

 でも、あのマンションを失うのはつらい。僕がどうするべきか悩んでいると、税理士は業を煮やしてこう言った。

「マンションを売る代わりの現金の作り方があるならそちらでけっこうです。むしろ、マンションが正隆さん名義だったのは奇跡かもしれませんよ。麻美さんはまるで……」

「まるで?」

「正隆さん、あなたが困ればいいと思っているんじゃないかと、僕は疑ってしまいたくなるんです。明らかにわざと現金を残さなかったんじゃないですかね?」

 羞恥で顔から火が出た。
 僕だって金のことは、麻美の僕に対する復讐なのだろうと理解しているつもりだ。

 僕と池上さんとのことを怒っていたのだろう。
 分かっていても、第三者からこうして指摘されるのは気持ちのいいものではなかった。 逃げるように税理士事務所を後にした。

 結局、僕にできたことは都内のマンションを売ることだった。どんなに悩んでも目先の金をどうにかするためにできることはそれだけだったからだ。
 麻美の死体が見つかれば、全部解決する話ではあるけれど、警察の捜査は遅々として進んでいないようだし、麻美の小説のファンの推理もまったくあてにならなかった。

 死体は見つからない。

 麻美が死に物狂いで考え出したトリックなのだろう。

 そう簡単にみつかるとは思えないし、このまま見つからないと考えて行動したほうがいい。

 行方不明から三年たてば離婚はできると知ったけど、もう今更だった。池上さんは妊娠していなかったし、僕と結婚するつもりはないらしいから、今すぐ離婚できなくてもどうでもよかった。

 そもそも、三年後に離婚したら、マンションを売った意味がなくなる。
 この山中湖の別荘が差し押さえられるのだけは、耐えられなかったから、身を切られる思いであのマンションを売却したのだ。

 しかも、担当した不動産屋は完全に僕の足下を見ていた。

 僕にはすぐに使える現金が必要なことを相手は知っていたのだ。

 ほとんど二束三文だったが、食うにもことかく生活になっていたから、売却できたときはホッとした。


 そうして、僕は都内のマンションを引き払って、山中湖の別荘に来た。

 ここでもう麻美ができなくなったことをすればいい。

 僕が小説を書くのだ。
 今度は僕が小説で稼いでここで生活する。
 そろそろ、きっと上手くいくはずだ。

 そう考えていたけれど、別荘は日常生活にはあまり向いていないことをすぐに痛感することになった。

 スーパーに行くのも役所に行くのも半日がかりの仕事になる。

 この不便さは絶妙に僕の集中力をそいだ。

 そして、池上さんからたびたび来る電話。

 麻美が毒殺魔かもしれない小説は今もコンスタントに麻美のブログに上がっている。

 池上さんがあまりにもしつこいから、僕は食傷気味だったけど、仕方なく読んだ。

 読んだ感想は「意外だった」の一言につきる。

 麻美に女友達がいたことがあっただろうか?

 少なくとも学生のころの麻美の周りにはいなかったと思う。
 それにしても、麻美の友人には家庭に問題がある子ばかりだった。こんな偶然が重なることがあるだろうか? 

 池上さんはノンフィクションだと言っていたけれど、僕は麻美の創作に思えてしかたがない。

「事件関係者と思われる人物からコメントがついています」

「それって何か問題あるのかな?」

「いいえ。ただ、名誉毀損で訴えるとか、嘘だとか書き込んでいるんです」

「大問題じゃないか」

「でも匿名のコメントですから、説得力が今ひとつなんですよ」

「そこまで言う人がいるってことは、麻美が書いた小説は麻美にとっての真実ってだけのことじゃないのか?」

「正隆さん、ちゃんと読みましたか?」

「読んだよ。ちょっとできすぎじゃないかなあと思ったね」

「事実は小説より奇なりということですよ。とにかくそういう人もいるので、この作品が結末を迎えても、出版は難しいだろう。というのが今のところの編集長の考えですから」

 都内のマンションを手放してから、入れ違いのように、すぐに麻美の口座に金が振り込まれた。

 重版分の印税だろう、と税理士が言っていた。こんなに世間を騒がせたのに。いや騒がせたからこそなのだろう。麻美の小説は話題になっているらしい。

 ブログのあのノンフィクションが売れたら、その印税もこの口座に入るはずだ。

 僕は小説家として収入を得るまでに、金はいくらあっても邪魔にならない。池上さんにどうにかならないか聞いてみたところ、はっきりとしない返事ばかりだった。

 地下室の麻美の仕事場は落ち着かないので、 僕はリビングのローテーブルに自分のノートパソコンを置きっぱなしにしている。隣には麻美のミントグリーンの手帳を置いている。何か手がかりがないか何度も読み返したが、それらしいものは見つからなかった。


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