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「私の死体を探してください。」   第24話   

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 僕はイライラしながら久しぶりに麻美のブログを開いた。本当はこんなことに気を取られている場合ではない。やっと、書くべきテーマが決まりそうなのだ。早く作業に取り掛かるべきだが、それでも池上さんが放った「名誉毀損」という言葉が引っかかった。

 ブログのコメント欄をスクロールすると、該当のコメントが見つかった。
 小説の内容は嘘だ。フィクションだ。作りごとだ。事実と違う。などということを名無しの同一人物と思われる人間がコメントしている。

 そのコメントにアンチテーゼもいてなかな痛快だと思った。

――根拠は?――

 どうしてこれが嘘だと言い切れるのだろうか。それには確かに根拠が必要だ。

 でも、根拠だとか、ソースだとかを求めるコメントには一切答えていない。答える気がないのだろう。

 嘘だと言い切るなら、それを嘘だと言い切れる人物であることを明らかにするのが簡単なはずだが、コメントを書いている人間は、自分が何者であるかを知られたくないように思えた。

 そうすると、あの時死んだ少女たちの中で家庭環境のことを公にされてたくない人物の親族だろうか。

 まてよ。何かが引っかかる。

 そう思った瞬間にインターフォンが鳴って身体がぎくりと跳ねた。

 誰だろう? モニターを覗き込むと見知らぬ男が立っていた。宅配便や郵便ではなさそうだった。無視しようか、迷っているともう一度インターフォンが鳴った。恐る恐るボタンを押す。

「はい」

「こちらは森林麻美先生の別荘で間違いないですよね」

「はい。そうですけど何か?」

「あなたは、森林先生の旦那さんですか?」

「ええ、そうですけど、それが何か?」

「私、分かったかもしれません」

「何がですか?」

「死体のありかですよ。聞きたくありませんか?」

「はあ」

 かなり怪しい人物だが、好奇心には勝てなかった。

 玄関を開けて男の風采をつぶさに観察した。六十代ほどだろうか? 足下はスラックスなのに上着にジャージを着ている。教員なのだろうか? 高校時代の担任がこういう服装だったのを思い出す。

「ちょっと、待ってください」 

 僕はリビングに置きっぱなしだったパソコンを片付けてから、男をリビングに通した。

 男はきょろきょろと無遠慮に室内を観察したあと僕がすすめたソファーに腰掛けた。

 男は黙っていた。沈黙に耐えきれず、僕は一番気になることを口にした。

「麻美の死体がどこにあるっていうんですか?」

「どこにもありませんよ。森林麻美は生きているんです」

 麻美に対する「先生」という敬称が抜け落ちたことに少しだけ不安が膨らんだ。

「じゃあ、どこにいるかご存じなんですか?」

「ここに隠れていると本人からメールがきたんだ」

 そう言って、男は抱えていたバックパックから、数枚の紙を取り出して、たたきつけるようにテーブルに置いた。

 僕はそっと手に取った。メールをプリントアウトしたものだった。

 発信元は知らないメールアドレスだった。

 内容は最初は白い鳥籠事件の話。最後には真実を暴かれたくなければ、この別荘に来て僕と話し合うようにと書かれていた。

 真実なんて、どうだっていい。

 ただ、その真実をちらつかされると、ここまで来てしまう人間がいるということはどういうことだろうか。

 僕はひたひたと、目の前にいる人間のことが怖くなりはじめていた。怖がっている。と思われたらその時点で殺されるようなそんな恐怖だった。

「あの、お名前を伺っても構いませんか?」

 聞いた瞬間によせばよかった。と思うほど相手はこちらを睨みつけきた。

「もう分かっているのに、わざわざ答え合わせをしたいんですね。実に嫌な人だ。あなたの奥さんと同じくらいに嫌な人だ」

 僕は少女たちの家庭環境を露見されたくない人間がいることを想像していた時のことを思い返していた。

 そして、あの時何かに引っかかった理由がようやく分かった。

 現在までに分かっている事実でない、何かが暴露される可能性があることをこの男は恐れているのだ。

 吹奏楽部の福原奏は障がいのある兄ばかり構われていて、本人は放置されていた。

 陸上部の山本由樹は祖母の介護を母親から押しつけられていた。

 美術部の藤田友梨香は、両親から医者になることを強要されていた。

 そして、麻美は父親から虐待を受けて、家族や家庭とは縁のない人生だった。

 一人だけ、四人と釣り合いがとれない少女がいた。 

佐々木絵美だ。

 佐々木絵美の父親は……。教師だった?

 確かそんなことが書いてあったような気がする。さっと顔をあげると、男はにたあっと嫌な笑みを浮かべた。

「私が誰だか分かった顔ですね。だったら話は早い。早くあのブログの連載をやめてください」

「ブログの連載がやめられるものなら、やめています。あれにログインするIDとかパスコードを知っているのは麻美だけなんです」

「だから、森林麻美を出せと言ってるんだ! 生きているのは分かっているんだぞ。こんなに私にメールを送ってきているんだ。ここに夫と二人でいるって書いてある!」

「メールはたぶん麻美が死ぬ前に送ったものです」

「そんな馬鹿な。じゃあ、なんで昨日届いたんだ?」

「それは、メールの送信するタイミングを日時指定して送っているからです」

「なんだって?」

 佐々木絵美の父親の顔から血の気が一気に失せた。

「困るんだ。困る。書かれたら困るんだよ!」

「何が困るんですか?」

「困るんだよ! 分からないのか! 私は教師なんだよ」

 佐々木絵美の父親は爪を噛みはじめた。インターフォンのモニターに映り込んでいた時の冷静さは微塵もなかった。気づけば僕の胸ぐらをつかみ上げていた。

「おまえは森林麻美の夫なんだろう? ブログの管理ができるはずだ」

「さっきも言ったはずです。できないんです」

「いいやできるはずだ」

 佐々木絵美の父親は僕の胸ぐらを掴むだけでは飽き足らず刃渡りは長くないが、よく切れそうな薄い刃をした包丁を僕の喉元につきつけてきた。

「ヒッ!」

「はやく全部削除しろ」

「できないんです」

「できないはずはないだろう。今から掲載されるものは止められるはずだ。週刊誌だって新聞だって、苦情がきたら記事を止められる」

「できません。IDとパスコードが分からないんです」

「困るんだよ」

「一体何が困るんですか? あなたは麻美にどんな弱みを掴まれているんですか?」

「分からない」

 そんなはずはない。なにか重大な、すべてを失うような秘密を暴露されると思ったから、こんなところまで来たはずだ。

「佐々木さん、僕にはできません。麻美が行方不明になってから、あのブログには何度もログインしようとしたんです。でも……」

 あることが閃いたけれど、その閃きを佐々木絵美の父親に使う気にはなれなかった。

「でも、できなかったんです。麻美はあなたが思っていることとは違うことを書いている可能性だってあるんじゃないですか?」

「そんなはずはない」

「どうしてそんなことが言えるんですか」

「信じられないことだが……。絵美が書いた昔の日記がネット上にある。あの四人だけが見られるよう設定されていた日記だった。それを見るように森林麻美はメールしてきた」
 
「白い鳥籠事件は、もしかして、あなたの娘さんが言い出したことなんですか? 全員で毒を飲もうとした? それともあなたの娘さんが全員を殺した?」

「そこまでは分からなかった。でもあの日記には……」

 佐々木がひるんだ瞬間に僕は包丁を取り上げようとした。
 手からたたき落とそうとしたが、思いのほか佐々木は力が強く、もみ合いになる。

「あっ!」

 包丁が僕の頬をかすめた。火がついたように痛くて思わずうずくまる。

「早く、早く、あの小説を消すんだ!」  

 殺されるかもしれない。

 そう思った瞬間に僕のスマートフォンが鳴った。慌てて消そうとしたけれど、手が滑って指先が通話に当たってしまう。スマートフォンは僕の手から床を滑るようにして落ちた。通話はスピーカーになっていた。

「正隆さん、『白い鳥籠の五羽の鳥たち』が結末まで掲載されました。森林先生は毒殺魔なんかじゃありませんでしたよ。これなら……。正隆さん? 聞こえますか?」

 池上さんの声だった。通話を切ったのは僕ではなく佐々木だった。
 通話を切ると佐々木は包丁を床に落として、膝から崩れ落ちて、獣のような咆哮をあげながら泣きはじめた。

 僕は包丁を拾い上げると、窓を開けて、外に放り投げた。
 佐々木はもうこちらに何か攻撃する気はないようだった。時限爆弾が爆発してしまって、もうどうすることもできないようだった。

 僕は自分のスマートフォンを拾って一一○番通報するふりをした。
 その声に気づいて、佐々木はようやくのろのろと出て行った。 
 佐々木が出て行ったのを確認して、玄関に鍵をかけると僕はその場に座り込んだ。

 そして、今更ながら恐怖がせり上がってきた。

 殺されるところだった。

 何もしていないのに、身体が小刻みに震える。寒さのせいもある。
 一体佐々木は何をしたんだろう。

 僕は震える身体を抱きしめるようにさすりながらリビングに戻ると、片付
けていたノートパソコンを出して、麻美のブログを開いた。最終章と書かれた見出しが目立っていた。

 僕は喉を鳴らして何かを飲み込んでから、ゆっくりと『白い鳥籠の五羽の鳥たち』の最終章を読みはじめた。
 


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