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「私の死体を探してください。」   第25話

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  白い鳥籠の五羽の鳥たち 【最終章】

 高校三年生の春から、彼女たちは日記を共有していた。紙に書くような馬鹿な真似はしなかった。そんなことをすれば厚かましい自分たちを取り巻く大人が、勝手に読んでしまうことくらいは想像ができた。

 大人たちが入り込めない場所を考えた。当時一番流行っていたSNSの友だちにだけ日記が見られる設定を使って、五人だけで共有できるようにしていた。

 もし、この日記がなかったら、事件が起きる可能性が減ったかどうかは分からない。

 しかし、この日記は間違いなく引き金になった。

 しばらくは、奏、由樹、友梨香の家族への愚痴が日記の中心だった。

 絵美は三人を励まし、家族がいない麻美は、なかなかコメントを書き込めなかった。単純に、麻美には「家族」の正しいイメージがなかったから、三人を励ます言葉が見つからなかったのだ。

「絵美はすごいね」

 麻美がそう言うと絵美は笑った。

 絵美だけ何も抱えていない。みなそう信じていたけれど、風向きが変わったのは日記の共有をはじめてから二ヶ月ほど立ったころだった。


【絵美】私、妊娠した。
 
 絵美がそう日記に書いたのだ。

 衝撃的だった。五人には誰も恋人がいなかった。誰かに彼氏ができていたなら、そのことだって五人で共有していただろう。

 四人は驚き、ケータイの画面の前でそれぞれ固まった。
 聞いたり尋ねたりする役はいつも絵美だったから、絵美になんと聞くべきか四人は迷った。

 麻美は迷いながらもコメントを書いた。

【麻美】それって、好きな人の子ども?

 そのコメントの返事はすぐ返ってきた。

【絵美】違うよ。好きな人なんかいないもん。はは。好きな人だったら良かった。もう死んじゃいたい。

 四人の頭の中は絵美のおなかの子どもの父親は誰なのか? という疑問でいっぱいになった。しかし、絵美はもしかしたら、見知らぬ男にレイプされたのかもしれないと思うと考えた麻美以外の三人は口を噤んだ。麻美には違う考えが浮かんでいた。

【麻美】知っている人なの?

 この質問には返事がなかなか来なかった。

 麻美はもうそれがほとんど答えのような気がしていた。

 生まれてからほとんどを児童養護施設で育った麻美にはプライバシーというものがほとんど存在していなかった。

 ということは、そこにいた麻美以外の他の子どもたちにもプライバシーはなかったということだ。

 いろんな子どもたちがいた。
 両親をなくして身寄りがいなかった子どももいれば、麻美のように親から殺されかけた子。食事を与えられず餓死しかけていた子もいたが、性的虐待を身内から受けている子どももいた。
 
 性犯罪というものが殺人と同じくらい親族間で起こるということを麻美は知っていたのだ。

【絵美】そうだよ。

 絵美がそう答えたとき麻美の身体は怒りで燃えるように熱くなった。
 麻美は絵美に出会うまで友情というものを知らなかった。誰かと寄り添ったり、笑い合ったりすること。そして、悲しみや痛みを誰かと分かち合うことが、自分にできるとは思っていなかった。麻美の感情面は幼かった。だからいっそう絵美を傷つけ、苦しめている人間を許すことはできなかった。ケータイの裏に書かれている白い鳥籠をちらりと見てから、麻美は再び文字を打った。

【麻美】私がそいつを殺す。誰なのその男?

 麻美は本気だった。そして、その時、他の四人も麻美が本気なことを疑ってはいなかっただろう。

【絵美】そんなことしないで。私、麻美に殺人犯になって欲しくない。

【麻美】でも、絵美、そいつはいつも絵美の近くにいるんじゃない? 

【絵美】私、そんなこと言ってないよ?

【麻美】でも、そうなんでしょ。

【絵美】ごめん。言わなきゃよかった。

【麻美】言わなかったらどうなってたの?

【絵美】分からない。

 麻美と絵美のコメントがしばらく途切れたあと、麻美と絵美のやりとりを眺めていた友梨香がコメントを書いた。

【友梨香】ねえ。私たち問題を起こそうよ。絵美の話だってひどいけど、私ももう限界なんだ。私が医者になるなんて絶対無理なのに。家庭教師の回数また増やされて、集めていたネイルも、描いていた図案も全部捨てられて。もう無理だから。

 友梨香のコメントに美樹が反応した。

【由樹】問題ってどういうこと? 私ももう無理だけど、今は絵美のことが心配。それだけだよ。

【友梨香】事件を起こすの。

【奏】事件?

【友梨香】全国ニュースになるような、新聞とか週刊誌とかが、この街にやってきて、取材しまくるような事件を起こすの

【絵美】どんな事件?
 友梨香の話に絵美が食いついた瞬間、四人は少しだっけほっとしたはずだ。望まない妊娠は少女たちにはあまりにも重い現実だった。絵美の気持ちが少しでも現実から離れたらいいとみんな思った。

【友梨香】誰かを殺すっていうのはなしね、麻美。分かった? 

【麻美】分かった。

【奏】で、どんな事件かはプランないの?

【友梨香】集団自殺とかどうかな?

【由樹】この五人で死ぬってこと?

【友梨香】ほんとに死んじゃったら意味がないから、もちろん、嘘のやつね。えっとなんだっけ? そういうやつ。

【麻美】集団狂言自殺をするってこと?

【友梨香】そう、それだ! さすが麻美!

 こんな風に五人は狂言自殺をする計画を立てた。実行するのを七月三十日に決めたのは友梨香が予備校の夏期講習がはじまる前がいい。と言い出したからだ。

 おおごとになればいいと思った。

 五人の周りにいる大人たちが、青ざめればいいと、全員が思ったのは間違いない。

 そして、本当に死んでしまっては意味がないので、部活動をしている吹奏楽部が教室の前を行き来する時間を考慮した。

 麻美以外は全員が他の四人が間違って死なないようにしなければいけない。と考えていた。

 そして、夏休みがはじまって間もない七月の終わりに、五人は絵美のクラスの教室に集まった。

 お菓子やジュースを買い込んで、まるでパジャマパーティーでもはじめるかのようだった。掃除をする時のように机を全部うしろに下げて作った広い床にレジャーシートをしいた。

「お花見みたいだね」

 誰かがそういうのに全員ではしゃいだ。

 この日は誰も辛い話をしなかった。

「狂言自殺がこんなにも楽しいと思わなかった」

 麻美がそう言うとみんなも笑った。

 吹奏楽部の練習の音が聞こえていた。全員が他愛のない話を選んでいた。
 レジャーシートの中央を五人は丸く囲んで座っていた。それぞれが自分の前に携帯を置いていた。友梨香が描いた白い鳥籠が見えるように置いた。

 五人の携帯のアラームが鳴った。

 あらかじめ決めていた時間だった。

 その時間に実行すると約束していた。   

そして、五人はひとりずつ死なない程度に大量の睡眠薬を飲んだ。 

 麻美がまどろみはじめた頃、異変が起きた。既に意識のない由樹をのぞく三人、絵美と奏と友梨香が苦しみはじめたのだ。もがき、這い回っていた。

「みんな、どうしたの?」

 麻美は三人が心配だったが、大量に飲んだ睡眠薬が、身体を鉛のように重くしていた。瞼もたまらなく重かった。

 何が起きているのか分からないまま、麻美は意識を失った。
 

 オーバードーズで胃洗浄。

 女子高生五人で集団自殺か?

 こんな見出しになればいいと思っていた。

 五人を発見したのは、予定通り、吹奏楽部の生徒の一人で、すぐに教員が救急車を呼んだ。これも計画通りだった。

 ちゃんと見つけてもらえば、絶対に死んだりしないはずだった。

 なのに、病院で目覚めたのは麻美だけだった。他の四人が死んだことを知らされた時、信じられない気持ちで一杯だった。

 事情聴取をしにきた刑事が、麻美だけが生き残っていることに明らかに疑惑を抱いているようだったが、四人がどうして死んだのかが分かるとその疑いも消えた。刑事は麻美にそう言った。

「彼女たちは、君と違って本気で死ぬ用意をしていたんだ」

「本気で死ぬ用意ってなんですか?」

「君以外の四人は睡眠薬以外の薬や毒や高濃度のアルコールを摂取していたんだ」

「そんな? どうして?」

「確実に死にたかったんだろう? 君は違うのか?」

 死にたかったか。と聞かれたら麻美は迷う。でも、睡眠薬をみんなで一緒に飲んだあの瞬間、死んでもいいとさえ思っていた。

 日差しの明るい教室の中、五人で直前まで穏やかに過ごしたあの瞬間はそれほど愛おしかった。

 清涼飲料水のコマーシャルのような瞬間。

 青春映画の登場人物の一人になったような気分だった。

「死にたかったです」

 と言った麻美に、刑事はこんこんと命の大切さを説いた。薄っぺらい言葉を麻美は熱心に聞くふりをした。

 麻美の心にあったのは今このとき、従順にしていなければ、みんながどうして死んでしまったのかが分からないという思いだけだった。

 四人が飲んだ睡眠薬以外のものが全部別々だったことを、大人たちはたちの悪い実験のようなものだっただとか、自分で用意できた者を飲んだのだろうと結論づけた。

 最初の計画通り、死んだ四人の家庭の事情はマスコミによって暴かれた。
 奏は近所の人や学校関係者、そして、兄の主治医などの証言から兄しか見てない両親と兄の面倒を見るようにきつく言われている様子が窺えた。

 奏のつらい状況を目撃している人間がいたことに、麻美は信じられない思いだった。

 それは由樹も同じだった。由樹の祖母は徘徊が酷く、近所でもしょっちゅう話題になっていた。由樹が学校を休んでまで祖母の面倒を見ていたことも近所の住人のほとんどが気づいていたのだ。

 友梨香に関しては、幼いころ通っていた絵画教室の講師や辞めさせられそうになっていた美術部の顧問や担任教師から、将来についてかなり悩んでいたという証言が集まった。

 麻美は病室のテレビで何度も繰り返される自分たちのニュースに心がどんどん凍っていく気がした。

 誰も彼も、死ぬことはなかったんじゃないかと言う。でも誰も彼も、奏と由樹と友梨香がどうすれば家から逃げ出せたのかを教えることができないようだった。

 この時にようやく、麻美は四人が抱えていた絶望がどれほど大きなものかを思い知った。 分かっている大人がこんなにいたのに、大人の誰一人救ってくれなかったのだ。

 絵美の妊娠と性的虐待のことは誰も証言していなかったけれど、それだって誰が救ってくれただろう? 誰だったら、どんな大人だったら絵美を救えただろう? 

 きっと、絵美には誰もいなかったのだ。

「私が殺してあげるって言ったのに……」

 麻美は病室でいっそ狂ってしまえたらと思った。

 辛くて、悔しくて悲しかった。

 そして、自分だけがこの世に取り残されたのだと思った。自分だけがのけ者にされたのだ。

 たった一人生き残った麻美のプライバシーにもマスコミは踏み込んできた。

 麻美はそれまでいた施設にもいられなくなり、学校も転校した。

 新しい生活がはじまった。

 麻美以外の四人が望んでいたことだ。

 四人がいなくなって、麻美は空しさというものを知った。

 そして、もう二度と友だちなんかいらないと思ったのだ。

 転園先の施設で、麻美は一人部屋に籠もりがちだった。ぼんやりと虚ろに過ごしていた。 心をからっぽにすることで自分を保っていた。

 警察から返された携帯電話は電源が切れたままになっていた。友梨香が描いた白い鳥籠を目にすると、どうしても涙がこらえきれなかった。 

 麻美は携帯を握りしめて、久しぶりに外に出た。施設の近くに川が流れているのは知っていた。河川敷に下りる。

 ひぐらしが鳴いているのが聞こえた。麻美は握りしめていた携帯を川に投げこもうと、右手を振り上げた。

 投げようとした。
 でも、できなかった。

 投げなかったかわりに、麻美は電源を入れた。
 事件から一ヶ月が過ぎていた。

 自分のみんなで共有していた日記を見るために自分のプロフィールにログインした。刑事が一度もこの日記のことを聞かなかったことを麻美はふいに思い出した。

 大人にはまだ見つかっていないのだ。

 これからも見つかることはないのかもしれない。

 麻美はおそるおそる一番上に来ていた新着情報を開いた。それは奏の日記だった。狂言自殺では話題にならないかもしれないから、死ぬことにした。もしかしたら、みんなびっくりするかもしれないけど、ごめんね。私もう疲れちゃった。

 というような内容だった。

 麻美ははたと気づいた。奏は他の三人が死ぬことを知らなかったようだ。
 由樹の日記も、志望校に進学できない絶望をつづった末、私が死んだのはみんなのせいじゃないと書いてあった。

 友梨香の日記も似たようなものだった。
 麻美はへなへなとその場に座り込んだ。 

 自分一人だけ、何も教えてもらえなかったのではなかったのだ。四人で相談して自分だけのけものにされたわけでもなかった。

 四人はきっと、あの瞬間のさなかに死ぬことを思いついてしまったのだ。
 だから、死に至らしめたものが四人とも違っていたのだ。

 麻美は泣いた。裏切られたわけではないと知ったせいで、寂寥感に押しつぶされそうだった。

 ふいに、絵美の日記をまだ読んでいないことに気づいた。涙で滲む視界のまま、絵美の日記を見た。

 絵美は父親から性的虐待に遭っていたことを告白していた。麻美はなんとなくそうではないかと考えていたから、驚きはしなかった。どうにかして、絵美の父親だけでも罰したいと思った。でも死んでしまった絵美はそれを望んでいないようだった。

 生きているうちに、こんなことはとても話せなかった。死んだ後に四人にだけ、自分の苦しみを知って欲しかったと結ばれていた。

 絵美の秘密はこれからずっと麻美一人が抱えていくことになった。

 四人の日記を四人の心のうちを麻美だけが知っているのだ。

 もう友だちはいらない。と一度目に思った感情とは別の感情で、麻美はもう友だちはいらない。と思った。これほど誰かと深く関わり合うことはできない。そして、これほどの関わりを他の誰かと持つことは四人に対して不誠実に思えた。

 河川敷は夕日に包まれはじめた。

 麻美の涙はようやく枯れた。まだ、鼻の奥がツンとするし、頭は割れそうに痛かったけど、涙は出なくなった。

「みんな、飛んでいってしまった」

 麻美は白い鳥籠を眺めてそう呟いた。


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