「私の死体を探してください。」 第34話
私が三島に隠れてようやく長編を書き上げたとき、とうとう、見せていない小説があることに気づかれました。
ノートパソコンにUSBを刺しっぱなしにしたまま家庭教師のアルバイトに行ってしまったのです。ワンルームの玄関を開けると、三島の背中が目に入って、ぎくりとしました。私の部屋の合鍵を持っていた三島は、私のパソコンデスクに座っていました。
その背中から、何か不穏なものを感じたのは、隠しごとをしていた、罪悪感のせいかもしれません。 その不穏さに驚いた私は、鍵を自分の足もとに落としてしまいました。甲高い金属がぶつかる音に、ゆっくりと三島が振り返りました。
「何これ? 僕に見せたことないやつだよね?」
「そうだよ。長編を書いてみたかったの。書き上がったら見せようと思って」
「ふうん。そう。で、どうする気?」
「どうする気って?」
「こんなに長いの、サークルの部誌とかにものせられないし、もしかして公募に応募しようと考えてる?」
「別にどうかするかなんて考えてないけど……」
本当は新人賞に応募するつもりでしたが、三島にそう言えませんでした。
「そうだよね。麻美の小説は、まだまだこれからだから」
三島が納得したようで、私は安堵しました。
でも、せっかく最後まで、書いたのだから落選してもともと、と思って新人賞に応募し、最終選考で、出版社からメールが来たとき、私はパニックになりました。
三島が知ったらどう思うか。
この問題も神永先輩が解決してくれました。
神永先輩が原稿の体裁を整えて、私の名前で応募したと言って下さったおかげで、私は三島の言うことは無視していない。ということにできました。
私が大学二年生のときのことです。
神永先輩はその春に卒業されました。
「無駄かもしれないけど、もう一度言っておくよ、森林さんは三島と別れるべきだよ」
神永先輩は最後にもそう言われていました。
私はそうするべきでした。けれども、そのときの私はまだ、三島と一緒にいるからこそ、味わえる感情に浸りたかったのです。
三島がいないときに三島の喜ぶことを考える自分と、三島の言うことを聞くことで得られる安堵感をまだまだ味わっていたかったのです。
ジェットコースターのようなスリルを楽しんでいたのかもしれません。私自身にこんなにここまで関心を抱いてくれたのは三島が初めてだったのです。
そう。三島の関心は私にとっていいものではなかったと今なら言い切れます。でも「関心」自体をずっと見ていたかったのです。
それが、あっという間に崩壊したのは、私がデビュー一年後に、ある賞を受賞した時でした。
三島はよりによって、私の部屋に女を連れ込み、さらに私が帰ってくることも分かった上であえて女を帰さなかったのです。
私はあまりにもあり得ない光景を目の当たりにして、どうしたらいいのか分からす、玄関で呆然としていました。
女は慌てて、玄関にいた私にぶつかりながら去っていきました。
私はまだ呆然としていました。
理不尽なことが起きたとき、私は真っ白になってしまいます。
一言も発することができず、身動きすらできない私に三島はイライラしながらこう言いました。
「授賞式、楽しかった?」
この時初めて、私は三島が私の味方ではないことを自覚しました。
私にとっての最高の日を、台無しにするためだけに、こんなことをしたのです。
「麻美が悪いんだよ」
そうも言っていたので、私はいただいていた花束を玄関に置いたまま。混乱から離れたいと思って自分の部屋から逃げ出しました。
三島から何度も電話がかかってきましたが、電話を切り、近所の漫画喫茶で一夜を過ごしました。
色んなことをぐるぐると考えて一睡もできずに過ごし、もういい加減家に帰っただろうと思って、翌朝、自宅のアパートへ帰りました。
三島はまだ私のアパートにいました。そして、私のパソコンデスクに座っていました。私は恐る恐る彼に近づきました。
「ごめん。帰ってくれないかな。それから、合鍵返して欲しい」
私がそう言うと、三島は私の足もとで土下座をしました。
「別れたくてやったわけじゃないんだ」
「私はもう別れたい」
「悪かった。麻美が遠くに行ってしまうみたいで寂しかったんだよ」
「正隆さんは私のことが好きではないと思う」
「どうして?」
「どうしてって、そうでしょう? こんな日にこんなことをするなんて」
「そんなことはないよ。寂しかっただけなんだ!」
こういう感じのやりとりが続いた結果、三島は私を説得することに成功してしまいました。
成功はしましたが、私の中での三島に対する感情はまったく違うものになりました。
三島がいないときに三島の喜ぶことなどもう想像することはできませんでした。
あのふわふわとした、柔らかな気持ちは、私にとってとても大切な感情でした。
彼が好きそうだなと思う本を見つけたり、彼が話題にしたら喜びそうなニュースを見たりすると、思わず顔が緩むようなあの感覚。
きっとそれを手放せなかったから、私は今まで三島がどれほど私の小説にけちをつけても別れようとはしなかったのです。
そのことを失ってから気づきました。
もう取り返せない感情でした。
きっと私は三島と別れて、他の人と付き合ったところで、あんな風に誰かを思うことはないのだと思いました。
それもやってみないと分からないことかもしれません。でも私はどうしても三島が与え、三島が奪った感情をなくしたことがつらかった。
私はこの感情を奪った三島に復讐しようと思いました。
そして、私は、三島が私と一緒に居続けることが一番の復讐になると思いました。
神永先輩に認められたかった三島。
私の作品のあら探しをして、私の上に立ちたい三島の本当の気持ち。
授賞式の日を台無しにしたい気持ちの裏側にあるもの。
それは私に対する嫉妬だと、ようやく私は気づきました。
それならば、一番近くにいて、私の成功を眺めればいいと思いました。
三島は私が大事にしていきたかった感情を奪いましたが、私がものを書き続ける、仕事で最高のものを作るための原動力に変わったのです。それはとても強いエネルギーを持った原動力でした。
三島は私の一年先輩だったので先に卒業し、商社に勤務しはじめました。
社会に出て、三島の気の持ちようが変わるのではないか。と私は少しだけ焦りましたが、何も変わりませんでした。
「つまらないからやめた」
とたったの半年で会社を辞めた三島の愚痴を聞き頭の中で要約しました。
三島は自分が存在するだけで最高の評価がもらえるという、謎の自信を持っているのかもしれないなという結論に達しました。
自分で仕事を辞めたのに、三島はこの時はやけに塞ぎ込みました。
そして、私のアパートに三島の母親が訪れました。
「正隆はあなたのせいで病んだのだから、ちゃんと面倒をみてちょうだい。籍を入れてちゃんとして貰わないと困るわ」
お義母さんが、何を言っているのかよく分からなかったのですが、きっと、お義母さんは優秀な自分の息子の、仕事を辞めて実家で引きこもっている状態がお義母さんのいうところの「常識」には見合わないらしく、その状態から脱出するための手段をつきつけるべく、私のところにやってきたようでした。
「あの、でも、私は正隆さんから、結婚して欲しいとは一度も、ちらりとも言われていないんです」
私が当たり前にこう返すと、お義母さんは顔を真っ赤にしました。
「そんなこと、あなたが言えばすむことでしょう」
その理不尽さに頭がぼんやりしかけましたが、三島と結婚すれば私の復讐は間違いなく継続するのでそれでいいと思いました。
こうして、私と三島の結婚は私が望んだ。と言う形で決まったのです。
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