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【ダスカロスの教えに学ぶ28】“光”としての人間/マインドのマスターになる(「真理の言葉」第15章より)

今回も、「真理の言葉」15章の内容を紹介する。引用文が多く、そのぶん全体の文字数も多くなってしまったが……わりと実用性(?)に富んだテーマなので、じっくり読んでみてください。

ダスカロスの教えに学ぶ」シリーズも、あと2回で終了……その後は番外編を1本アップし、それでひとまず課題はクリア ( ´Д`)=3 フゥ


“人間の形態”(人間のイデア)について

私が度々耳にする質問は「人間の形態とは何でしょうか?」というものです。私は、人間の形態とは鋳型であり、それで肉体が形づくられ、絶え間なく創造されているものですと答えています。人間の形態は 神である無限の存在 全なる智恵 の中に存在し、私たちはそれを 天なる人間(Noel註:人間のイデア)と呼んでいます。

たとえあなたがそれを捨てようとも、それは不可能です。あなたが物質的形態の中に存在しているのはあなたが物質的な形態になったからです。あなたが肉体やサイキカル体やノエティカル体 を脱ぎ捨てても、原因と法則の世界 でコーザル体の中でも、あなたは人間の形態の中にいることになるでしょう。しかし、あなたはもはや人間の形態隷属することはないのです。あなたは人間の形態維持していますが、としてどのような形態も取ることができるのです。人間の形態は、イエスキリストが自らを「人の子」と呼ぶことにより栄誉を与えられました。

復誦します。キリストは自分自身を「人の子」と呼びましたが、これはジョセフ(Noel註:聖母マリア が白い結婚をした ヨセフ のこと)の子という意味ではありません。なぜなら、彼はジョセフの子ではなかったからで、「神の子」でした。このことは多くの人々から誤解されています。彼は自分自身を「人の子」と呼ぶことにより、人間のイデア栄誉を与えたのでした。

私たちの本当の宝とは何なのでしょうか? 如何なる物質的なものも私たちの真の宝とはなりません。それは “人間の形態” です。山ほどの世俗的な物事から離れて、それは原因であり、イデアであり、なのであり、物質的な存在の形態とも異なります。また、かなり深いところまで潜ってしまったようです。

深い 瞑想集中と 観察 によって、人はいずれ「熟考を超えた エクスタシー」と呼ばれる段階に到達するでしょう。そこであなたは真理と向かい合い、私が天なる人間のイデアにより意味すること、また時間と場所の影響から離脱し、人間の形態が意味することを理解することになります。

「あなたが今述べている人間の形態とは何なのでしょうか? ダスカレ(※)、とあなたは質問をするかもしれません。そして、「私の人間の形態は、精子から始まり、成長に成長を続け男児あるいは女児として幼児となり、成人して若者となり、大人として成熟期を迎え、熟年となり、やがて老人となります。また、あなたは人間の 実現性の循環 についても話していますが、その成長のどの段階に、私が携えることのできる人間の形態があるのでしょうか?」と質問を続けることでしょう。

すべての実現性の循環、すなわち人間の本質に存在するすべて、私たちはこれを自然と呼んでいますが、これがその形態なのです。そして、これは時間と場所を超越しています。あなたは、自分として、また人間として存在しうるもの、あるいは存在したものの全てなのです。あなたの人間の形態は、肉体の中でのあなたの人生のある特定の時間だけに制約されるものだけではありません。それでは、私たちが望めば、例えば20歳の若者にもなれるのでしょうか? そして次の瞬間、40歳の賢い人になれるのでしょうか? そうです、もしあなたがその発達段階に到達すればあなたはすべてでありあなたが望むすべての自分を表現することができるのです。これは当然のことです。

あなたは人間のイデア、あるいは「超意識」として今存在する人間の形態を理解しなくてはなりません。人間のイデアとは、「超意識」(Noel註:「自己認識ー魂」)と「自己超意識」(Noel註:聖なるモナドとしての自己)としてのあなた自身との違いのことなのです。人間のイデアの特徴は、として、すなわち神としての表現であるということです。

【訳注】※ダスカレ:ギリシャ語でダスカロスへの呼びかけ言葉として語尾が変化したもの。

「真理の言葉」240‐242ページ、一部の太字化はNoelが実施

こちらの記事でも考察したように、“人間の形態”(人間のイデア)は、人間の 実現性の循環“ において取り得るすべての “形態”……すなわち「パーソナリティー」、「各次元における魂の器としての体」、「想念で創り出した自己イメージ」(エレメンタル)などとして、「魂としての自己」が表現し得る “形態” のすべてである。

潜在意識レベル」(第4段階の意識)では、じぶんの肉体を意図的に変化させることはできないが、「目覚めつつある意識」(第5段階の意識)になると、じぶんのサイキカル体ノエティカル体さまざまな形態を持っていることがわかってくる。そして、「“自己”意識 の目覚め」(第6段階の意識)に至ると、空間-時間ー場所 の制約 を受けることなく、望むままの形態6次元に投影できる(自然に「魂としての自己」の波動は入るが)……というわけであるが、人間は “形態を超えた存在であることも忘れてはならない。6次元の「魂としての自己」は “人間の形態” を備えているが、7次元の「霊としての自己」は “形態を超えた神” と 一体化(テオーシス)しているのだ。

“光”としての人間、“真理” は人間の “内” にある

私たちはいつも暗闇の中にいることはできません。なぜなら、私たちには光を見る必要性があるからです。光を見るために、どうしたらよいのでしょうか? 私たちは五官を使って外観から光を見ようとします。ところが、私たちは「超意識」としてなのです。私たちはです。私たちの自己なのです。しかし、その物質形態によって覆われています。そして、私たちの自己の新たな顕れは、光を切望しています。それは光を探し求めます。外の世界で見つけようとします。

キリストは「天の国はあなた方の内にある」(Noel註:ルカ福音書17章 21節)と言いました。あまり多くの人は次のようには考えません。「私の内にある天の国とは何だろうか? 『私の内にある』とは何を意味しているのだろうか?」 現在のパーソナリティー として「私の内」を見れば、それは肉体であり、たくさんの物体があるだけです。私が一つひとつの臓器を分け調べても、私に見えるのは肉体です。私が「私の内に」と言うとき、これは私の肉体の中にあると思うかもしれません。しかし、この「私の内に」は、肉体指していません。なぜなら、としての私たちは、たくさんの物体だけに制限されていないからです。

私たちの表現の一つ、すなわち人間としての存在より、私たちは何か異なるものなのです。私たちがエゴイズムと呼んでいる偶像に跪いている限り、私たち自身、すなわち内にある真実の自己を見ることはできません。私たちは物質感情思考の三層の鏡の投影によって私たちの自己を観ることができます。私たちは意識を内に向けなくてはなりません。そこは無限の空間で、永遠の時間が流れています。幻想は 場所時間によるもの です。もちろん、私たちは今かなり深いところまで入ってきましたが、ここで主題に戻りましょう。

では、私たちは何者でしょうか? 私たちが肉体ではないことを認識しなくてはなりません。肉体とは、私たちがまったく手を貸すことなく、聖霊 と 創造主 基本元素の聖なる大天使たち によって最も賢明に創り上げられたものです。それとは逆に、私たちはいつも彼らの創造的作業を妨げ、現在のパーソナリティーとしてエゴイズムに満ちた生活をおくることにより肉体に病を招いています。

このような生き方では、マインド 適切に利用して意識的に、さらに 自己意識に生きているとはいえません。私たちは一体何をしているのでしょうか? 私たちはマインド潜在意識に使っているだけなのです。そのために、生命における大切なものの獲得が何もなく満足すら得ることができないのです。私たちには満足がありません。なぜなら、生命が何であるか、肉体の中や他の体(Noel註:サイキカル体やノエティカル体など)の中で生きることがどのようなことなのかを理解していないからです。その結果は私たちの周り目にするように、多くの自殺者、計り知れない悲惨痛みとなって現れています。これらはすべてマインドという素材であり、超素材の誤用によるものです。

しかし、少し考えをすすめると、私たちにはマインド好きなように使う特権が与えられていることに気付きます。すなわち、私たちはこの水を純粋でクリーンに保ち、喉の渇きを癒すために飲むこともできますし、それを泥と混ぜて悪臭を発することもできるのです。これには特定の感情が関係してきます。

私たちが望めば、この幻想捨て去ることもできます。誰も私たちが苦しむこと、あるいは物質やサイキカル状況からの奴隷になることを強制していません。では、どのようにしてこれらの境遇を捨て去ることができるのでしょうか? それは理性的に考えることです。このような境遇は今まで私たちに何を提供したのでしょうか? 現在のパーソナリティーと呼ばれている生命現象で、それらは満足を与えてくれましたか? 彼が今生きている人生を、誰が本当に満足しているのでしょうか? そして多くの人の質問は、「人生の目的とは何か?」です。

「真理の言葉」238‐240ページ、一部の太字化はNoelが実施

目的” を知るとは “原因を知ること! 理由もなく、何かが起きることはない。「なぜ生まれ、なんのために生きているのか?」……それがわかるまで求め続けよう。

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

マタイによる福音書7章 7-8節

キリスト求める者たちを “”(真理)で照らし、求める者たち自身が “”(真理)であると気づかせてくれる。

私たちが誰であるかを知るために、私たちは幻想としての時間が何であるか、幻想としての空間が何であるか、そして私たちの内にあるもの、すなわち魂の本質が何であるかを理解しなくてはならないのです。まずはじめに、私たちの 現在のパーソナリティー の行動を注意深く学ばなくてはなりません。これを行う時、エゴイズム を責めることなくはじめる必要があります。なぜならエゴイズムは、私たちを道から外すことに喜びを感じるマゾヒスト的な傾向を持っているからです。しかし、私たちの真の「エゴとしての自己意識」は、自立した真理のマスターなのです。

私たちは学ぶことから始めなくてはなりません。「私たち」とは一体誰なのでしょうか? 私たちの本当の存在とは、男とか女という問題ではなく、時間と場所の影響を越えた現在の一時的存在なのです。しかしながら、真理を知ることができる最も力のある知性と言えるでしょう。しかし、それは外部からの反射によるものではなく、内省 によりマインドを使って行われるものです。あなたの内なる空間は、あなたが理解できる限度の外的空間より狭いことはあり得ないことを知らなくてはなりません。

故郷に戻るということは、私たちが誰であるかを知ることにより、自己実現 に入ることを意味しているのです。ですから、私たちは身体をどこかに移動したり置き換えたりする必要は全くないのです。

動くということ、すなわち「場所において」ではなく、「時間における動き」が何を意味しているか解っていますか? あなたは深い 瞑想集中や 観察、そして エクスタシー を経験すると、その意味が理解できるでしょう。もちろん 内省 も必要です。これらを通して、あなたは「自分の中の空間」や「自分の内の時間の動き」が何であるかを理解できるようになるでしょう。これは、五官を通して自分の外側で起きている出来事から受け取る時間とはかなり異なっているものです。あなたはその違いをどのように理解できるでしょうか? もちろん、私はそれをあなたに説明できません。あなたはそれを自分で行い、その知識自分自身から得なくてはならないのです。先生、マスター、グル、アバターなど呼び方は何であっても、あなたに道を示すことはできます。しかし、その道を歩むのはあなた自身なのです。

「真理の言葉」246‐248ページ、一部の太字化はNoelが実施

「なぜ?」の答えは、じぶんでみつけなくてはいけない

真理とは何でしょうか? 誰も真理が何かを言ってはくれません。あなたがそれを見つけ出さなくてはならないのです! もちろん私が言えることは、あなたが自己超意識として真理そのものだと言うことです。しかし、あなたがそれを実感しなくてはならないのです。あなたが自ら 一体化(アットワンメント)により見つけ出し、真理と一体化しない限り、それが何であるか誰もあなたに説明することができないのです。

いろいろな段階意識自己意識があると言うことはできるのでしょうか? その点に注意を払ってほしいのです。もちろん、いろいろな意識の段階 があります。それらには、本能や感覚能力を含む 潜在意識 があり、物事を理解し始める段階の意識があり、そしてもちろん私が超意識と呼んでいる段階があります。これらが意識の段階です。

しかしながら、自己意識(Noel註:ここは真実の自己である「霊-エゴ-存在」の意味で使っている)は、ただ一つしか存在していないのです。自己意識に二つの段階はあり得ないのです。自己意識とは「私は私である」(I am I.)ことを悟り実現することなのです。すなわち、「私は私である」ということは、あなたが「魂としての自己意識」であることを悟ることを意味しています。そして後にエクスタシーを通して、あなたは自分が「自己超意識」であることを感じることでしょう。

このことが意味することは、あなたがどこか特定の場所ではなく、どこにいても自己意識として存在できるとうことです。そして、それは現在や過去や未来においてではなく、私が永遠の今と呼んでいるすべての時間に対してなのです。これはあなたが神であることを認識することなのです。大海とは何でしょうか? あなたが大海であると感じる必要はありません。あなたが大海の一滴の水であると感じることで十分です。そうすれば、大海とは切り離せない実体性を理解できることでしょう。

「真理の言葉」248‐249ページ、一部の太字化はNoelが実施

真理” はじぶんの中にある……それがわかれば、“じぶん自身の人生が最高の先生 になる。グルや理想郷を求めて遠く旅したり、山に籠って修行しなくてもよいのだ。

マインドのマスターになる

人生のマスターとは、マインド のマスターなのだ……というわけで、マインドについて復習しておこう。

これまでのレッスンを要約しましょう。全てのものは、私たちがマインドと呼んでいる超素材によって、永遠にあるものであり、また今存在するものでもあります。全ての宇宙、すなわち ノエティカル宇宙、サイキカル宇宙、そして物質宇宙マインドから創られています。物質宇宙、銀河系全体、そしてすべての星雲や空間と呼ばれている領域は、私たちがマインドと呼んでいる大海の中を動いている小さな分子のようなものです。

それらは動いています。なぜなら運動は生命の特質だからです。マインドは頭蓋骨の中のひとつかみの脳ではありません。マインドは、無限の存在ご意志 であり、全なる智恵 なのです。しかし、マインド神ではありません。また、それはロゴスとしての無限の存在の表現でもありません。しかし、ロゴス聖霊マインドを使って創造しています

存在するすべてはマインド、すなわちマインド物質マインド素材、あるいはマインド超素材から創られています。それらは偶然なのでしょうか? いいえ、そうではありません。それはすべての存在の原因として、無限の存在全なる智恵に従っているのです。

ここで、マインドがどのようなものであるか分かったと思います。これ以外に知るべきことはあるのでしょうか? それは、私たちがマインドを利用できるということです。しかし、平均的な人々マインドを意識的に使えていないのです。

「真理の言葉」243‐244ページ、一部の太字化はNoelが実施

そこで、真理の探究者は深い瞑想や集中、観察や熟考を通して何を発見できるのでしょうか? 一人の人間が一体何を見つけ出せるのでしょうか? 最も大切なことは、「私はマインドと呼ばれる聖なる超素材を使っているそしてそれを使えば真理を知ることができるもしそれを誤用すればもっと深く幻想と分離の世界に入り込んでしまい肉体やサイキカル体やノエティカル体に帰結をもたらすことになる」という自覚を持つことです。

しかし、それ(Noel補足:神聖なる法則を冒し、自己充足性を楽しむ権威を失った状態)は永遠に続くものでしょうか? いいえ、そうではありません。なぜなら、私たちは常に法則の下に置かれているからです。現代の科学はそれを進化と呼んでいます。しかし、この言葉は私には何も意味がありません! 進化とは何でしょうか? 私たちが進化と呼んでいるものは、マインドを正しい方法で使うための過程戻ってくることを意味しています。これが、私が進化と呼んでいるものです。

「真理の言葉」237‐238ページ、一部の太字化はNoelが実施

マインド意識的に使うのはたいへん難しい、、、それは、じぶん自身を冷静に観察すればわかる。とはいえ、朝から晩までずっと集中的に観察し続けるのは大変なので、スイッチを入れるのは「悪魔」(エゴイズム)が活性化しそうなときにしている。

所有欲」、「自己顕示欲」、「支配欲」、「間違った解釈」、「成功欲」などのエゴイズム非活性化できると、エーテル・バイタリティー を無駄遣いしなくなる。さらに、基本元素の大天使たち(ミカエル、ラファエル、ガブリエル、ウリエル)と協力関係が結べると、3つの体 をコントロールしやすくなって体調が良くなる。さいきんは、10代の頃からあった首の懲り、ここ10年ほど続く慢性上咽頭炎が改善した。この2ヶ所はそれぞれ喉センターヘッドセンターで、マクロコスモス的にみたシンボルオブライフ では、上昇シフトにおける2つ目の十字架3つ目の十字架の位置になる。

上昇シフトにおける3つの十字架
(注)Noelが簡略化して作図、ダスカロスの著書にある図ではない。

十字架1は4次元から5次元、十字架2は5次元から6次元、十字架3は6次元から7次元へのシフト時に火の洗礼を受ける関所……というように「ダスカロスの教えを学んでゆくと確実に “善い成果” が得られる。それが、この学びの正しさを証明しているのではなかろうか?

さて、東洋の学派では、いろいろな瞑想を勧めています。それらはある目的には良いのですが、往々にして目的がなく、何年も同じところをただ回っているようなものもあります。多くの人が書籍に従い、またヨギーや他の人の指導の下で繰り返し訓練しています。私はそのような人に質問してきました。「どんな結果を得られましたか?」、「その方法でマインドをマスターできましたか?」 答えはノーなのです。私たちは瞑想法を使って、自己実現 に導かれるような積極的な結果を得るべきです。私たちは瞑想集中熟考をはじめ他のいろいろな手法も用意しています。サンスクリット語でいうサムヤナ、ディヤナ、サマディなども含まれています。これらは書籍に出ていますが、しかしその効果を引き出すためには適切な手法を使わなくてはなりません。

その効果とは何でしょうか? それはマインドを意識的に使うことです。瞑想や集中や観察の目的は何でしょうか? それはただマインドのマスターになることなのです。あなた自身に視覚化の訓練を行い、あなたの命令の下で生きている思考形態(Noel註:エレメンタル)を生み出し投影することを意味しています。あなたは毎日自分の命令の下でエレメンタルを創り出しているのでしょうか? 逆に、あなたはそれらエレメンタルの命令や影響下に置かれているのでしょうか?

視覚化とは、利用しなくてはならない瞑想の技法であり、それによりマインドをマスターすることができるのです。それにはどんな効果があるのでしょうか?(人間は本質として、今行っていることから何かを得たいと思うものです) あなたがマインドのマスターになると、あなたはすべてのマスターとなります。特に物質化非物質化が出来るようになります。あなたが物質化したいものは何でも物質化できるように、何でも好きなことができるのです。しかし、こうなるとエゴイズムを抹消したあなた自身の内から声が聞こえてくるでしょう。「それを何のためにやっているのか?」と。

大天使たちはあなたの体の中でエネルギーと呼ばれているものから物質化を行っています。あなたは最も高い知性的存在による物質化をどこでも目にすることができます。あなたのエゴイズムから解放されれば神の意志に従って物質化をすることができます。このことが意味することは、ある人が罪を払い終えたり、あるいは罪をほとんど償えた時などに他の人々を助けることができるということなのです。あなたは真のメンタルヒーラーになるのです。これでも不充分と感じますか? いや、充分以上です!

「真理の言葉」251‐252 ページ、一部の太字化はNoelが実施

間違った教えは間違った結果を、正しい教えは正しい結果を生むのが必然であり、その逆はない。

“視覚化”の極意、“富”は地にではなく天に積む

いわゆる “引き寄せの法則” は、エレメンタル の性質を知れば自明のものとなる。

エレメンタルとは何を行うためのものでしょうか? それは私たちが求めるものや、欲しいと希望するものを私たちに与えるためのものです。はっきりと言っておきますが、あらゆる欲望や希望はいつか必ず達成されるのです。私たちが望んでいるある時期に達成されない場合、その理由はそれが作用する十分な時間を私たちが与えていないからなのです。私たちはそれらを投影し、戻ってきて再度投影し、再び戻ってきて、それらを再び投影することを繰り返します。私たちはそのことに疲れてしまい、エレメンタルに任せてしまいます。そして、エレメンタルは創られた目的のために働き続けます。多くの人は「願望は達成されましたが、私が希望した時には起こりませんでした」と言うべきでしょう。

あなたの思慮分別のある希望は、あなたが希望した時期でなくても達成されていることに気付くと思います。時期についてはあなたに原因があります。なぜなら、それらが作用するのに必要な時間をあなたが与えていなかったからです。

これを心に留めておきましょう。何かを得るために、適切な欲望や希望を送りたいと思う時、あなたは視覚化により精確にそれを創り上げなくてはなりません。目を閉じて、それを視覚化します。視覚化のスキルがなくてはなりません。それは空想や想像ではなく、創造的な思考なのです。これらを区別できなくてはなりません。あなたが欲しいもの視覚化し、求めます。そうすれば、それはあなたに与えられます。

以上を心に据えて、何かを求める前に、それが理性的なものであるかどうか、それがあなたのもとに来た時に、あなたの道でつまずかせる石にならないだろうかということに注意を払って視覚化に入らなくてはなりません。そうすれば、このエレメンタルを創ってしまったことに後悔しないですむからです。なぜなら、もしあなたの希望が今回の転生達成される時間がない場合、次の転生、あるいはその次の転生で達成されることになるからです。ですから、あなたが求めている最も大切と考えているものが、未来の転生において足かせにならないように確認しなくてはなりません。欲望について学ぶと、あなたの一つの欲望が達成された時、何か他の欲望が次から次へと生まれてくることに気付きます。欲望が全てではないのです。

「真理の言葉」253‐256ページ、一部の太字化はNoelが実施

人間に与えられた “マインドを使う特権” には、行使の際に “相応の責任” が課せられている……なので、エレメンタル理性的に創造しなくてはいけない。今世に限定されないエレメンタルの影響力を考慮し、細心の注意を払って創ろう。

理性をもってエレメンタルを創りなさい。視覚化の技法を手に入れなさい。そうすれば、あなたは豊かになります。なぜなら、視覚化の極意を得ることが豊かさなのです。そしてキリストは何と言ったでしょうか? 「あなたがたは地上に富を積んではならない(彼は物質的なものを意味しています) そこでは、虫が食ったり、さびついたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところにあなたの心もあるのだ」(Noel註:マタイ福音書6章 19‐21節)

彼は天の国(すべての天国)は私たちの内にあると言っています。では、私たちの真の財宝とは何でしょうか? それはマインドで、具体的には私たちが使うことのできるマインドの量なのです! これにはマインド適切な方法で使う、すなわち愚かな目的には使わないという条件が付いています。

もし私たちがマインドである聖なる超素材適切に使えれば、私たちにもっと与えられるでしょう。もし私たちが適切な道に使わなければ私たちがすでに持っているものでも取り上げられてしまうでしょう。キリストはそのことについてたとえ話で述べています(Noel註:マタイ福音書25章ルカ福音書8章)。

私たちはもっと多くを与えられたり、求めることに値すべきであり、そうであれば、私たちが求めている以上のものを与えられるでしょう。聖書ではこのように示されています。「あなたがたの中に、パンを欲しがる子供に石を与え、また魚を欲しがる子供に蛇を与える親がいるだろうか?」(Noel註:ルカ福音書11章 11-13節)

ですから、私はあなたの最善の友として新約聖書をお勧めします。そこにはすべての智恵と情報が示されています。ヒンズー教の経典に飛びつかないで下さい。私たちの手の中には、真実の宝があるのですから。

「真理の言葉」258‐259ページ、一部の太字化はNoelが実施

じぶんや他者の思考、感情、欲望をバイブレーションで感じ取ることができるようになると、「悪魔の非活性化 も、「天使の創造もスムーズになる (*^^)v