「真理の言葉」14章は長めの章なので、2回に分けて考察する。
「霊-魂-エゴとしての自己」に目覚めよ
すでに学んできたように、わたし達人間の本質は「霊-魂-エゴとしての存在」である。時間-空間-場所に制限された物質界 に肉体を持って生まれてくると、なかなかその事実を思い出せなくなるのだが……遅かれ早かれすべての人間はほんとうの自己に気づき、それを自己の内側に顕すようになる。
人間は、神聖なる計画 のもとに 基本元素の大天使たち が創造した肉体を持っているが、その肉体が「わたし」という 自己意識 をつくっているわけではない。「わたし」を「わたし」として認識するのは「霊-魂-エゴとしての自己」であり、それが人間(注:人間=地球人類に限定しない)を人間たらしめているのである……が、残念なことに、分離の次元(3~5次元)に降下した人間のほとんどが自己意識を 第3段階(本能)~ 第4段階(潜在意識)に自縛し、「霊ー魂-エゴとしての自己」を忘れた輪廻のループに陥っている、、、「気をつけて目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないのだから」(マルコ福音書13章 32‐33節)というキリストの忠告は、眠りこけた地球人類の憐れな現状への嘆きだ。
人間の「実現性の循環」
人間の「実現性の循環」は、すべての人間に共通する不変のルールである。あらゆる可能性と多様性を生じさせる「蓋然性の循環」によっても、「実現性の循環」の順番が入れ替わることはない。人間はもれなく、「物質界への誕生 → 赤子 → 子供 → 成人 → 老人 → 肉体の死」というコースを辿るのだが、人間の「実現性の循環」のゴールは肉体の死ではない。
人間の「実現性の循環」は、肉体の死(第1の死)によって物質界を去った後もサイキカル界 →(第2の死)→ ノエティカル界 →(第3の死)→ ノエティック・ステート →(テオーシス)→ コーザル・ステートに至るまで続いてゆく。
それを「シンボル・オブ・ライフ」で示すと、以下になる。
ほんとうの “自己実現” とは、永遠の命(ヨハネ福音書3章)としての “自己”意識 を覚醒させることであり、 10 → 9 → 6 → 8 → 10 のループを廻る転生 ↓ からの解放なのだ。
ヨハネの黙示録 は、テオーシスに至るまでの “イニシエーション” を象徴的に綴っている。黙示録はエゴイズム(人-悪魔)という獣に打ち勝つための “秘教的な教え” であり、個々の人間の内側で起きる “試練” を示したものなのだ(注:黙示録を グノーシス主義的 な 終末論 と結びつけぬように!)
人間は、“超自己”意識に目覚めた「アセンデッド・マスター」として7次元に帰還する(ルカ福音書15章)。
それは人間にしかできない宇宙の創造と発展への貢献であり、分離の次元に降りて来る意義として十分なものとなる。分離の次元は、エゴイズムの憐れな奴隷になって苦しむために創られたわけではない。それを教えるために、キリストは「神-人」として、1 → 6 → 9 → 10 の路をまっすぐに降りてきた。
「内省」によって潜在意識の闇を照らす
夜眠る前にその日1日にあったことを順番に思い出し(視覚化し)、第三者の冷静な視点で熟考する 内省 は、シンボル・オブ・ライフにおける 10→8 の「労役の路」(ヘラクレスの12の労役)に該当する。
エゴイズムを非活性化し、サイコ-ノエティカル体 を浄化する「12の労役」については、「ダスカロスの教えに学ぶ」シリーズ 終了後に考察記事を書く。諸般の事情で更新が滞っているが、遅くとも10月29日の月蝕までに課題を終えたい。