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タイスの瞑想曲における慈愛の視点

バイオリン独奏曲として有名な「タイスの瞑想曲」は、フランスの作曲家マスネによるオペラ「タイス」の間奏曲です。

舞台はビザンチン帝国統治下のエジプト。

厳格な禁欲主義者の修道僧アタナエルが、ヴィーナスの巫女で高級娼婦のタイスを改宗させようと試みる道のりの中で、タイスは真の神の愛に目覚め、心の純潔さを顕にしていくのに対し、アタナエルは性的な恋慕の気持ちを募らせ、いつの間にかお互いの立場を逆転させていくコントラストが、絶妙に描かれています。

ラストは、尼僧院で神の祝福に包まれながら絶命するタイスを前に

「自分が伝えた全ては嘘であり、人間の命と愛以外に真実はない!」

「愛している!!」

絶望の淵に落とされるアタナエルの絶叫で、幕は閉じます。

このオペラを学校の図書館でひとり観賞したときの、わたしの衝撃をお分かりいただけるでしょうか?

当時15歳。タイスを初めて弾いたのが10歳ぐらいでしたから、オペラの内容を知らずに、憧れの曲として弾き続けてきたわたしの第一声は

「なんてこったい・・・」

でした(笑)

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長い間、この曲を弾き続けていますが、人生の経験を積むごとに、印象が大きく変わっていくのを感じます。

神への愛と人間の愛、どちらが真実なのだろうと揺れてきたけれど、最近は、このふたつの愛を包括する、もうひとつの慈愛の視点があるように思えてなりません。

マスネと繋がってみると、内なる神との共同作業による作品というよりは、強烈なキリストの加護の力を感じます。なんとも優しく波動の高い愛に満ちていて、それがこの叙情的で激しさのあるタイスの瞑想曲の根底に「静」として、絶対的に佇む存在感を醸し出しているように思えるのです。

その慈愛の視点は、もしかしたら、現代のわたしたちにも、同じように注がれているのではないでしょうか?

クラシック音楽は、いつでもわたしたちの心に寄り添い、時代を越えて答えを導き出す、救いの手を差し伸べてくれているようです。4月10日のリサイタルでは、その世界観を少しでも表現できたらいいな、と思っております。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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