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恩師

先日、携帯に登録している連絡先から同じ名前で登録されている3種類のアドレスにメールしました。
中学時代に詩を書き始めるキッカケとなった1人の恩師宛です。 
どれが今でも使われているかわからなかったので絨毯爆撃です。

小学生の頃から視点を変えるとなんかモヤッとすることってあるよなあと幼いながら感じていて、その思いや考えをぶつける場所をくれた方です。

元々は国語のノートの下段に、授業の中で出た疑問や感想を書くことから始まりました。
自分の中にあるものを外に出すのは恥ずかしいと感じていましたが、書いていく内に次第にその抵抗感は無くなっていきました。

そしていつからか、授業と関係のないものまで書くようになると国語のノートの下段では収まらなくなり、専用のノートを作ってよくわからない持論をひたすら書くようになっていました。
今思えば、そこに書かれたものが詩だったのかエッセイだったのか、はたまた別の何かだったのかはよく分かりません。
ですが、1学期、2学期と過ぎる頃には何冊もノートを書き潰すようになっていました。

当時の恩師からすれば、変なことをダラダラ書く子で、わざわざそれを見ろと提出してくるので迷惑極まりないことをしていたのではないかと思います。
しかし、毎回丁寧に赤ペンでコメントを頂けて、私の考えを読んで聞いてくれる方がいるんだと嬉しくなりました。
そして、そのコメントを期待して、また何か題材を見つけては言葉をノートにぶつけていました。
恐らく、物思いにふけると楽しくなるのは、その体験が今でも私の記憶や心の深い場所で漂っているからなのだと思います。

恩師とは無事連絡が取れました。
十数年越しに書いたものを見ろと、このnoteを提出してきました。
もちろん、そんな上から物申すことはありませんけどね。
当時からすればだいぶまとまりのある文章を書けているんではないかと思っています。

インターネットの片隅ではありますが、そんな原体験が今でも私に詩を書かせています。
立派な物書きでも無ければ社会的に地位のある肩書もありませんが、文章を考えている瞬間が私にとって至福の時間です。
そんな趣味のキッカケをくれた恩師へ。
誠にありがとうございます。

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