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「82年生まれ、キム・ジヨン」--親しいひとに異を唱える難しさ

友人のお勧めで「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ。韓国で100万部のベストセラーになり社会現象化した小説で、日本でもヒット中らしい。私も都心の大型書店の目立つところに本書が陳列されているのを見た。

私が実際に読んだきっかけは、友人の推薦。はじめはちょっとピンと来てなくて、読み始めるまでしばらく積ん読だったけど、読み始めたら止まらず、最後まで一気に読んじゃった。思ったこと、考えたこと、たくさんたくさんあるけれど、自分の心に近すぎて、落ち着いて言葉にできないでいます。

本の内容は、1982年生の韓国人女性の33歳までの人生を追ったもの。特別なことはないごく普通の女性が直面してきた、さまざまな「女に生まれたばっかりに」を淡々と描いてます。内容は出版社のウェブページに詳しく出てまして、小説の体をしつつかなりノンフィクション色が強い感じ。例えて言うなら、ドキュメンタリー番組の中の再現ドラマのようだと思いました。

私とは違う国、違う世代の女性が主人公だけれど「私もそういうこと、あった!」「なんかやり過ごしてたけれど、実は不愉快だった」と自分の経験を思い出すことが少なくなかった。思い出すと、結構、心穏やかでなくなる。

なんでそこまでの気持ちになるのか。たぶん「分かってもらえなかった」「今も分かってもらえないだろう」という断絶感を、忘れようとしてたのに思い出すから。さらに、「分かってもらう熱意とか、分かりやすく伝える技術を自分が持ち合わせておらず、はなから諦めてそのことに蓋をしてしまっていた」ことにも気づいてしまうから。

「あの人に、分かってもらえなかった」という経験があると、信頼したい相手に対しても一抹の不安がつきまとうため、深い信頼関係に踏み込めない。本当の意味で自分に自信が持てず、いざという場面で歪んだ判断や行動をしてしまう。ここぞという自分を試される場面で、冷静に自分の望みを言えない。要は「弱い」んです。(お前が言うんじゃねえよ、というツッコミは、甘んじてお受けしますよ。)

だから逆に、「分かってもらえてなかった」立場の女性が、きちんとものを言う場面が、一番印象に残った。それは、主人公のお母さんがお父さん(夫)に言い放つ次の言葉。

「店も私がやろうって言ったんだし、このマンションだって私が(お金を投資で増やして)買ったんだ。全部があなたの手柄じゃないんだから、私と子どもたちに感謝してよね。少なくとも七対三でしょ?私が七、あなたが三。」

このお母さんは、弟を学校にやるために自分は小学校卒業後働きに出た。きょうだいの中では、いちばん勉強ができたのに。当時の韓国では、それがふつうだったという。そして専業主婦として子育てをし、内職、へそくりをためた投資、頼母子講などで、家計を支えた。

さて、今の私の暮らしの中で、価値観の違いを感じてつらい気持ちになる場面は、予期せぬときに現れる。やり取り自体もとても短い。家族や親しい友人など、「個」である私を見てくれていると信じている相手が、「女はふつうこういうもの、こうあるべき」という一般論で私(あるいは親しい人)を見ていることが、言葉の端に感じられたときだ。それは、一瞬のできごとだったりする。価値観の違いあらわになったこと以上に、私という「個」との関係を大事にしてない感じに対して、瞬間的に違和感や嫌悪感を感じる。それなのに、自分の気持ちをうまく表明できず、つい、薄ら笑いをうかべて「そうですよねー」なんてやり過ごしてしまう。

そういう場面は突然ふって湧いてくる。たいていは、相手の何気ない一言だから。一瞬のことなのですぐに対応できない。毎回、もの申さなくてもいいかもしれないけど、そういう時に冷静に、無用な不快感を相手に持たせることなく、違和感や嫌悪感を伝える技術がほしい。それを根本から支える心を持ちたい。

アメリカの黒人などのマイノリティーの人が、「Stand tall」(堂々としてなさい)と子どもの頃から言われてきた、とか、「You are strong」(あなたは強い子よ)と娘に語りかけてきた、というエピソードを披露するのをよく聞く。差別意識のある社会と対峙しながら世を渡っていかなくてはいけない人の人生訓だと思う。突然ふって湧いてくる一瞬のできごとに、誇り高く対応できるための、お守りだ。

日本は全般に同調圧力が強い。社会に根付いた序列意識と異なる言動をするとことに、大きなペナルティーがある。それは、女性だけじゃない。男性も家を継ぐとか、一家の大黒柱であるとか、もろもろの「男らしさ」からちょっと逸脱したとき、有形無形の圧を受けるケースがあるでしょう。周りに同調することが生存戦略の社会で、「Stand tall」「Be strong」のような、突然ふって湧いてくる一瞬のできごとに誇り高く対応できるための、お守りは、なんだろう。

この30年、日本では、女性が社会で力を発揮するための法制度は十分に整備された。職場の取り組みも、十分でないところもあるけれど、進んでいる。退化はしてないと思う。ここから先、必要なのは、個々人が親しい人との関係の中で直面する、クリティカルな一瞬のできごとに直面したとき、負けないための「お守り」だ。

ここまで読んで下さった奇特な方は、ぜひ本も読んでみて下さい。ご自分は特に問題を感じていなくても、必ず近くの大切な誰かが、この本で描かれた課題にぶちあたってますから。

(Photo by Dickson Phua)

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