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【ASD息子】言葉がなくても、あなたの目に映る世界が輝いていればそれでいい。

まだほとんどおしゃべりができない息子(3歳10ヶ月)を育てていると、「おかあさんといっしょ」に出てくる子どもが、「〇〇です!3歳です!」と、はきはきおしゃべりしているのを見ると、「おおおーーー!!!めちゃめちゃ喋ってる!」と、一瞬衝撃を受ける。

やー、天才だねぇ。一般の3歳ってこんなかぁ。
と、夫と笑う。

閉じた世界の中で育児をしている分には、ASD息子のいっくんが、自分の名前や年齢を言えず、言葉のやり取りが出来なくても、いいところだけを見ることができる。

よく寝てくれるし
危ないことはしないし
偏食もそこまでないし
健康だし
よく笑うし
いっぱい甘えてくれるし
おトイレできるようになったし
う〇ちで遊ばなくなったし
(便こねがあった時期がありました(´;ω;`)きつかった)
記憶力いいし
好奇心旺盛だし
集中力あるし

などなど。
比べたり、集団の中でどうか、という目で見なければ特段困らずにひたすら可愛い。

Twitterでも同じようなことを言っている発達凸凹育児のお母さんをみる。
比べなければただ可愛い、と。

わたしは、ガチでいちいち比べないでやれています。
普段こども園のお迎えなどで他の園児を見て、おお、めっちゃ喋ってる、とか思ったりはしますが、息子にたいして、世間の「多数派」に近づいてくれ とか、「普通」になってくれ とはちっとも思いません。

もちろんずっと喋らなかったり、ずっとコミュニケーションしなかったら辛いし、全く心配していないわけではないですが、
この子のペースで着実にできることが増えているので、きっと大丈夫、とも感じます。そもそも心配したからどうなるわけでもない。

何より、息子の独特の感性を興味深く思ったりしています。

息子は、「言葉を習得する前の、認知の世界を多く体験しているだけなんだ」と感じるのです。

言葉というのは、思考の枠組みをつくるものでもあるので、
「家」を認知したら、その奥の山並みや空や他の景色は、ただの「その他」として、意識の外に追いやられる。

ASDの子は、「コップ」という言葉を聞いても、
モノによって大きさも色も形も柄も違うし、なぜ同じ「コップ」なのかがわからない。
まして、「コップ」という音があらわすのは、目の前のコップの絵柄を指すのか、中の飲み物を指すのか、理解ができない。

それはつまり、目に見えるものを、「概念」でカテゴライズしない世界。

その感覚によって、息子は世界のありのままをイキイキと捉えることができるのだろうと思います。

彼は、子ども園の森で焚火をすると、それに興味津々になる。
枝に火をつけて、ちりちりと焼けていくのを、じーっと観察する。
炎を見て、煙を見る。
炎も煙もとても面白い。
煙を口に入れてみたらどうなるだろう…?

外から押し付けられた概念や枠組みを鵜呑みにしないからこそ、
彼の中で世界がとてもイキイキしている。


大切なのは、他の子と同じか、とか、
集団に沿うことができるか、とか、
コミュニケーションができるか、
ではない。

彼の目に映る世界が美しいかなのだ。

今しかない、彼の感性を大切にしてあげたい。

集団に合わせる必要なんてない。

わたしが、あなたに合う環境を探し続ける。

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