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教壇に立ち続ける ㊾ オンライン課題の反省【note限定記事】


病み上がりにこれを書いています。脱水になっていたようなので、皆様どうか「喉が渇く前に水分補給」を徹底しましょう……さもなければ私のようになるであろう……どうも星野です。
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今日のテーマは「オンライン課題の振り返り」です。今日片方の勤務校の採点をすべて終わらせたのですが、そこで得られた知見と考察を紹介していく予定です。

まず、オンラインで私が課した課題について。
内容は山月記の第一場面(李徴の来歴と袁傪に出会うまでですね)のまとめでした。私のマガジンに載せてあるスライドを、解説を加えるなど多少改変し、また見やすいように該当部分のみにして短くしたものをgoogle classroomに投稿しました。そしてそれを見ながら、今年のテーマである「文学批評」に焦点を当てるべく様々な問題を出しました。全五題、すべて記述です。内容としては「李徴が袁傪と出会うまでの流れを、時系列に沿って表にまとめなさい」とか、「ここに挿入されている『後から考えれば不思議だったが』の効果はどんなものがあるか」とかです。学力の低い学校の生徒とはいえ、去年私が1年間、みっちり教えていた生徒たちです。なんとかなるだろうと若干甘く見ていました。
ふたを開けてみたら、表はできているけれどほかがダメ、とか、逆に表はできていないけれどほかは完璧、などなど、ひとことで言えば「多種多様」な答えが生まれてしまいました。授業でやる分にはこれでもいいというか、多様な答えの中から共通理解を生み出すこともできるのですが、オンラインで完全に一対一になってしまうと発問の悪さが目立つことが発覚しました。

何がいけなかったのかな、と反省してみてわかったのですが、私のミスはまず出題の仕方に問題があることに気づきました。
今回自由度を高く設定したのですが、これには理由があり、これから批評を授業で1年間扱う過程で自分なりにまとめる力をつけてほしかったから、あまり様式などを指定せずに問題を出しました。それがどうやら裏目に出たらしく、指示があいまいでわかりづらい、解答しづらい等の指摘を生徒から頂きました。(リフレクションの導入として、google classroomの「質問」も設定していたのです。)
また、発問の内容もあまりに漠然としすぎていて、その助けになるはずのスライドの内容とあまりかみ合っておらず、結果的に生徒に大きな負担になってしまったようでした。本来授業で時間をかけて扱うところを、無理やり入れてもよくないなと反省しました。そしてスライドもより充実させて、見やすく・わかりやすくしていかなければならないなとも思いました。
正直なところ、「わからなさ」をすべてかみ砕いてあげることにも最近は少し抵抗があって、「わからないことを一生かけて悩みぬいていく力も必要だろう」と思うようにもなっていますが、基礎的な事項をすっ飛ばしてそれをしていいはずがないので、今回は私の出題ミスが大きいなと後悔しきりです。

成果としてあがったのは、ひとりでも教科書を読める生徒と読めない生徒の差、そして理解度が高い生徒と低い生徒の差はどこにあるのか、ということがぼんやりとわかってきたことでした。
ひとりでも教科書を読める生徒は、スライドなどを読んでも自分なりに解釈して判断します。しかしできない生徒もいる。そこには「頭の中にある語彙」の問題、いわゆる「学習言語」の問題があるのではないかと推測しています。
「学習言語」とは、もともと日本語教育の分野で使われる用語です。母語でも第二言語でも「生活言語」と「学習言語」というものがあって、「生活言語」は日常生活での語彙、「学習言語」は勉強するときに使う語彙、と考えてもらってよいです。例えば小学生が習う「方位磁石」ということば。使用頻度は理科の授業(あったとして国語の教材に出てくるかどうか)くらいでしょうから、定着度合はどうしても低くなります。一方で「ごはん」ということば。あるいは「給食」ということば。これはどちらも毎日耳にしますし、学校生活を送るうえで(外国にルーツを持つ児童生徒にとっては「学校という場をサバイブする」ということになりますが)必須の単語です。そのため、定着も早い。そういう違いがあるので、小学校中~高学年くらいで来日した外国籍の児童のなかには、「おしゃべりは上手だけれど授業についていけない」という子が一定数出てくるのです。それがゆえに進学できなかったり、就職できなかったりと困難を抱えるひとも出てくるのですが、それは置いておいて。
これは確信に近いのですが、私の担当している生徒の中にも「学習言語」が未定着な生徒が一定数いる。それを洗い出し、なんとか「学習言語の語彙」を増やしてあげる必要がある。
そのために私が使える武器は「リフレクション」と「ナラトロジーの技法」だと考えています。

具体的にどうするかというと、①リフレクションを毎回やって、授業のわからなかった点を挙げてもらう、②「じぶんごと」として授業をとらえ、自分なりのことばで授業を総括させる、③それらをまとめてフィードバックする。この3本立てでいこうと思います。リフレクションの最大の目標は「リフレーミング」、つまりいい方向に生徒や自分の視点を変えることです。そのためにお互いどうやったら授業を円滑に進められるか案を出し合ったり、自分なりに解釈したことばを私(教師)が再解釈するという、双方向的なコミュニケーションを図ったりすることによって、生徒が思考を豊かにしていくのではないかと考えています。この仮説が正しいかどうかは、1年後にわかると思うので、また記事を読んでください。

病休をもらってしまったので、来年度同じ学校にいるとは限りませんが、いま置かれた環境でできる最大限のパフォーマンスをしていくつもりです。それでは、また。

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