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この家は、江戸時代の建物でした。

書き出しはいつも「築150年ぐらい?築200年ぐらい?まあ、要は詳細がよくわからない古民家を息子と一緒に引き受けました。」ではじめていましたが、この家は少なくとも189年以上であることがわかりました。

4月の時点で江戸初期の文書などを発見していました。その話は以下で記載しています。

今回、元蚕場の3階に保管されていたものを片付けたところ、また多くの古い文書が出てきました。崩し文字で読めないため、処分していいものなのか?重要なものなのかさっぱりわからないため、甲州市の教育委員会に協力をお願いして一度、確認してもらうことにしました。

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民俗学の視点、歴史の視点、この地域のこと、私の祖父のことも知っている方でしたので、

「この書面は、知事さんからあなたの曾祖父さんに宛てられたもので、なんだか知事さんから怒られているねぇ。地主さんはたいへんだったねぇ」

などとその場で解説も加えて文書に目を通されていました。文書の量が多いので、当日だけではとても目を通しきれず、教育委員会にお預けすることになりました。

出てきた中で、天保3年にこの家の風水を見たであろう文書も出てきました。教育委員会の方が言うには「この当時こうやって風水を見るのがはやったんだよねぇ」とのこと。なんだか今も昔もやってることはあんまり変わらないんだなぁと親近感を覚えます。

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家の造り、門や水路の位置、小屋の位置、鎮守の位置は今とほぼ同じです。
ということは江戸時代の天保3年の段階で既にこの家は建てられていたということです。計算すると189年前!

従姉妹が「おじいちゃんの言っていたことを信用すると築200年くらいになるかも。。。」

築200年はあながちない話でもなくなってきました。

そして、このシリーズは『「明治時代の建物」を「新しい場」にするまで』というマガジンタイトルです。『「江戸時代の建物」を「新しい場」にするまで』に変更しようかどうか、ちょっと悩みます。

こういった古い家を壊してしまったらもう二度と作れない!なんとか残したい!という気持ちからはじまった今回の事。江戸時代の建物と分かり、改めてなんとか残していきたいという気持ちになった次第。

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門の前のハナミズキの葉も色づいてきました。あっという間に寒さがやってきます。寒くなる前になんとか片付けを終わらせたい。

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