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【日本神話⑦】俺 出雲大社へ行く

 八十神による陰謀や黄泉国のスサノオの試練を乗り越え、須勢理毘売(スセリビメ)を連れて地上の国に戻った大己貴神(オオナムチノカミ=後に大国主命)は、出雲国に宮を建てて国造りを行いました。この後「国譲り」の話を経て出雲大社が建立されるのですが、その出雲大社を見ていきましょう。

出雲大社の入り口「勢溜の鳥居」(2012年11月23日撮影)

 この鳥居の正面に市街地からまっすぐ参道が伸びていますが、私は車で来たので駐車場からお参りしました。

出雲大社の境内案内図(同日撮影)

 執筆時の2024年はどうか分かりませんが、訪問した2012年当時は喫煙所がたくさん用意されていました。これも時代でしょうか?例えば、江戸城・本丸跡にも灰皿がありましたけど、厳しい世の中になっていますね・・・

「勢溜の鳥居」の先の参道(同日撮影)

 本殿までまっすぐに参道が続いています。最初の「勢溜の鳥居」をくぐると林の中を進む感じ。少し開けて「松の参道の鳥居」が見えてきました。

「松の参道の鳥居」(同日撮影)

 「松の参道の鳥居」の辺りはその名の通り、松林の間を抜けていきます。参拝客は両端を歩きます。ジャリジャリと小石の道を音を立てて進みます。とてもきれいに整備されています。

「銅の鳥居」と奥に本殿(2012年1月7日撮影)

 「銅の鳥居」と本殿が見えてきました。出雲大社は2012年の年始にも少しだけ寄る機会がありまして、その時の写真です。本殿が改修中でした。伊勢神宮の時にも紹介しましたが、出雲大社の60年に1度の改修期「式年遷宮」に向けた工事の最中でした。完成後の「返座祭」は翌2013年に行われました。

八百万の神様たちを迎える「神在祭」の神事(2012年11月23日撮影)

 そして、2度目の訪問時の11月(旧暦10月)は「神無月(かんなづき)」ですが、出雲大社に八百万の神様たちが集まることから、出雲のみ「神在月(かみありづき)」といいます。偶然、この日はその神様たちを迎える神事が本殿で執り行われていました。今、この瞬間、日本中の神様たちがここに集結しているなんて、すごいことですよね。ご利益もすごいことに!

境内にある「波の上の黄金の玉=幸御玉と奇御玉=を授かる大国主命」の像(同日撮影)

 さて、オオナムチは出雲で国造りを行い大国主命(オオクニヌシノミコト)と呼ばれるようになりました。日本書記には前回紹介した「因幡の白兎」や「八十神と黄泉の国の試練」は掲載しておらず、古事記にのみ載っています。

 古事記によると、黄泉国から帰ったオオナムチ(オオクニヌシ)は、スセリビメや因幡の八上姫(ヤカミヒメ)のほか、越国(北陸地方)の沼河比売(ヌナカワヒメ)、宗像神社の多紀理毘売(タキリビメ)、場所は不明ですが神屋楯比売(カムヤタテヒメ)、鳥取神(トトリカミ)と結婚したそうです。正妻のスセリビメはとても嫉妬したらしく、ヤカミヒメは子を産んだ後に因幡に帰ったそうです。

 政略結婚のような雰囲気を感じますね。オオナムチ(オオクニヌシ)は出雲や因幡のみならず、北陸や九州北部方面まで支配したのでしょうか。小さな体格で「一寸法師」のモデルとも言われる少名毘古那神(スクナビコナノカミ)や、奈良・三輪山の大物主神(オオモノヌシノカミ)の協力を得て国造りを進めたそうです。

 奈良の大物主が出てくるのも興味深いところです。日本書記では、大国主と大物主は同一とされています。これは実在した出雲の王一人の事績なのか?何代かの王の話をまとめたのか?または個別バラバラだった全国の王たちの物語と神話を一本化したのか?いずれにしろ、こうして「日本」の国造りが進められたということでしょうね。

出雲そばと稲荷寿司などのセット(同日撮影)

 という感じで、出雲神話の一部を感じながら出雲大社でお参りして来ました。お腹が減りましたので、写真は松江市内のお店ですが、名物の「出雲そば」をいただきましょう。うん、美味いに決まってる!ご馳走様でした!

 出雲国については、神話から離れた史実の王たちの足跡が、王墓といわれる「出雲大神宮」や付近の古墳群などに見られ、銅製品の出土で有名な荒神谷遺跡や、特異なデザインの四隅突出型墳丘墓など、大和王権前後の史跡もゴロゴロしています。まだ未踏なので今後、追記すると思います。

出雲大社↓

表紙の写真=出雲大社教神楽殿の大注連縄(2012年11月23日撮影)

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