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【日本神話④】月読は離島におわす

 天照大神(アマテラスオオミカミ)、須佐之男命(スサノオノミコト)と並ぶ3貴神の月読命(月夜見=ツクヨミノミコト)ですが、古事記、日本書記での物語は多くありません。私が全国各地を旅した際、九州北部の離島で「発祥地」を見つけました。

長崎県壱岐市、島の中央部に鎮座する月読神社(2014年6月10日撮影)

 ツクヨミの社は伊勢や京都など各地にあるのですが、それらは壱岐の元社から分霊されたものだそうです。現地の案内看板に興味深い記述がありました。

壱岐の月読神社の案内看板(同日撮影)

 興味深いのが後半の記述で「壱岐の領主・忍見宿祢(おしみのすくね)が487年、月読神社を分霊して壱岐から京都に祭りに行った」「神道が京都に根付くきっかけとなり、神道の発祥地といわれ、壱岐の月読神社が各地の元社である」とのことです。

壱岐の月読神社の本殿(同日撮影)

 日本に稲作が伝わったことで、縄文時代の狩猟採集を中心とした家族・同族集団が段々と寄り集まってムラに拡大発展し、やがて王を中心としたクニとなる。その過程は比較的、北部九州が早かった(東北の三内丸山遺跡や北陸など同時多発ではありますが・・・)というのが定説です。

 壱岐島の位置関係を見ると、大陸・朝鮮半島から人や文化が伝わる際に対馬→壱岐→北部九州というルートもまた、定番コースといわれています。対馬には海の神様・綿津見神社(ウミサチ、ヤマサチや浦島と竜宮伝説所縁。別の機会に紹介します)があったり、壱岐に月読神社の元社があったりと、漠然とした自然崇拝から、神々と王(天皇家)の系譜を整理整頓した大和王権による日本神道の整う過程が、この離島の旅で少し垣間見えた気がします。

 つまり、今は離島という感じですが、対馬も壱岐もこの時代は相当な先進地だったといいたいわけです。

壱岐の月読神社の本殿の内部(同日撮影)

 壱岐の月読神社は写真の通り、大きな神社ということもなく、小さくてこじんまりしています。周囲も人里から少しだけ離れた物静かな場所でした。それが反対にいいですね。観光客や参拝客が全然いないのがいい。壱岐の人たちには、これからもこの神社と周辺環境を守っていただきたいと思います。

京都の松尾大社の近くにある月読神社。壱岐から分霊されたとされる(2020年2月3日撮影)

 そして、こちらが京都市西部、桂川沿岸部の松尾大社の近くにある月読神社。壱岐の元社から分霊されたのがここがそうです。分霊されたのが487年とするならば、大和王権は現在の奈良県や大阪府堺市の辺りを中心拠点しており、平安京(794年完成)はもちろん、平城京(710年)よりも約200~300年古い時代ですね。

京都の月読神社境内(同日撮影)

 都が整備される前の京都市の様子はよく知りませんが、松尾大社は701年に秦氏により創建されたそうです。山城国の一之宮である上賀茂神社が677年、下鴨神社が崇神天皇の時代の記述があるというので3世紀とするなら、月読神社は京都でもかなり古い神社になりますね。

 そして、松尾大社創建の秦氏は渡来系の一族で有名なのですが、月読神社の分霊もまた、秦氏が関係しているとのことです(京都の月読神社の案内看板より)。大陸から近畿地方に土着する際、した後も大陸との文化の往来はあってでしょうから、そのルート上に位置する壱岐はやはり要衝だったのでしょうね。

 ただ、最古級の神社とはいいつつも、それ以前から地元の人たちによる地域伝承に基づく神社(宗教施設)があっても全く不思議ではないですし、上記の神社創立年代も、大和王権や豪族による公式な整備(改修とか)の基準年か記録上の初出なのかもしれません。月読神社も分霊直後は奈良や大阪にあったものが、京都に移ったのかもしれませんしね。このあたりの正確な歴史は議論の余地があるのでしょうが。

 いずれにしろ、ツクヨミの神社もまた、伊勢神宮や出雲大社と並び、古く格式のある歴史を持っているということですね。

三重県伊勢市の伊勢神宮・外宮近くの月夜見神社(2013年11月2日撮影)

 改めてツクヨミですが、神話ではアマテラスの弟で、スサノオの兄。三兄弟の真ん中です。3人いて1人は公平中立に何もしないバランサーというのは、日本神話に例が多いです。世界でもあるそうですよ。

 性格はその名の通り、アマテラスが太陽神であるのに対し、ツクヨミは月の神様で夜の支配者みたいなイメージですね、諸説あるそうですが・・・。「月を読む」ということで、暦にも関係ありそうです。四季を読むのは農業では特に大切です。

 「夜の食国」を治めるという記述もあり、そもそもは保食神(ウケモチノカミ)と対面した際、保食神が自分の口から陸を向いて米、海を向いて魚、山を向いて獣を出してツクヨミをもてなそうとしたので、怒ったツクヨミが保食神を殺してしまったそうです。これを聞いたアマテラスはツクヨミと離れて暮らすことにし、昼の太陽と夜の月という別離の関係ができたとのことです。

伊勢神宮・内宮の月読宮(同日撮影)

 また、保食神の遺体からは牛や馬、蚕、米や大豆などが生まれたそうです。こうして日本は稲作や養蚕、牛馬の飼育といった豊かな暮らしが始まったようです。めでたし!

 改めて、日本神道は稲作と密接な関係がありますね。また、ツクヨミは島にある元社だけあって、海の潮の満ち引き(海と海運、漁業)にも関係する神様だそうで、月の引力云々の科学的証明がなされていない時代ですが、月と潮の関係を昔の人は、経験的観測でよく知っていたみたいですね。すごいですね。

 空の様子で感じる天気予報、星の位置を見ての方向感覚、鳥や虫など動物の行動から感じる自然の気配などなど、現代人は古代人に比べ、かなり退化してしまいましたね。満月と新月以外で月を読むことはできませんし、星を見上げる時間もかなり減りました。というか人工的な明かりで星はあまり見えないし・・・現代人の心は古代人に比べ、すっかり曇ってしまったのでしょうかね・・・。

壱岐の月読神社↓

京都の月読神社↓

表紙の写真=海外の宿泊地で撮影した月(2014年11月6日撮影)

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