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寛容性がある人間に〜友人の結婚式を通じて〜



みなさん、こんにちは。

8月に入り、一段と暑さが厳しくなりました。
歩いているだけで体力を消耗してしまいますが、
最近久しぶりにサッカーをして、
現役の時に比べて全然サッカーが出来なくなっていることを痛感し、
沸々と悔しさが湧き起こり、もう一度しっかりと練習し直そうと思った今日この頃です。


話は変わり、先日、高校時代からの友人の結婚式がありました。
サッカー部の友人で、一緒にプレーしたことも多く、部活以外でもとても仲良くさせてもらっていた友人の結婚式ともなると、
非常に感慨深いものがありました。

幸せになってほしいと心から思っていた人が、
いざ結婚して、結婚式を挙げること、
そして、幸せな瞬間を目の当たりにすることがこれほどまでに嬉しく、自分も幸せな気持ちになるのかと肌身で感じました。

そんな私の個人的な感情はさておき。笑
その結婚式で特に印象的だったのが、新郎の友人でした。

自分と同じ円卓に座っていた高校時代の友人以外には、小学校や中学校、大学、バイト仲間の方が出席されていて、
もしかしたら職場の同期の方も出席されていたのかもしれません。

立場が違い様々な人が出席されていましたが、
皆さん共通した印象は、
「心優しく誠実そう」というものでした。

もちろん、新郎と仲が良くて出席していて、そういった人たちが招待されていることは大前提としてあるのですが、
まるで新郎の姿を写したような、そんなご友人の方たちでした。

(このようなことを言うと、自分のこともイコールで結ばれそうですが、
自分はどうなのかというのは、友人からの評価に委ねます。笑)

ただ、根本の部分は共通していても、
人柄は様々で、明るくハキハキした人もいれば、穏やかで落ち着いた人もいる。
小学校から知り合った人もいれば、職場で知り合った人もいる。
それぞれ育った環境も出会った環境も様々で、それぞれで様々な価値観が共有されていると思います。

もちろん、共通する価値観もあるとは思いますが、
それぞれで異なる価値観も生まれていて、自分に合う合わないは出てくると思います。

ただ、その異なる価値観を自分の中で受け入れて、
お互いにより良い関係性を構築していく。

そのように異なる価値観をも受け入れていく、
許容していくということは中々に難しいことだと、今更ながら思います。

今、自分の中で大切にしている価値観を共有できる人であったり、
自分の価値観を受け入れてくれる人との関係を大切にしていきたい傾向は誰しもがあって、
年齢を重ねることに価値観も固まっていくので、そういった人たちと頻繁に連絡を取りつづけるというはよくあることだと思います。

そういった価値観が固まってくる中で、
異なる価値観を受け入れていくこと、
その受け入れの幅を広げられるということ自体が、中々できることではないなと、自分は思ってしまいます。

自分は周りと比べると、恐らくその受け入れの幅というのは広くなく、
かなり限定された関係性の中で生きていると思っているので、
今回の結婚式の新郎の友人方の姿を見て、
価値観を許容することが出来るというのは、人としての一つの魅力を作り出していくのかと、気付かされました。


価値観の許容、
今回のブログのタイトルである「寛容性」の一つでもあると思っています。
会社にいる人たちや通勤中の大人の方たちなどを見ていて、
大人になってから寛容性を向上させていくことはなかなか難しいのかなと、感じています。

自分の譲れない価値観であったり、自分なりの正義、ルールというものがそれぞれにあるので、
大人になるとそれらものは固まってしまって、頑固になっていくのかなと、勝手に思ってます。

かく言う自分もそうだと思いますし、
そのことが良いか悪いかは別として、
その中で、相手の価値観や正義といったものをまずは受け入れてみる、
そういった寛容さを意識することは、大切なのではないのかなと思います。
実際に行動に移せるかどうかは、わからないですが。

意識するしないで大きく変わるかどうかもわからないですが、
寛容性というものを大切にしていきたいと、
この年齢になり、結婚式というイベントも重なったこともあり、
余計に意識するようになりました。

寛容性がある人間になっていきたいものですね。笑


と言ったところで、今回のブログは以上とさせていただきます。

今回のブログも最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回のブログでお会いしましょう。

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