見出し画像

タロウさんの悲しい別れ(母馬編)

前記事「タロウとルーカスは、絶対に離してはいけない!」で、100%私の都合で心ないことをしてしまい、タロウさんを危険な目に遭わせてしまった失敗について書きました。

私が知る限り、これまでにタロウさんは確実に2回は、悲しい別れを経験しています。タロウさんの心の優しさを考えると、おそらく2度ならず、3度も4度もつらい別れを経験しているかも知れません。
もしかしたらそれはタロウさんに限らず、生き物すべてに言えることかもしれませんが。

タロウさんの悲しみを知るには、まず、タロウさんにどのような背景があるか、それを知ることが大切です。

今回はちょっと長くなってしまいました。
最後まで読んで頂ければ嬉しいです。

1. 対州馬のこと

タロウさんは、長崎県対馬(つしま)の生まれで、対州馬(たいしゅうば)と呼ばれる馬です。
対州馬は、八種類ある日本在来馬の一種で、洋種馬など外来の馬種とほとんど交雑することなく残ってきた日本固有の馬です。
正確な数字は把握していませんが、対馬・長崎に約30頭、本州に約10頭、計40頭くらいしかいない絶滅危惧種の馬といわれています。

つしま

(対馬全景:対馬観光物産協会HPより引用)

対州馬には、古くは鎌倉時代中期、蒙古襲来の時に、破壊・殺傷力の高い最新兵器を有し、桁違いに圧倒的多数で対馬に侵攻してきた高麗(朝鮮)軍に対して、対馬の戦国・守護大名である宗氏一族のわずか80騎の武将たちが対州馬と共に立ち向かったという歴史があります。

馬は、自分の背中に乗っている主が死を覚悟をしているということは、主が自分に跨がる以前から、すでに全身で感じます。
ということは、他の馬たちも、それぞれの主の死の覚悟を受け入れ、同じ心境でサムライ達とともに戦う心境にあったということです。

画像3

(対馬観光物産協会HPより引用)

このような歴史がある一方で、
対馬では漁に出る男性の代わりに、島の女性たちが中心となって、馬の世話をし、駄載(ださい:馬の背中に物資を載せること。)による、島の90%を占める山間部での輸送、農耕を行ってきたという、馬との穏やかな日々の生活の営みも続いてきました。

生まれた仔馬は、女性や子どもたちと一緒に、駄載して運搬を行う母馬の後ろをついて歩くうちに、自然と仕事を覚えてしまうため、調教が必要ないということも、めずらしい話ではありません。

画像3

(駄載する女性と馬をあやす子ども:岡部フロンティア日本馬紀行(対州馬)より引用)

このような環境と背景を持つ対州馬ですから、今でも子どもや女性、お年寄りも御することができる、心優しく勇敢な馬だということに、素直に納得できるのです。

2. 母馬との別れ

2005年(平成17年)、対馬。
タロウさんの母親は、群れから一頭離れて山に入り、人目につかない静かなところで、自分一人でタロウさんを出産し、しばらくしてから、仔馬のタロウさんを連れて、群れの仲間の元に帰ってきたそうです。

タロウさんは生まれてしばらくは、人間や仲間の対州馬に会うことなく、母馬と二人きりで静かに過ごし、里の群れに戻ってからは、いつも母馬のそばからはなれず、少しずつ年長の若馬や大人の馬達と関わり、穏やかに群れにおける社会性を身につけ、元気に遊びまくって過ごします。

対州馬にとって今の時代、駄載の機会は極めて希ですし、また、タロウさんはまだ仔馬ですから、人を乗せるということもありません。
つまり、タロウさんは日がな一日、群れの仲間と平和に遊ぶ日々をすごし、それが当たり前のことと思っていたと思います。

来る日も来る日も母馬に甘え、群れの中で遊んでいたタロウさんに、母馬や群れの仲間との別れは、何の前触れもなく、突然やって来ます。
馬運車という馬を運ぶための車が、厩舎の前に止まったと思ったら、何が何だかわからないうちに車に乗せられ、「?」と思うまもなく車は出発してしまいます。

母馬とタロウさんがお互いに別れに気づかないように、母馬は事前に、少し離れた馬場に移されていますから、母馬もタロウさんも、異変に気づいたときにはもう、遠く離ればなれになっていました。
いくら「ヒヒーン、ヒヒーン」と喉が張り裂けそうになるくらい呼んでも、もうその声はお母さんに聞こえることはなく、母馬の声もタロウさんの耳に届くことはありません。

馬は、悲しいときは本当に大粒の涙をポロポロ流します。
きっと馬運車の中のタロウさんも、そしていきなりタロウさんがいなくなった母馬も、大粒の涙をながしたであろうことは、想像に難くありません。

前記事にも書きましたが、ルーカスが自分の視界から消えた後の、タロウさんの半狂乱ぶりと鳴き声は、忘れられるものではありません。

3. 人の鈍感、あるいは見て見ぬ振り

この話を人にすると、一笑に伏されることも少なくありません。
「どんな馬でも母馬とは必ず離れる時が来る。人とともに生きる上で当たり前のこと。そこは気にしてはいけない。」
また、タロウさんとルーカスを離すと大変なことになるというお話しも、「それがどうした。」と反応もめずらしいことでもありません。
逆に、タロウさんがルーカスと離れることに「慣れる」ための方策をご指導してくださるかたもいらっしゃいました。

「離れる」ことに対して、今でも全身全霊で「抵抗」を示すタロウさん。
前記事「タロウとルーカスは、絶対に離してはいけない!」に書いた、タロウさんの様子を目の当たりにしてしまった今では、タロウさんのこの悲しみ、トラウマを「無視」したり、「見て見ぬふり」をしてはならないと、私は思うのです。

馬は力ではなく信頼に基づく群れの動物ですから、仲間とともに「在る」ことで精神的な安定が保たれ、静かで穏やかな関係が、結果的に群れ全体の安全と、個体の長寿にも繋がります。
タロウさんとルーカスにとっては、おそらく、ここで触れ合う人たちがみんな群れの仲間として認識されているでしょうから、私はタロウさんの悲しみをさらりと受け流す気持ちにはなれないのです。

馬の姿が美しく見えるのは、そのまっすぐな心のあり方を、全身で私たち見せてくれるからかもしれません。

次回はタロウさんと仲良しの木曽馬との別れについて書きます。

おしまい

→目次へ戻る。

画像4

画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?