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1.6 馬の背中で感じること

馬の背中。それはとても温かいです。
馬の背中から見る風景。それは何とも言えないものです。

あえて、言葉にするなら、馬の背中から見える風景は、
子どもの頃に、お父さんの肩車や、お母さんの胸に抱かれて見た風景ににています。
親の胸や肩の高さは、子どもの身長からしたら、非日常の高さ。
本当は恐いはずですが、繋がっている温かさが、周囲の光景を見る余裕を与えます。
「こわい~」よりも「うわ~、たかい~。」

全幅の信頼と、優しさと温かさに裏付けされた光景。
馬の背から見る光景はそのような光景だと、乗馬するたびに感じます。

もちろん、虐待やネグレクトなどで、親の温かさを知らないという方もいらっしゃいますし、親に対して不信感しかない方もいらっしゃいます。
孤独と不安にさいなまれて、どうしようもなくつらい方々もたくさんいらっしゃいます。

でも、たとえ今、どのような状況だとしても、今、生きている私たちは、お母さんのお腹の中にいた十月十日の間は、誰でも、母体の優しさと温かさしか知りません。
両親の性格や人間性も大切ですが、なによりも母親の「命」が私たちの「命」を育んでくれるのですから。

赤ちゃんは、これから生きていくために必要なほとんどの機能を、その十月十日の間に備えます。
染色体異常や、他にも生まれつき体に何らかのハンディキャップを背負って生まれてくることもあります。
でも、母親の胎内にいる間は、そんなことは何の問題でもありません。
へその緒で母親と繋がっているだけで幸せです。

ほとんどの人が忘れ、思い出しもしない、そんな優しさや温かさを思い出させてくれるのが、馬の背中。

馬が歩くときの振動や、息吹、体温、すべてが、私たちが「知っていた」ことを「体幹」に直接思い出させてくれます。
馬の重心と人の重心が一致していることを実感するたび、
ズレた重心が、無意識にもとに戻ろうとするたびに。

自律神経も自己免疫も、自己治癒力もすべて、私たちが「知っている」そこから発しているのではないでしょうか。
そこが日々、私たちの命を守ってくれるのではないでしょうか。
疲れ、そして、病んだ心と体は、「それ」を思い出すことでもとに戻ると思います。

これが、ホースハーモニーで呼吸を重要視する大きな理由の一つです。
タロウさんもルーカスも、人の呼吸に対して、優しく温かく応えてくれますよ。

馬の背中。それは思い出の場所であり、今を生きることを感じる場所。
そんな感じがします。

タイトルなし3

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※ご参考までに、馬はちょっとした進化でも、100万年の時を必要とするそうです。
馬が人と関わるようになってから、わずか5000~6000年。
つまり、馬が人を乗せるための体の進化は、まだ始まってもいないと言えるでしょう。
そんな馬の背中ですから、人が乗るときは、「レコード盤の上に、針をそっとおいて美しい音を出すような」。そんな気持ちで乗りたいものです。

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