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原爆投下は、戦争の「狂気」が為した「殺傷力のデータを得る為の人体実験」のようなもの

標題は偏った見方を連想させるかもしれません。しかし、長崎に生まれ育ち、そろそろ人生の幕引きを意識しだした今、ひとつの結論を示す必要性を感じました。
もしかすると、今後この結論は覆るかもしれません。
しかし、現在考えうる全神経を集中させた結果たどり着いた文言は標題のようなものでした

また、この記事を、長崎に修学旅行で来られる中学生の方が、平和学習の参考として読んでくれるかもしれないので、特にこの記事は「未来を担う中学生に向けて」書きたいと思います。

2018年の夏、何故だか理由はわかりませんが、ふと「731部隊」についての資料映像・書籍をもう一度読み返してみました。
細菌戦部隊」の名のもと、外国人に対し、おぞましい人体実験を行った日本軍同部隊について、森村 誠一は著書「悪魔の飽食」の中で、以下のように著しています。

『 ・・・戦争には、程度の差はあっても兵士を共通の狂気に陥れる麻薬が仕掛けられてある。平時は(普段は)善良なる小市民をして集団発狂せしめる恐るべき”麻薬”というべきである。
その麻薬は、戦争目的をすら忘れさせ、戦争によってつくりだされた「無法の自由」下において、平時では絶対に許されない悪逆無道(人の道に外れた、はなはだしい悪事)を楽しませる作用がある。
戦争における、人間にもあるまじき非道は、軍が面白半分に行ったと言ってもさしつかえない。
つまり、”娯楽のための非道”なのである。
 』

いくらなんでも原爆投下を「娯楽」とは言いたくないのですが、それでも「人心」を失った「狂気」が行わせたものであり、それは『軍事上必要の無かった科学的実験を興味本位から、「やるなら今しかない、やってしまえ!」とばかりに、行なった行為』と言っても言い過ぎではないだろうと思います。

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↑ 香焼から見た原爆の巨大なキノコ雲。
(本記事内の画像は、すべてwikipediaから引用させてもらっています)

日本への原爆投下を諜報部からの情報で察知していながら、保身に専心し、空襲警報さえ出させなかった日本の大本営もひどいものですが、投下したアメリカ軍の最高司令官であったトルーマン大統領の非力さもこれに劣らずひどいものでした。
内部リンク

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原爆投下計画に実質最高司令官として関わっていたのは、マンハッタン計画の指揮官であったレスリー・グローブス中将であって、その具体的な内容については終戦間際に急逝したルーズベルトですら殆ど何も知らなかったようです。
従って急遽大統領に就任したトルーマンにその知識があるはずもなく、またアメリカ軍の最高司令官としての手腕を振るう経験も力量もありませんでした。

そこは十分理解できるのですが、実はこのトルーマンに、たとえ凡人であっても本気になって調べて考えれば人道的な立場で原爆投下を中止するチャンスが何度もありました

巨額の予算をつぎ込み科学者の狂気にも後押しされたグローブスは、最初にトルーマンに対し24ページの原爆投下計画書を示し、承認を得ようとしました。
それに対しトルーマンは驚くべき無能ぶりを晒しています。
なんと「報告書を読むのは嫌いだ」と答えたらしいのです。
報告書が数百ページに及ぶのであればまだわかります。
たった24ページ。
それも内容が人類初の無差別大量殺人兵器のものであり、例えそれについて何の知識がなかったとしても、精査するぐらいのことがなぜこの人にできなかったのでしょうか

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その後、投下地点について京都にするか、軍事色の濃い広島長崎小倉にするかなど、陸軍長官スティムソンを交え、かなりの時間を費やしていますが、原子爆弾というものがどういうものかという根本的なことに考えが及ぶことはなく、1945年8月6日に1発目の原爆が広島に投下されてしまいました。

投下時、「あくまで軍事目標だけに投下した」と、上機嫌で語っていたトルーマンは、8月8日に広島で多くの一般市民が犠牲になった写真を見て、「こんな破壊行為をした責任は大統領の私にある」と述べたそうです。

しかし、この言葉と裏腹に投下中止を指示する決断力もないまま、トルーマンが憂いている間、翌8月9日には長崎に2発目の原爆が投下されてしまいました。(ちなみに日本の大本営も、この投下をキャッチしていながら何の警告も指示も出しませんでした)


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結果的に2日間で20万人以上が死に、恐るべき数の人が長く(今も)後遺症や精神的な苦痛に苦しむことになりました

長崎投下の後、トルーマンは日記の中で「人々を皆殺しにしてしまったことを後悔している」と書いていたそうです。

そして翌9日にようやく原爆投下中止の指令を出しています。


トルーマンを責めるような内容になってしまいましたが、現実としてこの原爆投下計画を止められたのは当時トルーマンただひとりしかいませんでした。

そしてその後、演説の中で「多くのアメリカ人や日本人の命を救うために原爆を投下した(戦争を終わらせた)」という旨の演説をして、その後の核開発を進める発端をつくり、多くの被爆者を苦しめることとなりました。


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「狂気」に取り憑かれ、望み通り「殺傷力のデータを得る為の人体実験」を成し遂げた科学者たちや軍人たちは、その被害の有様を知ってどう感じたのでしょうか?

満足したのでしょうか?
知りたいものです。

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