まわり道
"彼女"という言葉には、ずいぶん悩まされてきた。
同級生の女の子とかと話してて、楽しいと思うことはたくさんあったけど、その先に何かを見すえるのが得意ではなかったから。
「男子と女子が仲良くなって、行きつく先はひとつだけ?」
そこに対するモヤモヤは、長い間ぬぐいきれなかった。
正直、今でも残ってる。
昔、仲良かった女の子の話。
クラスが一緒で、毎日ふつうにおしゃべりしてた。
この関係、友達以上恋人未満が保たれてること。
それが心地よかった。
「あなたのこと、好きらしいよ」
風のうわさでそう聞いたとき、今まで築いてきたものに少しずつひびが入っていく気がした。
「今までみたいなくだらない話もできなくなる?」
「もし付き合うことになったら、ずっと恋人らしくふるまっていないといけないの?」
だけど、人が誰かを好きになる気持ちには、歯止めが聞かない。
だからこそ、「このままでも良くない?」なんて言葉をかけるのはとても無力。
そんな風に、お互いの気持ちを確かめあったとき、過去と未来はプツンと分かれてしまう。
けっきょく、その子とはあまり話さなくなってしまった。
いっそのこと、どっちつかずなままでいいと思ったから。
好きになられることのむず痒さが、僕の中で無視できなかったのだ。
ただ、胸の中にのこったのは申し訳なさ。
こんな風に考える人、自分だけなんだろうかと、けっこう悩んだ。
しばらくたって、「回避依存」という言葉をしった。
他者と親密な関係になることを避けるタイプの人らしい。
・相手がふりむくと、急に冷たくなる
・恋人同士でも、頻繁に連絡を取るのはめんどくさい
・責任を負うのが苦手 etc
全然当てはまらないものもあったけど、当てはまるものもけっこうあって笑ってしまった。
でも、これを読んだときどう思ったかというと、正直ほっとした。
自分が今まで葛藤してきたことがラベル付けされていることに救われた。
得体のしれない影の正体がわかったとき、やっと等身大の自分に向き合うことができると思ったから。
そして、「回避依存」を知ってから気づいたことがある。
勇気をもつことの大切さだ。
僕の場合、人と親密になることへの抵抗はそこまでない。
回避依存傾向の人は、「自分がいい子でなければ愛してもらえない」と考える人もいる。
過去にはそういう風に思ったこともあるけど、自分のありのままを見せることが嫌われることにつながることはあまりなかった。
そして、それを実感するためには勇気が必要だった。
「これ言ったら変な目で見られるかも」というようなことでも、案外サラッと流されたりすることもあるし(まあ、怪訝な目で見られることもありますが…笑)、自分の中でむやみにハードルを高めすぎていたこともある。
そうやって、少しずつ許容範囲を広げていく中で発見したこともある。
"彼女"というものを大きく捉えすぎていたり、いつまでも好かれていないといけないというのは僕の思いこみじゃないか、ということだ。
「カップルになれば、もう昔のように話せなくなってしまうし、変な義務が生じてしまう」
そんな風に理想とか妄想がひとり歩きしてしまって、現実とはそぐわない考えにいたる。
それよりも、もっと楽に、「相手がそこにいる」という事実だけをたずさえていこうと思った。
あんまり「女性」ということを意識しすぎるとかしこまってしまうし。
つきあったとしても、友達みたいな関係のままっていうのもアリ。
まだまだそんな風に思えないことも多いけど、少しずつ頑張っていけばいいかな!
〇
中途半端な過去も 大切だけど
(夕陽が笑う、君も笑う/スピッツ)
この歌詞が好きだった。
どっちつかずで中途半端な自分を認めてくれてる気がしたから。
ただ、今は思う。
やっぱり中途半端を卒業することも大切だ、と。
きっとこの歌詞は、「中途半端な自分」に向き合った僕が、将来ほんとに強くなれたことを振り返るシーンなのだ。
だから、もう少し頑張ってみたい。
この歌詞を、もう一度好きになる日まで。
#エッセイ #大学生#恋#勇気#人生#価値観