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from 勇気がでない僕

僕には「決断」をためらってしまうとこがある。
それは、他の人からみれば「ちっぽけな決断」であっても、だ。
起きる可能性のひくいことを想像してこわくなったり、もう引き返せないのでは?と、妙に勘ぐったりするからだ。
考えすぎだということは、自分でよく分かっている。
それでも気にしてしまう。
そんな自分が、今でも嫌いだ。

ただ、昔と比べたら「決断」に対するハードルは低くなってきている。
なぜだろう。
それは、奇しくも「決められない自分が嫌だ」と悩んできたことがもたらした、ラッキーな副作用なのだと思う。

自分にネガティブな言葉を投げかけることは、世間ではよくないことだと捉えられている。
だけど、僕の場合、半分当たって半分はずれていた。
たしかに、自己否定はよくなかった。
一日ブルーな気分で過ごしたり、小さなことでへこんだりすることも間々あったし。

ただ、自己否定というのは、何もネガティブなことだけを指すのではなかった。
「あの人みたいになりたい」とか「こういう考えができるようになりたい」っていう自己否定は、ポジティブな方向を向いている。
今のトピックだと、「決断力のあるあの人がうらやましい」「行動力が身につけばなぁ」とかにあたるんだろう。
その思いは、「否定」という後ろ向きな言葉だけでは説明しきれない。
掘りさげていくと、きっと「希望」「向上心」という明るいワードにつきあたる。

そう考えると、自分の物足りなさを思いなやむことは、そんなに悪いことでもない。
出発点がポジティブだから、積もり積もっていくと、「ちょっと頑張ってみようかな」と、思える瞬間にたどりつく。
潜在意識というのは、けっこうすごいのだ。
考えているだけじゃどうにもならないこともある。
だけど、考えていないと見えてこないことだってあるから。
目指したい方向があれば、その世界は開けていく。
僕はそうだった。

そして、やっぱり「行動」しなければ人は変われない、とも気づいた。
価値観をくつがえすには経験が必要だから。
たとえば、一人暮らしをしないと自炊の大変さとか、誰も看病してくれない孤独感とかも感じられないし。

もちろん自分で行動できるならそれがベストなんだろう。
だけど、僕はそうはいかなかった。
だから、人に頼ることにした。

友達が頑張ってる姿を見て「あいつがやってるなら、やってみようかな」とか、知り合いの挑戦に一緒に参加してみて「意外と自分でもできるかも」とちょっとずつ自信をつけ、世界の枠を広げていく。
定期テストみたいに、持ち込み不可なんてことは無いから、頼れるものは頼っちゃえばいいのだ。

そうやって、生活の中で「非日常」をつくりだしていき、徐々に変化していくことが僕には合っている。
なれ親しんだ時の流れを自らかき乱すのは、けっこう勇気がいること。
だけど、やっぱり必要なことなのだと思う。

一見こわそうなものに近づいてみて、本当にこわいのか、そうでもないのかを知っていくことは続けていきたい。
自分のペースをまもりながら、そして、誰かに感化されながら。


#エッセイ #大学生#勇気#挑戦#行動#決断#青春#価値観#人生

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