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親の視点、子どもの視点

2015年に話題になった自動車メーカー・トヨタの「Loving Eyes」というCMがある。公式チャンネルの視聴数は700万再生回数を超え、今も動画にはコメントがつく人気ぶりだ。

数年振りに動画を観て、不覚にも泣いてしまった。息子が生まれてから初めて観たが、親になると不思議なもので、heart-warming以外の要素で胸を打つ。(このnoteを書くために再び動画を視聴しているのだが、また泣きそうになっている)

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僕は僕の目で世界を見ているし、息子は息子の目で世界を見ている。

どんなに息子の立場になろうとしても、息子が見ている世界は想像上の産物だ。腰を折って息子に目線を合わせても、事物に対する息子の感じ方には追いつけない。追いつけるわけがない。

そんな自明の事実を、トヨタのCMは愛をもって教えてくれる。愛が全てだ。Love is all。どんなときも息子を温かく見守れる父親でありたい。

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以前noteでも書いたが、最近、息子はますます父(=僕)を遠ざけるようになった。決して仲が悪いわけではないのだけど、僕が近付いて愛でようとすると「いやいや」と拒否する。時には泣き叫んで拒絶さえする。

そんな息子と交わす定番のやり取りがある。

「お母たんのこと好き?」「好き」
「じいじのこと好き?」「好き」
「ばあばのこと好き?」「好き」
「お父たんのこと好き?」「大嫌い」「!」

息子は僕のリアクションを見て楽しんでいる節があるのだが、最近このやり取りに変化が生じた。

「お父たんのこと好き?」「頭好き」「?」

「僕の頭が好き」とは何だろうか。
おそらく僕が息子を肩車することが多いからだと思う。

2歳半になり、息子も身体の体幹がしっかりしてきて、外出すると肩車を求めてくる。肩車をすると息子の視点は上がる。1メートルの世界から、1メートル75センチの世界へと変わる。

その世界は、僕が眺めている日常だ。

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もちろん前述した通り、視点の高さが同じになったからと言って、親と息子の世界が同じになるわけではない。ただ、ちょっとだけ世界は重なったのかもしれない。

この先、息子は小学校に入ったり、恋をしたり、スポーツで挫折をしたり、受験勉強に苦しんだり、進路選択で頭を抱えたり、何らかのハラスメントに悩んだり、叶わぬ恋に枕を濡らしたりすることもあるのだろう。

その経験は僕にもある。
時代や時間軸は違っても、二人の世界は刹那、重なる。

今僕は、息子のことを想像しながらnoteを書いているけれど、もしかしたら僕の親にだって同じことが言えるかもしれない。息子である僕には言えない苦悩を重ね、それが経験となり人格が形成されているのだ。

幸い、僕の両親は健在だ。
とは言え順当にいけば(というのも変な話だけど)、僕より先に生涯を閉じる。その間際までに、僕は両親の世界と重なることはできるのだろうか。今はちっとも想像がつかないけれど、想像力を働かせて、両親の視点と共振できたらと思う。

そこで得た経験は、本当の意味で僕の生きる糧になると確信している。

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