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ジャージを履いてはならぬ。

2006年11月の「ほぼ日刊イトイ新聞」に、坂本龍一さんと糸井重里さんの対談記事が掲載されていた。

これはもともと、坂本さんのパートナーだった矢野顕子さんのデビュー30周年を記念した連載記事。おそらく対談時はパートナーとして語っていたが、連載されていた年に矢野さんとの協議離婚が発表されている。時系列は定かではないが、なかなか出会えない座組み / 企画であろう。

ほぼ日らしく、あちこちに脱線する連載記事だ。序盤の1〜3回までは矢野さんの話はほとんどなし。坂本さんの近況報告を糸井さんが楽しそうに伺うといった感じだ。

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この記事で出てきたのが、「ジャージを履いてはならぬ。」という坂本さんの言葉。

タイトルだけで判断してしまうと、「坂本龍一って、嫌な大人だったんだな」と思われるかもしれない。実際に本文を読んでも、なかなか偏狭な考え方のように読めなくもないけれど、「教授」と呼ばれ、音楽性の高さを長く評価されてきた坂本龍一という人間の美意識のありかを見出す上で、とても貴重なテキストだと感じた。

つまり坂本さんの美意識とは、坂本さん個人だけで生まれるものではなく、他者との関係性の中で生まれているものだということ。「絶交するほど嫌」とあるので、相当のものだったんだと思うが、他者(それは人間以外の自然、広い意味での環境を含む)との関わりの中で、磨かれ、削られ、補完されて出来上がったのが、坂本龍一の美意識なのではないだろうか。

翻って、僕個人の美意識とは、何が源泉なのだろう。

好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。わりとハッキリしている僕個人の美意識は、いったい何によって形作られていたのだろうか。

思い出すのは、4年前に訪ねたチェコ・プラハでのこと。

喫煙者が苦手だと思っていた僕は、プラハではちっとも喫煙者のことが気にならなかった。最初は気になったが、徐々に「そういうもの」と慣れていったのだ。

僕の美意識の範疇に、喫煙者の存在は全くといっていいほどなかった。だけど、案外、そんなこともないのかもしれない。そういえば今日Amazon Prime Videoで鑑賞した「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」では、主人公・ジョアンナのボス、マーガレットが四六時中、タバコを吸い続けていた。

でも、それは映画のスクリーンにバッチリはまっていた。

ジョアンナは終盤になって「私も」という感じで喫煙していたが、基本的には潔癖症というか、タバコと縁遠い人間だったはずだ。そんな彼女が、何かのトランスフォームするように、タバコを許容していった様は、思い出すになかなか興味深い現象だった。

いずれにせよ、美意識というか、美に対する価値観のありかとは、なかなか揺れ動いてしまうものだなと感じてしまう。

僕にとって大事なものは何だろうか。絶交するほど嫌なものは何だろうか。とにかく、人と会う際にジャージ姿で現れるのは止めておこうかな。

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