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心をポッと温かくさせる起業家の物語(寺尾玄『行こう、どこにもなかった方法で』を読んで)

僕が影響を受けた、日本人経営者の書籍は3冊ある。

藤田晋さんの『渋谷ではたらく社長の告白』、南場智子さんの『不格好経営』、山口絵理子さんの『裸でも生きる』だ。

彼らの苦難の連続には、言葉を失う。

藤田さんは若き日々の組織マネジメントの苦しさを、南場さんはサービス開発時のトラブルを、山口さんは途上国での裏切りを。

悔しさをこらえ、頭を下げ、前に進むために行動を止めない。そんな暗い日々を、赤裸々に描いている。

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本を読んだとて、同じような状況を上手くやれるわけではない。

ただ体感する経営者の覚悟は、少しだけ視座を高めてくれる。

並大抵ではない意思で、困難を乗り越えていく姿。色々な想いを、受け取れることができるだろう。

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そんな僕のバイブルに、もう1冊が新しく加わりそうだ。

バルミューダの代表・寺尾玄さんの著書『行こう、どこにもなかった方法で』だ。彼の生い立ちから、バルミューダ初のヒット商品である扇風機「The GreenFan」までが綴られている。

人生は、何が起こるか分からない。
私は今、家電を作る会社を経営している。昔は自分が経営者になるなんて、夢にも思わなかった。詩人か小説家になるのだとばかり思っていたのに、いつの間にこんなことになったのだろう。
(寺尾玄『行こう、どこにもなかった方法で』P7より引用)
これまでの私の人生は多彩だった。変化に富み、いつもいつも、山あり谷ありだった。驚きと失敗の数だけは、人に負ける気がしない。平坦な道が極端に少ない、決して退屈しない人生だった。
その人生は、はたから見たら危なっかしく見えるかもしれない。いつもドキドキしながら生きていける反面、安定とは程遠い道だ。
(寺尾玄『行こう、どこにもなかった方法で』P9より引用)

なんと瑞々しい筆致だろう。

波乱万丈な半生が解像度が高く描かれており、寺尾さんの軌跡をなぞっている感覚になる。

両親の離婚、母との死別、高校を中退して1年間のヨーロッパ放浪の旅、ミュージシャンへの挑戦と挫折、資金がほとんどない状態での起業……。

そのどれも普通では経験できないハードなものだ。寺尾さんの強い意思により、蛇行しながら時が重なっていく。

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とりわけ、創業期の資金繰りの厳しさに背筋が伸びる。

家電に関するバックグラウンドがない中で、製品開発や販売に奔走する。

部品を調達し、試作品を作る。生産効率を高めるための金型制作や、売れば売るほどお金がなくなっていく商売の厳しさ。

リアリティに拍車をかけているのは、生々しい数字が記されていることだ。会計知識がなくても理解できる、いわゆる足し算引き算による計算式で、経営の苦しさを窺わせる。

銀行からの融資も絶望的。売上を大きく超える融資は現実的でないからだ。

常識外れな行動力があるせいで、資金調達の失敗は口惜しさが倍加されるのだ。

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今やバルミューダは、知らない人の方が少ない。

3万円を超える扇風機や、2万円を超えるトースターなど、普通のビジネス感覚では作ろうとさえしない。そこを突破できるのが寺尾さんの「ものづくり」だ。その姿勢が共感を呼び、商品を求めて多くの人が大金を払う。

普通ではない会社だ。

本書の読むべき価値は、寺尾さんが必ずしも常人離れした感覚を持っているわけではないということだ。(有り難いことに?)繊細な一面も持ち合わせており、始めの一歩を踏み出す葛藤を以下のように記している。

この先一年間、どこに行くのか、何をするのかも決まっていない。泊まる場所も分からない。それは、今まで感じたことのない解放感だった。しかし想像するにつれ、だんだんとその広大さに足がすくむ思いがしてきた。
こういう時に人はやっと理解するものなのだ。これまで嫌だと思っていた、社会に決められたかのような日々、やるべきことが常識として設定されていたこと、誰かの言うことを聞いていればとりあえず無事に過ごせた毎日が、いかにありがたく、楽だったかを。
自分の未来を自分で決めることが自由だ。成人のうちのほとんどの人がそれをできる状態にあるが、それだけではまだ自由ではない。自由になれる状態だ。本当の自由状態になるのは、決めたときなのだ。
(寺尾玄『行こう、どこにもなかった方法で』P87〜88より引用、太字は私)

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安定でなく挑戦を選んだ者の宿命として、苦難が立ちはだかる。

そこで寺尾さんが持っていたのは並外れた覚悟であり、「常識外れかもしれないけど、可能性としてアリならやってみよう」と自らを盲信できる力だった。

黙っていても、どうせ会社はつぶれる。どうせ倒れるなら、前に倒れようと思った。だいたいが、リーマンだがピーマンだか知らないが、どこかの贅沢をしていた金持ちのせいで、自分の夢がついえるのはまっぴらごめんなのだ。この夢を失うのは、おれは絶対にいやだ、と思った。
(寺尾玄『行こう、どこにもなかった方法で』P201〜202より引用、太字は私)

バルミューダ浮上のきっかけは、バラエティ番組「アメトーーク!」の家電芸人の回で商品をプレゼンしてもらったことだと言う。

無名の会社が、全国区にのし上がるためには「入場券」が必要だ。

そのために寺尾さんは、松竹芸能本社前に、段ボールと共に陣取り、TKO・木本さんを出待ちしたそうだ。僅かな時間の対面で接点を持ち、そしてチャンスを得たのだ。

偶然かもしれない。ラッキーかもしれない。再現性はないだろう。

だが、それ以前に寺尾さんは、資金調達のために何度も何度も段ボールを持ち運びながら扇風機をプレゼンしていた。その行動があったからこそ、何の衒いもなく、お笑い芸人にチャンスを請うことができたのだ。

その物語に触れたとき、熱いものが僕の胸に宿った。

暗闇にランタンの灯りが揺れるように、心を温かくしてくれる。寺尾玄さんの『行こう、どこにもなかった方法で』とは、つまるところ、そんな熱さが詰まっているのだ。

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*おまけ*

寺尾玄『行こう、どこにもなかった方法で』の感想を、読書ラジオ「本屋になれなかった僕が」で配信しています。お時間あれば聴いてみてください。

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