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逆境を経験し、自ら箸を取った人だけが見つけられる天命(100分de名著:渋沢栄一『論語と算盤』)

孔子の教えを編纂した『論語』の有名な一節に、

「子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」というものがある。

15歳で学問を志し、30歳で自立。40歳で惑わず、50歳で天命を知る。60歳で他人の意見に耳を傾けられるようになり、70歳で道を外さずに行動ができるようになる。という趣旨だ。

天命を知るのは50歳だという。

天命を、自分自身の役割や運命だと解釈すると、50歳になってようやく天命を理解するというのはややスローな印象を受ける。

だけど自分に対して「俺は果たして50歳で天命を見つけられるのか」と自問したとき、その答えに自信はない。

飯は食えるだけの収入は得られているけれど、あらゆることに未だ惑いっぱなしだ。

ウェルテルのように若くはない30代後半の僕が、見通しの立たない未来をどう生き抜いていくか。悩みは尽きない。

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2021年4月放送、NHK「100分 de 名著」で取り上げられたのは渋沢栄一『論語と算盤』。

渋沢栄一のイメージは、明治時代以降、実業家として成功した人。

正直なところ、彼から何を学べるのか良く分からなかった。

実業家としての成功者であれば、ビル・ゲイツさんでも、孫正義さんでも、柳井正さんでも、藤田晋さんでも良い。わざわざ過去の「偉人」を取り上げる必要があるのか疑問だった。

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だがそれは誤解だった。

渋沢は自らの志に真っ直ぐ向かっていた人物だが、彼が実業家になるまでの道のりは長く険しかった。

以下が、渋沢が実業家になるまでの略歴だ。

・そもそも農民の生まれ
・富農という恵まれた境遇だったが武士から軽んじられた存在だった
・16歳のとき「金を貸せ」と代官所で言われ屈辱を受ける
・そのことから渋沢は「武士になり政治に直接関わる」ことを目指す
・尊皇攘夷運動にのめり込むが、一転、徳川御三卿の1つである一橋家に士官する
・一橋慶喜に仕え、徳川幕府を形骸化させることを試みるも、一橋慶喜が将軍に選ばれてしまう
・ふてくされていたところパリ随行の機会を得て、2年にわたりヨーロッパ各地を視察。資本主義と近代化を実感する
・帰国後に大蔵省に勤務し、度量衡と貨幣制度の統一、郵便制度の確立、鉄道敷設など近代日本の礎をつくる
・官僚にののしられながらも「民間で実業を育てる」ことを決意し、自ら実業界に飛び込む

大蔵省を退官し、第一国立銀行を創立したのは33歳のときだ。

現代と比べれば立派すぎるキャリアで「公での経験を民に活かす」という文脈もクレバーに思える。(そういった意味で、振り幅の大きい仕事に従事した経験や人脈は役に立つ)

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だが、渋沢は自らを「逆境の人」と言う。自身の「回り道」を後悔の念として回顧している。

現に余は最初、尊王討幕、攘夷鎖港を論じて東西に奔走していたものであったが、後には一橋家の家来となり、幕府の臣下となり、それより民部公子に随行して仏国に渡航したのであるが、帰朝してみれば幕府はすでに亡びて、世は王政に変わっていた。この間の変化のごとき、あるいは自分の智能の足らぬことはあったであろうが、勉強の点については自己の力一杯にやったつもりで、不足はなかったと思う。しかしながら社会の遷転、政体の革新に遭っては、これを奈何ともする能わず、余は実に逆境の人になってしまったのである。
(渋沢栄一『論語と算盤』P43より引用、太字は私)
(渋沢の真の立志は「実業界の人になろう」と決心したときだと述べながら)顧うにそれ以前の立志は、自分の才能に不相応な、身のほどを知らぬ立志であったから、しばしば変動を余儀なくされたに相違ない。それと同時にその後の立志が、四十余年を通じて不変のものであった所から見れば、これこそ真に自分の素質にも協い、才能にも応じた立志であったことが窺い知られるのである。しかしながら、もし自分におのれを知るの明があって、十五、六歳の頃から本当の志が立ち、初めから商工業に向かって行っていたならば、後年、実業界に踏み込んだ三十歳頃までには、十四、五年の長日月があったのであるから、その間には商工業に関する素養も充分に積むことができたに相違なかろう。仮にそうであったとすれば、あるいは実業界における現在の渋沢以上の渋沢を見出されるようになったかもしれないけれども、惜しいかな、青年時代の客気に誤られて、肝腎の修養期を全く方角違いの仕事に徒費してしまった。これにつけても将に志を立てんとする青年は、宜しく前車の覆轍をもって後車の戒めとするが宜いと思う。
(渋沢栄一『論語と算盤』P85〜86より引用、太字は私)

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番組の講師を務める守谷淳さんは言う。

(現在の渋沢以上の渋沢になれるのは)実際には、それは不可能なのです。なぜなら、天命は、まず志を立て、次に現実に揉まれ、自分の得手不得手が分からないと、知ることができないからです。
(100分de名著:渋沢栄一『論語と算盤』P29より引用、太字は私)

もちろん周囲を見渡せば、20代(早ければ10代)で成果をあげ、名前を知られている人たちがいる。

スポーツ選手の場合、20歳を過ぎてから「このスポーツでプロになろう」と言っても遅いだろう。

僕らはどうしても他人と比較して、自らの出来・不出来を評価する傾向にある。それはどう考えてもナンセンスなことだ。

渋沢は「自ら箸を取れ」と後進に檄を飛ばしている。

かの木下藤吉郎は匹夫から起こって、関白という大きな御馳走を食べた。けれど彼は信長に貰ったのではない。自分で箸を取って食べたのである。何か一と仕事しようとする者は、自分で箸を取らなければ駄目である。
(渋沢栄一『論語と算盤』P70〜71より引用、太字は私)
古語に「千里の道も跬歩よりす」といってある。仮令自分はモット大きなことをする人間だと自信していても、そのおおきなことは方々たる小さなことの集積したものであるから、どんな場合も軽蔑することなく、勤勉に忠実に誠意を籠めてその一事を完全にし遂げようとしなければならぬ。秀吉が信長から重用された経験も正にこれであった。草履取の仕事を大切に勤め、一部の兵を托された時は、一部将の任を完全にしていたから、そこに信長が感心して、遂に破格の抜擢を受け、柴田や丹羽と肩を並べる身分になったのである。ゆえに受付なり帳付なり、与えられた仕事にその時の全生命をかけて真面目にやり得ぬ者は、いわゆる功名利達の運を開くことはできない。
(渋沢栄一『論語と算盤』P72より引用、太字は私)

幸運や機会は待っていても訪れない。

それを体現したのが渋沢栄一という人だ。

逆境を絶えず経験したからこそ、人生に迷う人にとって、再現性としての希望の灯になる得る。

志は何か、自分の得手不得手は何か。それが今は間違っていても構わない。

目の前の小さな仕事を積極的に掴んでいくことだけが、やがて到来する天命に繋がるのだ。

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*おまけ*

100分de名著 渋沢栄一『論語と算盤』の感想を、読書ラジオ「本屋になれなかった僕が」で配信しています。お時間あれば聴いてみてください。

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