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消費とは、コンソメスープ。

デザイン活動家であり、D&DEPARTMENTディレクターのナガオカケンメイさんが、朝日新聞デジタルに「目立たず、格好つけず、主張せず これからの「デザイン」のたたずまい」という記事を寄稿していた。

ナガオカさんが大事にする「ロングライフデザイン」とは?

ナガオカさんは「ロングライフデザイン」を掲げている。いわゆる最新や流行とは一線を画し、「ながくつづく」価値あるプロダクトやサービスを広く紹介している。

彼が主宰するD&DEPARTMENTは「47都道府県に1か所ずつ拠点をつくりながら、物販・飲食・出版・観光などを通して、47の「個性」と「息の長い、その土地らしいデザイン」を見直し、全国に向けて紹介する活動を行」なっているプロジェクトだ。(*1)

興味が湧き始めたのは今から15年ほど前。環境のことも、継続性のことも考えず、とにかく”個性的なもの”をデザインと勘違いしながら、どんどん新しいもの、流行に沿ったものを量産していたような時代を経て、40歳に近づくにつれ、そこに疑いが生まれ、長く使い続けられ愛されることが大切だという思いに至りました。
(朝日新聞デジタル「初めまして、ロングライフデザイン。ナガオカケンメイが40歳目前に疑ったこと」より引用、太字は私)

「“自分の買い物”がどこに行くのか」という問い

寄稿記事の中で、ナガオカさんは「“自分の買い物”がどこに行くのか」という問いを立てている。

もう一つ気づいたことがあります。「僕が持っているものは誰のものになるのか」ということです。
大量の本、集め始めたLP、静岡の家、無理をして先日買ったLeica(ライカ)、亀倉雄策さん(グラフィックデザイナー)から譲り受けたデスク……。(中略)
死んだら何も持っていけないので、「受け継がれる」か「売られる」か「捨てられる」かなのです。そんなことを考えてしまうと、買い物にちゅうちょしますが、理想的には「誰かに引き継がれて、ずっと残る」という買い物がいいですよね。(中略)
とにかく死んだら天国へは何も持っていけない。そして、家族や大切な人、多くの友人、知人に少なからず自分が影響した社会を残すということには、間違いないわけです。
(朝日新聞デジタル「目立たず、格好つけず、主張せず これからの「デザイン」のたたずまい」より引用、太字は私)

モノ消費が下火になり、環境問題への関心が高まるにつれ「良い消費を考えたい」という価値観はスタンダードになりつつある。

アップサイクル(*2)の事例としてパイオニア的存在であるフライターグ(トラックの幌を使った)や、回収した自社バッグを新製品にリメイクしたマザーハウスはユーザーの共感を得ている。

「捨てる」ことでゴミになってしまうものを、いかに循環させていくか。

今後間違いなく、アパレル企業に等しく課せられる社会的使命だ。(なおマザーハウスは、バッグ回収にあたりインセンティブとして1,500円分の割引ポイントを付与している(*3))

消費はコンソメスープである

消費=consume(con(=完全に)+ sume(=取る))の語源を辿ると、実はコンソメスープ(consommé+soupe)と同じだという。

*

そもそも「消費とは何か」という問いに立ち返ったとき、消費=コンソメスープと繋げてみると合点がいく。

ブイヨンに肉や野菜を加えて煮立て、素材の旨味を引き出すコンソメスープ。購買体験に置き換えると、何かしら「旨味」を伴わなければ消費とは言えないのかもしれない。

上述したアップサイクルは、プロダクトによって向き不向きがある。

ナガオカさんが集めた大量のLPは、インテリアとして使うことはできるが、モノそのものは絶対にリメイクできない。

そうなると、心から「素晴らしい買い物だった」という納得感のみが消費者のモノサシになる

・モノ自体に価値を感じること
・モノから派生したコトで満足感を覚えること
・どんな生産過程 / 廃棄過程なのかが大事なこと
・誰かが一人勝ちするような「搾取」の構造になっていないこと
etc

そういったこと「さえ」も、あるいは、そういったこと「こそ」が、旨味として問われている時代なのかもしれない。

そしてこのことは、アパレル業界だけでなく、全てのプロダクトやサービスに言えることなのだ。

参考リンク

*1 D&DEPARTMENT PROJECT とは(D&DEPARTMENT HPより)

*2 アップサイクルとは?(一般社団法人日本アップサイクル協会 HPより)

*3 ケア・修理|MOTHERHOUSE(マザーハウス HPより)



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