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オーソドックスの強み、愛と憎しみ。(映画「ハウス・オブ・グッチ」を観て)

誰もが知る世界的ブランド「GUCCI」。

もともとノンフィクション小説にて創業者一族の崩壊が描かれたわけだが、名匠リドリー・スコット監督によって鮮やかに映画化されたのが本作。できれば映画館で観たかったのだけど都合が合わず。Amazon Prime Videoのレンタルで視聴した。細部の粗さを許容できれば、グッチを巡るダイナミズムに引き込まれるはずだ。

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内容は、実にオーソドックス。

「愛と憎しみは紙一重」という古来から描き継がれてきたテーマで、物語は淡々と進んでいく。

史実ということもあり、3代目社長マウリツィオ(演・アダム・ドライバー)が暗殺されるということは事前情報で知られている。しかも妻のパトリツィア(演・レディー・ガガ)が殺害に絡むことも事前に分かっている。

つまりこの作品は、物語がどういうエンディングを迎えるのか、ということが価値ではないということ。ドラマ「古畑任三郎」のように、犯人が分かった状態で、諸々が明かされていくプロセスを楽しむというような種類の作品なのだ。(ただ正確には、「結末=ネタバレ」として設定するのかどうかはきちんと描かれていなかった)

言い換えると、「いかにして愛が憎しみに変わっていくのか」という過程を体感できる作品。登場人物たちの心情変化がヒリヒリと伝わっていく、サスペンス的な感覚を味わえるのが醍醐味だ。

さらに「グッチ」という誰もが知るブランドが絡む。

「グッチ」という財産が人の心を惑わせ、愛すらも歪ませていく。さもありなんとは到底言えない、現実離れしたグッチ一族の変遷を辿るのは純粋に楽しく、心沸き立つものだった。

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細部の粗さを許容できれば」と書いた。

僕が一番致命的だと感じたのは、パトリツィアがいつから「グッチ」に取り憑かれたのかが描かれていなかったことだ。それはグラデーションがダメだということではない。スタッフやキャストによって解釈をきっちり固められなかったというマネジメントミスに落胆したのだ。(という意味で、僕は「『レディー・ガガ』という諸刃の剣」とツイートした)

パトリツィアの覚醒は、出会いである「パーティ」から始まったのは自明のように思える。しかし公式パンフレットにおいて、リドリー・スコット監督は「最初は純粋なラブストーリーとして描いた」と語っているのだ。

それを真に受ける必要はないが、「やっぱり最初だよね」というと、素直にそうだよねと言えないもどかしさもあって。

パトリツィアも父親が経営者であり、生活に困る立場ではなかった。「グッチ」への憧憬はお金でなく、ブランドという価値そのものに対してだったというのが筋は通るのだけど、でもそもそも最初の出会いに、なぜマウリツィオはフルネームで自己紹介したのだろう?という疑問は残るままだ。(先に自己紹介したパトリツィアは、ファーストネームのみを伝えただけだった)

グッチを身に纏ったマウリツィオは最初から特別だったという説もある。しかし、それならば、最初からパトリツィアはギラギラであるべきで。あのシーンからは、「グッチ」というラストネームが、パトリツィアのスイッチが入ったとしか思えないんだよなあという感想だ。

そういった細部の考察が気になる人にとっては、少しモヤモヤが残る作品かなと思う。映像や設定のダイナミズムはやはり壮大なので、そういったところに映画の醍醐味を感じる人にとっては、文句なく面白い作品だと思う。キャストも素晴らしく、キャスティングへの余念はない。

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だた一番残念だったのは、映画上映から1年経ってもいないのに、日本版公式サイト(house-of-gucci.jp)が閉鎖してしまったこと。

もともとそういう契約だったのか、ドメイン管理上のミスなのかは定かではないですが……。上映後の配信で作品を楽しむファンもいるわけですし、少なくとも1年、できれば3年はURLを維持してもらいたいです。

(Amazon Prime Videoレンタルで観ました)

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