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「どれだけお金をかけているのか」という評価軸

実は意外に読まれてしまった、国葬についてのnote。

論旨は国葬の是非ではなく、「本人が書いたから偉い」という評価軸に対する問題提起だった。

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同じように、最近よく見聞きする評価軸として「どれだけお金をかけているのか」というものがある。

迫力のあるアクションシーンで撮られているNetflix作品、例えば「グレイマン」や「アテナ」など、言葉も発せなくなるほど素晴らしいシーンに魅了された方も多いはずだ。間違いなく、通常の映画とは「桁違い」の予算がかけられている。

ただ、当たり前のことだけど「お金がかかっている」ことと、作品としての評価はイコールではない。

2017年製作の映画「カメラを止めるな!」は、いわゆるインディーズ映画として製作費300万円の低予算で作られたものだ。口コミで広がり、最終的に興行収入30億円を超えるヒット作となったのは記憶に新しい。

「予算がめちゃくちゃかけられているから〜」「低予算のわりには〜」というように、作品にかけられた予算が、評価の補助線になってしまうのは安直というか、評価の中身をすっ飛ばしたような感がある。(プロデューサー視点でみると、作品にどれだけお金を集めたかというのは、ひとつの評価要素ではあると思うが)

ただ、映画の専門家でもない限り、「このシーンがどのように作られたか」を詳述することは難しい。

映画は総合芸術であり、監督や役者、撮影監督、美術監督、プロデューサー、音楽担当、脚本、編集など、ありとあらゆる関係者の手によって編み出されたアウトプットだ。それぞれが、どんな風に全体のアンサンブルに寄与しているかは、一朝一夕で理解することはできないのだ。

ただ、だからといって映画の専門家だけが映画を語って良いという理屈にはならないと僕は思っている。いくら論旨が飛んでいても、見当違いのことを言っていても、間違った感想などはないわけで。

100人いれば、100通りの感想があって良い。映画とは、映画初心者からシネフィルまで、ありとあらゆる層を楽しませてきた裾野の広い芸術なのである。(そういった思いもあって、僕は映画テキストサイト「osanai」を今夏にローンチさせた)

映画を、思う存分楽しむこと。それに加えて、制作の背景や技術のことを学ぶだけで、映画の楽しみは2倍にも3倍にも、場合によっては100倍にも増えていく。

そんな映画への嗜みを、微力ながら、もっと広めていきたい。

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