国葬のこと。ミュージシャンは、自分で曲を作らなければならないのか
スピーチライターの千葉佳織氏のツイートが話題だ。
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もともと僕は国葬に反対だ。
反対しているイベントで読まれた弔辞の良し悪しを語る意味も必要もないと思っていた。だが、ツイートをめぐるリアクションや菅義偉の弔辞に対する好意的な意見などを見ていて、「共感できる」ということ自体が大きな価値になっていると感じてしまった。それに伴う日本人の精神性というか、価値観の片鱗を目撃した気分になって、本件についてつらつらと私見をまとめようと考え、このnoteを書いている。
これは「ミュージシャンは、自分で曲を作らなければならないのか」という問題と似ている。1990年代は小室ファミリーという言葉に代表されるように、パフォーマーと楽曲の作り手は分かれていた。分かれていたというか、分かれていたとしてもパフォーマーの価値が何ら損なわれることがなかった。(もちろんこの頃から、桜井和寿や草野マサムネ、桑田佳祐といった自分で曲を作るアーティストはいたけれど)
だが1990年代終わりにかけて、宇多田ヒカルや浜崎あゆみといったトップアーティストたちが、シンガーソングライターとして時代の旗手を担うようになっていく。BUMP OF CHICKENなどのバンドブームも到来し、「アーティストが自分の想いを伝えるためには、当然自分で曲を作らなければならない」といった価値観が広がるようになっていく。
既に日本の若手ミュージシャンは変わってきていて、「自分で曲を作らない」ことも普通になってきてはいる。色々なアプローチからコラボレーションが当たり前になっていって、むしろ自分のクリエイティビティを最大限に引き出すために、他者の才能に乗っかるというプロセスこそが重要とされてきているのだ。
そのアウトプットは、ほとんど例外なく外に開かれた性質になっているのも重要なポイントだ。(「外に開かれた」というのは、日本国内に留まらずという意味とニアリーイコールだ)
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政治の話に戻る。例えばアメリカのオバマ元大統領は、オーディエンスを魅了するスピーチが得意だったと言われている。いまもYouTubeなどに彼のスピーチは数多く残っており、英語を学ぶ副教材として活用されていることも多いと聞く。
有名な話だが、オバマのスピーチはオバマ自身が書いていたわけではない。オバマにはスピーチライターがついており、彼らの原稿がスピーチのベースになっていたのだ。だがそれによって「オバマのスピーチはイマイチだ」といった評価にはならない。オバマのプレゼン力もあるだろうが、内容そのものに力があるから、国内外に希望を与えるものになっていたのである。
さて、菅義偉の弔辞に対するリアクションを振り返ってみたい。
・内容が素晴らしい
→オープンネス(例:普遍性がある)
→クローズネス(例:個人的な思いが込められている)
・スピーチが素晴らしい
→オープンネス(例:スピーチが上手だ)
→クローズネス(例:スピーチに思いが込められている)
まずは内容とスピーチに大別されつつ、それぞれがオープンかクローズドかに分けられる。と考えたとき、菅義偉のスピーチは内に閉じられたものであることが明白だ。口下手な彼が、滔々と安倍晋三との思い出を語る。その個人的な関係が共感を呼び、称賛につながったというのがざっくりとした「構造」ではないか。
その良し悪しを語るのは、本noteの目的ではない。結局のところ「この弔辞を誰が作ったのか」というのは、さほどアウトプット(スピーチ)に影響を与えないということだ。
否、これがクローズネスな部分で称賛されるとしたら別だ。内容が個人的であればあるほど、菅義偉というひとりの友人によって認められたということが「共感」という軸でもって価値を帯びていく。誰かに思いを届けるためのラブレターを、当人以外の第三者が書いてしまっては興醒めだ。
だが、国葬の弔辞はラブレターではない。
私的な葬儀で読まれる弔辞はラブレター(のような性質)であっても構わないが、国葬の弔辞は、国民の想いを背負わなければならないはずだ。それが友人代表のものであったとしても。
もちろん評価するのは、それぞれの人であって良い。菅義偉のスピーチを称賛する人があっても良いと思うし、酷評する人があっても良い。ただ、少なくとも「弔辞の文章を誰が書いたのか」という問いは、「国葬の弔辞はラブレターのようなものであっても良い」という前提とともにある。
アウトプットにこだわるのであれば、「弔辞の文章を誰が書いたのか」なんてどうでも良いはずだ。ごく限られたクラスターの物語の中で共有・共感されることに、どれだけの価値があるのだろう。
賛否分かれた国葬というイベント、何かを感じたいと思うのであれば、そこで発せられた言葉そのものに冷静に向き合うべきではないだろうか。
誰が書いたって良い。「本人が書いたから偉い」という評価軸にのまれてしまうのは、僕は勘弁願いたい。
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