見出し画像

胡桃堂喫茶店のスプーン

3週間前の週末、東京・国分寺の胡桃堂喫茶店を訪ねた。

──

数年前に読んだ、店主・影山知明さんの『ゆっくり、いそげ』。

当時、僕は、当たり前のように進んでいく社会の「あり方」や「成り立ち」に疑問を感じていた。

影山さんの著者を読み、長らく抱えていた違和感がゆっくりと氷解するような気がした。影山さんの言葉に、ずいぶんと勇気づけられたのを今でも憶えている。

例えば『続・ゆっくり、いそげ』には、こんなことが書かれている。

クルミドコーヒーを始めて二年半が経った頃、はっきりと意識するようになったことがある。それは事業計画をつくるのをやめること。(中略)

(出版事業や哲学カフェなどを始めたことに言及し)いずれもが元々計画されていたことではない。たまたまお店であの人と出会ったから、たまたま話をしていたらこんなアイデアが出てきたから、といった偶発性の中から一つ一つ実現していったものだ。
そして大事だと思うのは、これらのすべてがお店の界隈に「あるもの」「あったもの」から生まれているということ。何かやりたいことやアイデアが先にあって、それはそこには「ないもの」なのに、外からそれを探し求めてなんとか実現させたようなものではない。

(影山知明(2018)『続・ゆっくり、いそげ〜植物が育つように、いのちの形をした経済・社会をつくる〜』クルミド出版、P20, 25より引用、太字は私)

誤解を招きそうなので補足するが、影山さんは「事業計画を作るのは悪だ」と言いたいわけではない。

緻密に未来を計画するのでなく、偶発性を受け入れる余白をつくろう」というメッセージだと僕は解釈している。

働いていれば、数字の呪縛からは逃れられない。

何かを達成できる、達成できないの狭間で、社会や会社の評価はまあまあ変わっていく。そのことで動揺してしまうのは、何とも不思議なのだけど、それが「組織に所属する」宿命なのかもしれない。

しかし影山さんは、そのような評価軸を捨てている

成果を先に定義せず、その過程に注力する」という言葉通り、せっせと客商売に励んでいるのだ。(実際僕が胡桃堂喫茶店を訪ねたとき、影山さんも接客を行なっていた)

──

さて、今日は、お店を訪ねたときのことを。

昼前に胡桃堂喫茶店に入った。先に食事を済ませていたのでコーヒーだけを注文する。(リサーチ不足だったが、胡桃堂喫茶店には季節ごとに食事のメニューを用意している。ちらし寿司、とても美味しそうだった……)

仕事や執筆などに取り組んでいたら、あっという間に16時半になっていた。

コーヒー2杯で、ずいぶんと長居させてもらったなあと後ろめたさも感じつつ、贅沢な時間に満足していた。

*

帰り支度を始めているとき、ふと器が目に入った。

とても良い器だ。口当たりも良く、なめらかにコーヒーが喉を通っていった。重厚すぎない作り。手触りの感覚も僕の好みだった。

ついでに、添えてあった小ぶりのスプーンには触れてみる。驚いた。

はっきりとした重み。人間の指をぴたっと受け止めるようなフィット感に、触り心地。

このスプーンは、客の一挙手一投足が計算されて設計されているのではないか。その上、気品があって、自然な佇まいだ。

僕は、コーヒーに砂糖もミルクも入れない。同じように、多くの客がスプーンの存在を素通りするはずだ。こんなに良いスプーンがあるというのに、客は気付かない。

でも、胡桃堂喫茶店は「それで良い」と思っているに違いない。客が気付かなくても、お金と手間をかけるという判断を下している。

店の真髄は、こんなところに現れるのだ。

──

僕自身も、そうでありたい。

良い店を訪ねると、背筋がしゃんと伸びる。

スターバックスもタリーズコーヒーも大好きだけれど、ときどきは、胡桃堂喫茶店のような素晴らしい店に足を運ぶようにしたい。

#読書
#読書日記
#読書記録
#読書感想文
#ゆっくりいそげ
#続ゆっくりいそげ
#影山知明
#クルミドコーヒー
#胡桃堂喫茶店
#西国分寺
#国分寺

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,615件

記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。