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問題児を落ちこぼれにするシステムに、バスケで抗う。(映画「コーチ・カーター」を観て)

映画が好きな人たちの中でも評価の高い本作。「いずれ観よう」と思っていましたが、ようやく鑑賞できました。

これを大学生のときに観てたら、教員免許取得も検討してたかもな……。(上映日時点で大学3年生か)

「コーチ・カーター」
(監督:トーマス・カーター、2005年)

主人公は、問題児ばかりの高校バスケ部を立て直すことが課された、コーチのケン・カーター(演:サミュエル・L・ジャクソン)。

「学業を疎かにするな」
「試合ではジャケット着用、ネクタイもしてこい」
「腕立て伏せ500回やれ」

など、厳しい練習や行動規範を求めたコーチ。基礎トレーニングの繰り返しとコーチの態度に反発し、離脱する選手もいるほど。だが地道に繰り返していく中で、徐々に素質ある選手たちの能力が開花していく。

CGはほとんど使わず、出演者の身体能力のみで撮影したという本作。コーチの言葉も良かったが、バスケットボールの試合のシーンも迫力があった。

だが、本作はよくあるスポーツ映画ではない。コーチが選手に説くのは生々しい現実だ。

私が嫌いなのは、君たちを落ちこぼれにするシステムだ。統計の数字を言うぞ。卒業できるのは学年で50パーセント。卒業生の大学進学率はたった6パーセントだ。君らの教室をいくつか見たが、その中で大学へ行ける者は1人ということだ。“じゃ俺たちはどこへ行くんです?” これはいい質問だ。アフリカ系アメリカ人の君たちへの回答はこう。“多分 刑務所へ” この郡では18歳から24歳までの黒人の33パーセントが逮捕されてるんだ。左隣の仲間を見ろ、右隣の仲間も見るんだ。1人は逮捕される。大学ではなく刑務所へ行く可能性は80パーセントだ。ただの数値だが、統計は冷酷だぞ。

(映画「コーチ・カーター」より)

問題児の多くは、やがて犯罪者となって肩身の狭い思いをする。

もちろん全ての問題児が犯罪者になるわけではないけれど、コーチが示す統計は、残酷なまでに若者たちの未来を暗くさせる。

だがコーチは目の前を暗くさせることばかりを提示するだけではない。

学業とバスケを両立させること
敗者の自分とは今日限りにして、勝者のように振る舞うこと
バスケで勝利することは社会に勝利すること

ただこれだけを求め、そして生徒たちは次第にコーチに信頼を寄せるようになる。

貧困、人種差別、ドロップアウトした者を救済する制度がないこと。さらに作中では10代の女子高生の妊娠まで描かれた。

それらをどのように乗り越えていったのか。中盤では、体育館を閉鎖して学業に集中するよう求めたコーチに対して、保護者がコーチ解任を求める。実の親が「勉強なんてしなくていい」と言うのだ。どちらが正しいのかは自明だろう。(コーチ解任を求めた後で、生徒たちがどう振る舞ったのかも本作のハイライトのひとつだ)

問題児を落ちこぼれにするシステムに、バスケで抗うこと。

それがバスケットボールという手段でなくても構わない。やるべきことを、しっかりとやり抜くこと。それが子どもにとっては、かけがえのない成功体験になっていくはずだ。

*

ひとつだけ補足を。

educationの観点から、本作でコーチが示すような「厳しさ」がどれほど正当化されるのかは分からない。あくまで美談のひとつとして受け取るくらいの「疑い」を持つ方が健全ではあるだろう。

だが、昨今の日本の教育で見られるような「褒める」を礼賛するようなムーブメントには一石を投じるのではないか。日本の場合、厳しさが体罰や暴力などと結びついてしまうきらいがあるけれど、誠実で芯のある厳しさともいうものは、どこか必要ではないかと思うのだ。

──

実は映画を鑑賞し始めたとき、「あれ、サミュエル・L・ジャクソン若くない?」なんて思ってました。

古びていないプロダクション・デザインなどから勝手に2010年代の作品だと思っていたら、2005年製作なんですね。18年前なのか……。

Netflixでの配信終了日は11月30日。興味ある方はお早めに。

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